世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
瀬戸際のBrexit交渉:タイムリミットが迫る中,離脱協定反故法案提出
(欧州三井物産戦略情報課 GM)
2020.09.28
英EU双方が目処とする将来協定交渉妥結期限が10月15日に迫る中,レベルプレイングフィールド(公平な競争条件)や漁業権をめぐる交渉の難航に加え,新たな難題が浮上し緊迫感が高まっている。1月に発効した英EU間の「離脱協定」は,北アイルランドとアイルランド共和国間の厳格な国境管理を回避するための「北アイルランド議定書」を含むが,英国政府が,その一部を一方的に修正できるとする条項を含む「国内市場法案」を9月9日に下院に提出したのだ。
ジョンソン英首相は,同法案での離脱協定上書きの目的は,将来協定を結べず移行期間を終了した場合の対処について同協定に不明確な点があるため,英国市場の統一性維持のためだとする。しかし,真の意図は,同法案の提出によって,No Trade Dealを恐れぬ強硬姿勢を示し,その際に北アイルランドとアイルランド共和国間の物理的国境管理復活が不可避となる可能性を示すことで,EUに将来協定交渉での譲歩を迫る「瀬戸際戦術」だと判断される。
EUは,離脱協定と国際法への極めて深刻な違反とし,英国に対し9月末までに離脱協定に抵触する部分を法案から撤回しなければ法的手段を辞さず,将来協定交渉も危機に晒されると猛反発している。
また,米国からは,ペロシ下院議長,及びアイルランド系(全米で4000万人弱存在)であるバイデン民主党大統領候補が,英米FTAの条件としてベルファスト合意の尊重と北アイルランドとアイルランド共和国間の厳格な国境管理の回避をあげ,強い警告を発している。
英国内でも,国の信認を失墜させるとして与党保守党内からも激しい反発がでており,14日の下院における同法案の第二読会(基本方針に対する採決)では与党からジャビード前財務相,コックス前法務長官を含む約30人が棄権や反対に回った。造反拡大回避のため,ジョンソン首相が,16日に同法案に「権限を行使する場合には下院の承認を得る」との修正を加えたため,今月中に下院で最終可決後上院審議に移ることは確実だが,保守党が少数派の上院において審議難航は必至だ。
今後の国内市場法案の行方と将来協定交渉の見通しは下記の通り。
[シナリオ1]国内市場法案はさらに修正,将来協定は財を中心とするベーシックなFTA締結
激しい言葉の応酬とは裏腹に,英国による上記の法案修正や,当初ジョンソン首相が離脱協定上書きの理由の一つとして挙げた食品輸出許可問題の解消宣言,EUによる将来協定打ち切り等の強硬策の封印と,時間のかかる法的対抗措置の選択等,将来協定交渉継続と妥協への意志,地ならしがみてとれる。国内市場法案についてはさらに修正が加えられると共に,将来協定交渉の懸案についても,第8回交渉において英国から妥協案が提示された漁業権に続き,レベルプレイングフィールドについても妥協が成立,批准を考えた場合のギリギリのタイムリミットである11月初旬に財を中心としたベーシックなFTAで合意に達する。
[シナリオ2]英EUの信頼関係は棄損されNo Trade Dealとなる
今回の英国の政策によって,EUの英国不信は極限まで高まっている。英国政府は国内市場法案についてさらなる譲歩を拒み,上下両院間で一定の「ピンポン」が繰り返され法案審議は難航。将来協定交渉も合意できないまま時間切れで移行期間が終了する。
シナリオの蓋然性を考える上で下記要因が重要となる。
第一に,英EU双方の経済はCOVID-19によって激しく打たれており,コンセンサスフォーキャストによれば2020年の実質GDP成長率は其々前年比-10.1%,-7.7%に落ち込む見込みだ。足下の第二波襲来によって規制措置が再導入され経済への再度の下押しが懸念される中,No Dealによる追加的悪影響に耐えられる状態ではない。特に,英国ではパンデミック対策の失敗によって与党は野党労働党に支持率で並ばれており,求心力の低下するジョンソン首相にとって,パンデミック不況に苦しむイングランド北部・中部の「新しい保守党支持者」を繋ぎとめるためにもさらなる経済の混乱を引き起こす恐れの強いNo Trade Dealは選択し難い。
第二に,英国のPost Brexitの成長戦略の要である「グローバル・ブリテン政策」への悪影響だ。前述の通り,英国がベルファスト合意を危機に陥れた場合,その中心に据える米国との包括的FTA締結が困難となり,同戦略で謳う英国の貿易のFTAカバー率を3年以内に80%とすることは不可能となる。
第三に,英国の一体性の問題だ。英国がNo Trade Dealを強行した場合,親EUのスコットランドの英国からの独立運動を勢いづかせ,2021年5月の地方選でSNP(スコットランド民族党)の大勝に繋がる恐れがある。
以上を考慮すると,シナリオ2の蓋然性が以前に比べ一定程度上昇したことは否定できないが,依然としてシナリオ1の蓋然性がより高くメインシナリオだと判断する。英国にとって国内市場法案の提出は,単なるEUとの将来協定の有無を超えて,Post Brexitの成長戦略,すなわち英国の中長期的な方向性を左右する重大な問題であり,時間が限られる中状況を注視する必要がある。
関連記事
平石隆司
-
[No.3557 2024.09.09 ]
-
[No.3325 2024.03.04 ]
-
[No.3222 2023.12.11 ]
最新のコラム
-
New! [No.3627 2024.11.18 ]
-
New! [No.3626 2024.11.18 ]
-
New! [No.3625 2024.11.18 ]
-
New! [No.3624 2024.11.18 ]
-
New! [No.3623 2024.11.18 ]