世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
貿易と直接投資の若干のふりかえり
(関東学院大学経営学部 教授)
2020.08.31
われわれに自由意志があるかどうかについては,いろいろと議論があるようだが,行為の自由については,拘束されていない限り,成り立つであろう。われわれは,「自由」に生きたいとは思っている。ただ,自由は,無数で多種多様な欲望を実現することでもなく,逆にそれらの束縛からの解放でもない。それらはときに同時に内在し,矛盾を生み出している。これをふまえ,ヘーゲルは,「制限」を自覚しているなかで,それを乗り越えたときの実感が「自由」だという。併せて,「自由」になりたいと願ってきたことが,絶えず命を奪い合ってきた人類の歴史につながっているともいう(注1)。
貿易は,平和状態が保たれていなければ,成り立たない。沈黙貿易は,争いを避けるための知恵だった。貿易は,文化,言語,通貨,決済方法,法律,商慣習の相違を乗り越え,また物理的な距離を克服して行われる取引である。相違を埋めるために,国際的に通用するインコタームズなどの専門用語が普及してきた。リスクを乗り越えるために,海上保険はいうまでもなく,L/C,D/P,D/Aなどの決済方法を生み出してきた。そして,貿易は,国内取引に比べて,コスト増になる要因が多いが,それにもかかわらず貿易が行われることは,コストを上回る「利益」が得られる可能性を示している。
貿易制度において,GATTからWTOへと積み上げられてきたが,機能しなくってきていることは事実である。それは,国家が私人に過度に介入しないことを国際的規律として,モノの貿易からサービス貿易に,そして投資保護,知的財産保護へと規律の範囲を積み上げてきた無差別と自由化が損なわれてきていることにほかならない。
米中貿易戦争とまで言われる状況は,ますます激しさを増している。それぞれが,ある一線を「乗り越えた実感」,その感度を高めているのであれば,ヘーゲルに従えば,どちらかがどちらかを奪うまで終わらないことになる。
貿易(販売範囲に連動)は,経済空間の広がりには関係しても,国家空間(国境)の拡張に同期化するものではない。しかし,国家空間の拡がりに間接的に連なることはある(注2)。
第二次大戦後がそれまでと大きく異なる点は,対外直接投資の増加,多国籍企業の存在であろう。その存在が,各国間の経済的結びつきを深め,同一産業内での国際間相互直接投資(生産拠点の相互移管・拡充)を進めてきた。企業内貿易が行われ,産業内貿易が増加した。
入江猪太郎先生の「はじめに対外直接投資ありき」の視点で考えると,国家が乗り越えようとする「自由」と,私企業である多国籍企業が乗り越えようとする「自由」とは異なるであろう。
ところで,中国は,「社会主義市場経済」を採用し,2001年にWTOに加盟した。その後も経済力を急速に高めてきたことは周知のとおりである。ただ,中国の多国籍企業は,国家資本主義のもとでの企業であり,私企業とはいえないと思われている。国家空間の拡張とまで言わないにしても,自国権益空間の拡張に連なっている。国家が乗り越えようとする「自由」と企業のそれとが同期化していると見られているようだ。
2013年以降,中国は,自国の議論や言説に含まれる概念,論理,価値観,イデオロギーによって生み出される影響力を国際社会に深めることに一段と力を入れているといわれる。ナラティブ制御である。このことは,西洋の普遍的価値に代わる価値基準を世界に浸透させることが最終目標であるとの見解につながるようだ(注3)。この目標の実現は,さきの国際的な規律との齟齬を生みだろう。それは,国家間の価値観のずれを生み,少なくとも過渡期において,国際的な規律の喪失をもたらすだろう。つまり,貿易ができない平和ではない状況が生じかねないことさえも想起させる。
世界の各国が相互に承認しあえる規律を生み出すことはできないのか。「利益」が国益,自国のみの利益ではなく,相互の,また広く国際社会の利益につながる知恵が,パンデミックがまだまだ進むなかで,強く求められている。
[注]
- (1)苫野一徳(2016)「“自由”とは何か-自由に生きるための社会構想」『TASC monthly』たばこ総合研究センター, 481, 1月号, pp.12-18. https://www.tasc.or.jp/educate/monthly/article/pdf/article_1601.pdf(2020年8月20日アクセス)
- (2)経済空間と国家空間については,大東和武司(2020)「フリースタンディング・カンパニィ ―その経済空間と国家空間とのかかりへの試み―」『戦略研究26』戦略研究学会, pp.15-47を参照されたい。
- (3)江藤名保子(2017)「普遍的価値をめぐる中国の葛藤」『アジ研ワールド・トレンド』日本貿易振興機構アジア経済研究所, 266巻, pp.26-33.
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