世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
「閾」再考
(関東学院大学 客員研究員・広島市立大学 名誉教授)
2024.09.23
2024年5月に山本理顕氏が「建築界のノーベル賞」といわれるプリツカー賞を受賞した。「建築を通じたコミュニティ創出」(「美術手帖」2024年3月7日)の観点,「公と私の間の『閾』を活性化し,社会とつなげる建築」(「TECTURE MAG」2024年3月6日)が評価されたといわれる。近隣にも配慮する開かれた建築への評価である。
「閾」。事典によれば,ある感覚的変化が生じるかどうかの感覚次元上での境界を閾(Threshold),また閾に対応する刺激量を閾値というようだ。閾また閾値を,生理学や心理学では「いき」「いきち」といい,物理学や工学などでは「しきい」「しきいち」と呼ぶようだが,われわれが反応を起こすのに最小必要限の刺激の強さのことのようである。
閾は敷居につながっている。家の出入口の下の横木が敷居であるが,戸,襖,障子の開閉によって部屋や空間が仕切られ,出入口の境界ないし内外の結界の役割をもっている。例え外で嫌なことがあっても,敷居を跨ぎ内に入れば心を切り替えることができる。あるいは,不義理をした家には「敷居が髙い」ということになる。
筆者が住む割と近くに山本理顕が設計した広島市西消防署(2000年)があるが,その建物はガラス壁などが使用され,全体が透けて見えるようになっている。通行人も来訪者も中央のアトリウムから消防士の活動とか訓練をみることができる。市民は,消防署の公共的な目的や機能を確認することで,公共領域を私的領域に取り込むことができ,社会を知る機会ともなる。消防士も自然に市民と接するようになっている。
この設計思想は,相互扶助に根ざす「地域社会圏」,コミュニティ再生を目指す(注1)姿勢である。昔あった近所づきあいが無くなった。コミュニティが分断された。と言われて久しいが,その再生を山本は設計の視点から試みている。建築の世界において,周辺との関係や景観への配慮が,とりわけ高度経済成長期以降におろそかにされてきたといわれる。都市化のなか1950年代以降の2DK住宅の大量供給がその代表のようだ。両親と子ども二人を想定した住宅である。それによって家族の形が変わり,プライバシーまたセキュリティ,ひいては自分のみが,という内向きの姿勢が強くなった。逆に,道路を挟んだ近所づきあい,自然なコミュニティの醸成が失われ,ひいては拒絶するように状況になっていった。ご近所さんのつながりを育んでいた狭い道路だったり,集合住宅では中庭だったり,家と外の間の中間的な空間が昔はあった。各家の玄関とか式台の敷居の役割もなくなっていった。山本は,この「閾」を建築から取り戻そうとしている。
山本の設計ではないが,1934年に同潤会によって建設された江戸川アパートメントは,中庭,廊下,階段などの共有空間が豊かだといわれる。それらが居住者の一体感ないしコミュニティ形成のもとになっている。中庭の利用方法は,戦前は子どもの遊び場や夕涼みに,戦中は防災訓練や野菜栽培に,戦後は子どもの遊び場,母親の立ち話,居住者の野外映画会などと,時代とともに変遷はしているが,中庭は,社会変動あるいは居住者層の変化などに対応し,住み心地の良さを与える環境を形成していたようだ(注2)。建築設計によって,住民の意識が形成され,また変わっていった事例でもあろう。
中庭は,中国,ベトナムなどの東アジアにおいても,あるいはまた西アジアやアフリカなどにおいても見られる。そこでは共同体的な世界がまず隣同士という地域社会で生まれている。山本は,若いときに原広司とともに地中海の海岸線の欧州側またアフリカ側の各国を巡り,その後,北米から南米へ,さらにイラク,インド,ネパールを回り,「閾」の考え方は世界共通であるとの認識を得た。公共空間と私的空間の間の「閾」は,半分は公共(コミュニティ)のための,半分は私(ないし家族)のためのという空間(界)ともいえる。その「閾」は,そこに住む人だけでなく,コミュニティ全体への豊かさにつながる可能性が高いことを山本は意識した。
公的領域と私的領域は,本来は親和性の高いはずのものであろう。それが,プライバシーやセキュリティの側面が強くとなると相容れない関係,ひいては排他性とか疎外感に通じるような対立的に近い関係になっていった。山本は,熊本県営団地(1991年)のように他との関係性のある生活ができるような集合住宅,また先の消防署のように透明性をもたせ,あるいは地権者をまとめ通り抜けさえもできる(埼玉県立大学1999年)公共建築にして,変えようとした。
公的領域と私的領域の親和性がなくなれば,調和ある社会の形成も難しい。山本のいう「ひとつの空間を共有する感覚」もなくなっていく。さまざまな人が一緒に住んでいるのが社会だ。社会を国際社会に拡げてもいいが,内向きで,この共有感覚がなくなれば,誰かのためにということもなくなり,新しい発見やイノベーションを涵養する力も次第に喪失していくと思われる。社会はもちろん衰退していく。
共有感覚ということは,逆説的には境界,結界の意識していることになる。それぞれに踏み込まれたくない部分,大切にしたい部分があるということでもある。これを越えると,共有感覚が踏みにじられたということになる。
大量生産製品のバラツキに対応するために企業は閾値を設定して不良品を判定しているが,昨今の品質不正問題をみると,それをないがしろにしていることになる。また,世界各地での紛争をみると,安易という言葉がつらいほど結界(レッドライン)を越えてしまっている。「閾」というにはあまりに内向きな理由づけによって反応しているように思える。
「閾」についてあらためて考えることは,社会的関係の必要性,そのなかで社会が存立していることを確認することでもある。社会的関係が文化を育み,歴史をつくり,またそれぞれの風土を形づくっていった。「個」(「国」)は確かに重要であるが,それは調和ある社会(国際社会)のなかで活かされるものである。「閾」は,われわれに公私のバランスの大切さを再認識させる。
[注]
- (1)宮内禎一(2024)「建築で未来を創る哲学者」『日本経済新聞』2024年9月15日付
- (2)安田純・原科幸彦(2015)「集合住宅とコミュニティ形成―中庭が他中層集合住宅の効果」『計画行政』38.4,pp.9-14.
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