世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3774
世界経済評論IMPACT No.3774

さかのぼる巨きな石:企業理念の再構成

大東和武司

(関東学院大学 客員研究員・広島市立大学 名誉教授)

2025.03.31

 石川県と岐阜県にまたがる霊峰白山の麓に位置するイワナ・ヤマメの宝庫の白山牛首川水系であろうか,かつて暴れ川といわれた手取川上流であろうか。そこでは6m余りある巨きな石が急流によって少しずつ登っているという。30年ほどで100mもさかのぼったとの証言もあるほどだ。言い伝えでは,どれだけ努力しても白山に登ることができなかった僧が絶望し,この川に投身して亡くなった,その魂がこの巨きな石に化けたのだという。

 激流があってこそ,さかのぼる巨石,なかなか信じられないが,事実としたら興味深い。遡る,この巨石を企業経営に例えれば,創業者の志や想い,創業の精神に通じるところがあるのかもしれない。企業の理念の多くは,創業の精神を踏まえ,その企業のアイデンティティ(存在意義)や価値観を明示したものである。企業が歴史を重ね,その規模が大きくなっていけばいくほど,一体感や共通の方向性維持が難しくなる。そこで拠りどころが求められる。企業理念は,社会性をもった行動規範,また意思決定の基盤である。それが浸透していけば,社内的には愛社精神ないしエンゲージメント(結びつき)の度合いが強まるし,社外的には顧客や取引先との信頼関係が深まり,ブランドイメージがあがり,結果として売上(収益)にも貢献するだろう。

 企業理念を変えない企業は多いが,時代は流れ,社会は変化する。となると,多くは,根本の考え方は変えないにしても,方針ないし戦略などは変えていく。現状から脱皮したい,事業を再構築したいとなると,温故知新しながら,企業理念の再構成へと進む。

 1868年に始めた塗装業を源とする株式会社サカワ(本社:愛媛県東温市)は,1919年坂和式黒板製作所として創業し,1957年合資会社サカワ黒板製作所に,1988年株式会社サカワに社名変更し,現在に至っている。創業の曾祖父,祖父,そして約50年社長であった89歳の祖母から2018年11月に,32歳の孫である,坂和寿忠が継ぎ4代目社長となった。2009年入社,2014年からの常務を経ての就任だった。2018年は創業100周年,それにともなって新しい企業理念を制定した。「教育と文化の向上に尽くす」から,役員3名と部長メンバーで外部の協力も得ながら約3か月検討し,「真剣に未来を変えたい人へ,最強の武器を提供する」へと変えた。その背景には,黒板製造事業,教育ICT事業,そして木構造事業,不燃木材事業など複数の事業展開があり,それを横断させた理念の構築という思いがあった。

 しかし,4代目として経営をしていくなかで,各事業をそれぞれ拡大させていくには,経営資源,とりわけ25人程度の規模という人材面での課題,また事業間のシナジー効果の少なさ,複数事業の並存による社内の一体感への懸念を感じた。2023年1月,教育事業への特化を公表した。2000年に副社長だった父が本格化させた木材関連事業は,これを機に譲渡した。

 併せて,役員3名・部長メンバーを中心とし,外部の協力も得て,新しい理念制定プロジェクトを開始させた。社員の意見も取り込みながら検討を進めた。目指すべき姿勢,目指すべき場所の明確化のための企業理念の制定である。2024年「黒板屋であり,挑戦屋」をかかげた。1919年の「坂和式」は,祖業の塗装業の流れが含まれていると思えるが,当時誰も試みていなかった漆技術を活かした黒板づくりへの挑戦であった。創業90年の2009年の電子黒板発売は文科省の「スクールニューディール構想」(耐震化・エコ化・ICT化)への対応であったし,また2015年の黒板アプリ開発,2016年以降の学校向けプロジェクター開発などでの実質責任者は,4代目であった。ICT化という時代の大きな流れにともなって,教育向けに新しい切り口で展開をする必要があり,それへの挑戦であった。教育といえば黒板,黒板をキーワードとして創業の精神へ回帰しつつ,教育現場で,時代のちょっと先を歩もうとしている。

 黒板の納入先である全国の学校数は,少子化によって1989年比で小学校が約2割,中学校が約1割減少している。それにICT化による電子黒板への移行が加わり,全国の黒板メーカーは,1990年代中頃の100社以上が,いまでは30数社程度になった。こうしたなか,サカワの売上額は,4代目社長が就任した2018年には5.3億円であったが,2020年に10億円を超え,若干の波はありつつも,2023年には18.6億円となっている。5年で3.5倍になった。

 売上高の約90%を学校向けのプロジェクター「ワイード」関連が占めるが,これは,各校に導入された電子黒板が充分に活用されていないことに対応したものであった。映像を黒板に直接投影する方法によって,映写とチョークの両立,デジタルとアナログを融合させ,黒板も残し利用しながらICT化に対応させた。表面を特殊加工した映写対応黒板「サンヤクブルーグレー黒板」,2024年スライド式電子黒板の発売も,その流れにある。

 ただ,同社だけで製品化にできるものではない。黒板アプリ「Kocri」開発には鎌倉の面白法人カヤックの協力を積極的に得ているし,プロジェクター開発にも委託先がある。情報を製品化につなげるためには,いわば開かれたネットワークの構築無くして,同社の教育事業への特化は進まない。そのためなのか,人員配置も東京支店10名,愛媛本社15名となっている。

 企業経営には川でいえば静かな流れのときもあるだろうが,豪雨のあとの濁流の厳しい流れにさらされるときもある。激流ゆえに巨きな石はさかのぼれるのであるが,そのためには巨きな石になっておく必要がある。巨きな石は,業界3番手,4番手とか,従業員規模の多寡によるものではない。企業理念「黒板屋であり,挑戦屋」の制定過程によって,同社として大切にしなければいけないものは何かが明確になり,そのうえで,挑戦屋へと進化するのだと,社内の確固たる共通認識が生まれたようである。それが巨きな石である。少し立ち入れば,この「大切にしなければいけないもの」の背景には,祖母である3代目社長と孫である4代目社長との幼少時からの「親友」のような変わらない関係構築があるように思える。その結果,変わらないものとしての黒板,そして「大切な仲間を幸せに」するための進化である。

 ところで,多くの石は,流れていくなかで次第に角が取れ,自然に丸みを帯びていく。15センチ以下になると栗石(クリイシ:グリ)と呼ばれるようになる。栗石は,茶席の畳石や敷石,池の縁,花壇,あるいは土木工事の基礎に使われたりする。時代の流れのなかで,自然に丸みを帯びながら栗石として,個々人がその価値を発揮するのは素敵である。他方で,巨きな石の必要性も忘れてはならない。さかのぼる巨きな石,激流によってさかのぼれる巨きな石,それをいかに構成できるか,ここに企業の本質が現れるようだ。

*株式会社サカワ代表取締役坂和寿忠氏には,いくつかの質問にご丁寧に答えていただいた。ここに記して感謝申し上げたい。

[参照サイト]
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3774.html)

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