世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
「閾」と「地域社会圏」
(関東学院大学 客員研究員・広島市立大学 名誉教授)
2024.12.23
われわれは私的空間と公的空間のなかで生活をしている。この私的空間と公的空間について,山本理顕(2015)は次のように言っている。
私的空間は住宅であり,親密な何人にも侵すことにできない空間である。それが「プライバシー」であり,また「自由」である。住宅によって隔離され,閉じ込められているのがプライバシーなら,「自由を閉じ込めるように設計された空間が住宅」である。
他方で,公的空間は,交通・情報・流通・防災などの社会資本(インフラ)の網の目におおわれている。管理機構である行政によって,公的空間は統治されている。それらは不断に管理されないと機能しない。
山本は,われわれが公権力に管理された公的空間に「保護」され,ある種の社会的要請に忠実に従うことに無意識になることに,ハンナ・アレントの「物化(materialization)」を持ち出して,注意を促している。
筆者は,先の本コラム(2024年9月23日付No.3571)で,山本を取り上げ,「閾(しきい)」について書いた。「閾」は「敷居」に通じるが,単に玄関の戸の下の一本の敷居ではなく,ある程度の空間的広がりをもったそれである。私的空間と公的空間,そのふたつの異なる空間の中間にあって,両方を相互に結びつけたり,あるいは切り離したりする装置である。両方を調停する役割を持っているともいえる。
この「閾」は,古代ギリシャのポリスにおいても,スペイン,イラク,ネパール,また日本においても,「現われ」方が違うとしても,昔からあった。いずれも,「私的領域のなかの公的領域」であった。山本は,第二次大戦後の住宅がプライバシーを守るだけの場所になっていることを憂いている。守ることのみで,失っているあるいは奪われていることが多いのではないかと。つまり,アレントにそって,われわれ個人は個人であるが,限られた命である。個人以前に「世界」があり,その世界(社会)と関係を持たない住宅はおかしいのではないかと。
この「閾」の考え方とともに集合住宅の歴史に山本が名を刻んだのが,くまもとアートポリス集合住宅第一号「熊本県営保田窪第一団地」(1991)だ。外周部分にループ状の道路が巡り,各住戸は中央広場を囲むように配置され,また各住戸は広いテラスなどともに常に外部と接するようになっている。「共に住む」ことに苦心した集合住宅だ。
そのはしりは,三世代4家族のための小さな村=「HAMLET」(1988)だった。住宅は,たしかにプライバシーとセキュリティが大切であるが,行き過ぎると,穏やかな地縁的なつながりを崩壊させる。1住宅=1家族といった第二次大戦後の住宅原則は,外部と遮断する閉鎖性また密室性が住む人のプライバシーに必須だとの思い込みに連なっていった。それに一石を投じた住宅がHAMLETだった(大川三男ほか2021)。
山本らは閾の考えを発展させて,2007年以降,横浜国大を中心として「地域社会圏」の議論を深めた。
ところで,高級マンションになればなるほどプライバシーとセキュリティの確保と徹底が図られている。昨今,東京都内また関東圏などにアクティブシニア向けの高級住宅(あるいは「施設」なのか)が相次いで開業している。この現状は,シニア市場の拡大もあるが,今日の治安の乱れあるいは社会の限界を反映しているのかもしれない。
プライバシーとセキュリティの概念は,第二次大戦後の復興住宅,いわゆる1家族=1住宅モデルが,公営・公団住宅(公共住宅)によって,また1966年以降は民間分譲住宅・マンションを中心に据えた「持ち家」の奨励によって拡がり,併せてこの概念がわれわれに徹底されたというか,知らず知らずのうちに埋め込まれていった。
公共住宅また持ち家は,住宅の外側に対して,内側の住人のプライバシーとセキュリティを守り,また内側では2DKとか3LDKとして夫婦と子供たちそれぞれのプライバシーを部屋ごとで守っていく仕組みになっている。
しかし,「プライバシーとセキュリティ」が徹底され,外部に極めて閉鎖的になったためなのか,2033年には平均世帯人員が2人を割る(国立社会保障・人口問題研究所推計)という。1住宅の「家族」の人数が減った。ほぼ単独世帯か夫婦世帯の住宅となっている。
そこで,山本らは,中心原理を「プライバシーとセキュリティ」に置くのではなく,「住人全体の相互関係」に置く「地域社会圏」モデルを提示した。1住宅=1家族モデルが概して周辺環境や周辺地域社会に無関心になるのであれば,その逆の仕組みを目指すモデルである。
このモデルでは,家族単位でなく個人単位,500人くらいの多様な居住者を想定している。この大規模な集合住宅地では,共有部分を広くし,パブリックあるいは疑似パブリックとプライベートが重なる部分を多くすることで,両方の曖昧化をはかっている。公共財の集合,コモンズを形成しようとしているといってもいい。
1家族=1住宅モデルでは,家庭内で相互扶助が成り立っていることを想定していたが,そこでは地域社会圏内で相互扶助が積極的に行われることが想定されることとなる。大家族が壊れて核家族となったが,核家族から新たなネットワークにつなげる仕組みとしての広い共有部分である。そこはお互いに関係をもつことができる/何かを提供できる場所である。あるいはまた,そこは外部の人もそこに自由に入れる流動性をもった境界である。
プライベート,コモン,セミパブリック,パブリックなど(外山義2003)とあえて分けることもできるだろう。しかし,単純に空間を私的と公的に分断するのではなく,幾層も交ざりあうことが現実的であり,望ましいだろう。個人一人ひとりのなかのプライベートを「孤独」と呼ぶのであれば,孤独は自分の居場所(心の置き場)であり,自らの思いや考えを発信する場所である。そうした場所がない人は,疎外感,場合によれば恐怖を感じてしまう。そのような人びとを少なくするためにも,「閾」や「地域社会圏」の考え方また具現化は大切なように感じる。
ゲオルク・ジンメルは「橋がひとつの審美的な価値を帯びるのは,分離したものをたんに現実の実用目的のために結合するだけでなく,そうした結合を直接視覚化しているからだ」といったが,私的空間と公的空間の双方がつながった橋のようにまさに自由に行き来できる「風景」を感じたいと思う。谷川俊太郎は「いのち」を「波動」といったが,私的空間と公的空間の両方があってこそ波動が生まれ,生きていることになるのだろう。
[引用・参考文献]
- 大川三男ほか(2021)『「奇跡」と呼ばれた日本の名作住宅』エクスナレッジ ゲオルク・ジンメル,北川東子編訳,鈴木直訳(1999)「橋と扉」『ジンメル・コレクション』ちくま学芸文庫
- 谷川俊太郎(NHK Eテレ12月7日午後4時20分放送「追悼 谷川俊太郎さん ~Nコン合唱曲 子供たちへのことば~」
- 山本理顕(2015)『権力の空間/空間の権力 個人と国家の〈あいだ〉を設計せよ』講談社選書メチエ
- 山本理顕ほか(2023)『地域社会圏主義 増補改訂版』トゥーヴァージンズ
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