世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1852
世界経済評論IMPACT No.1852

網野日本中世史学における「市場経済」論

高橋岩和

(明治大学 名誉教授)

2020.08.24

 読者はこの表題をみて奇妙に思われるであろう。網野善彦氏といえば日本中世史の専門家で,著作集(全18巻 岩波書店 2007年)も『無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和』をはじめとした日本中世史関連の論稿が圧倒的多数をしめている。他方「(日本の)市場経済」は,明治維新後の文明開化・殖産興業政策のもとで,欧米から銀行制度,会社制度を中核とする経済制度として一式移植された資本主義のことである。

 本稿の表題の下での筆者の関心は,その源流を中世に発する「日本の市場経済」が網野史学においてどのように取り扱われ,論じられているのかについていささか述べてみたいというところにある。

 今日,多くの人にとり命の次に大事なものは,いな比喩的にいえば命と同じだけ大事なものは「自由」であろう。筆者は,幸いにしてこれまでの人生において「命」か「自由」かの選択を迫られたことはなかった。そのような選択を迫られて迫害にあい,呻吟している多くの人々が今なお世界には少なくないことを知っているだけである。このような「自由」という価値観については,それが「精神的自由」であろうと「経済的自由」であろうと,日本の歴史社会には元来なく,憲法の保障する基本的人権として明治維新後に西欧からもたらされて明治憲法に導入された価値概念だと理解していた。

 しかしあるとき,たまたま網野善彦先生と職場を同じくすることとなり,酒席を共にすることも少なくないこととなった。先生の当時話題の『無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和』(平凡社)を読み,つたない議論に応じてもらうこともあった。駆け込み寺として有名な鎌倉の東慶寺が「日本版のアジール」であり,また「無縁」や「楽」から「取引自由の市場」が生まれ,それが自由市場を核とする今日に繋がる「中世都市」の起源となったことを知った。いま網野先生の著作集第13巻「中世都市論」をみれば,先生の研究の一つの中心が日本における「楽市楽座」を起点とする中世都市の形成史,換言すれば「経済的自由」論であったことがよくわかる。

 ところで,西欧においては,中世に形成された各地の都市とそこでの宗教生活を含む市民生活のルールがローマによる支配以来の都市生活の在り方を成熟させ,その延長上に「営業の自由」の獲得を課題とする市民革命が起こり,蒸気機関の発明を画期とする産業革命が続くことにより,需給関係を価格機構により調節するという市場経済機構を中心とする「資本主義社会」が生まれた。マックス・ウエーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波文庫)で論じているように,このような資本主義はとりわけプロテスタンティズムの盛んな市民社会の存在したところで発展しえた。そのような「基礎となる特殊な市民社会」の成立しえていないところに資本主義を移植しても,そこでは「略奪的資本主義」が生まれるだけだというのがウエーバーの含意であったといってよいであろう。

 たしかに今日,営業の自由や契約の自由の原則により自由競争市場を形成しようとする近代市民法(とりわけ憲法と民法)によってのみでは競争原理に基づく市場経済秩序は形成しえず,それを補完する独禁法が多くの国々に導入されて価格カルテルや不当廉売や取引拒絶といった不公正な取引方法が禁止されている。しかし,このような独禁法が導入されたとはいえ,「基礎となる市民社会」の形成の有無により,市場経済秩序の実態には大きな差異ができている。

 日本においては,非西欧社会であるにもかかわらず今日独禁法を通じた公正で自由な市場経済秩序の形成は極めて高いレベルで実現されており,この日本の経験は日本政府の法整備支援事業として海外の多くの国・地域に伝えられている。これは,日本が中世・近世において自由市場に係る経済思想を保持し,それが「基礎となる市民社会」の伝統となって,近代においてその上に市場経済体制ないし資本主義機構が移植されたことによるものであるといってもよいのではないであろうか。

 ここで,網野日本中世史学における「楽市楽座」を起点とする中世都市論,換言すれば「経済的自由」論に再度言及するなら,その論点として「無縁と資本主義」が掲げられ,そこでは,山林,中洲,河原などが「無縁の場」として米から布までの物品を「商品として交換することの可能な場」となり,それがやがて「都市」へと成長したこと,こうして中世都市に「無縁」「公界」「楽」の特質が刻印されるに至ったことが述べられている(網野・著作集13巻243頁)。この「都市」については,とりわけ浄土真宗教団の社会的基盤が農民,農村ではなくむしろ都市ないし非農業的な村であったことが指摘され,城下町(城の下の町)に対する寺内町(じないまち。寺の内の町)の機能が明らかにされている(網野・著作集12巻454頁以下)。寺内町は,寺が燃えると町も燃えるという町と寺の一体化したものであり,周辺が防壁で囲まれ,内部は完全なアジールとして免税と自治権が確立していたこと,たとえば大阪・石山本願寺の寺内町では,近江商人たちが朝な夕なに御堂の鐘の聞こえる御堂筋に店の本店を構えたので東アジア随一のビジネスセンターが形成されるに至ったことなども指摘されている(五木寛之・中沢新一対談「網野さんともっとアジアや宗教の話をしたかった」現代思想42巻19号,50頁以下,2014年)。

 こうして,日本中世において都市に日本的な市民社会が生まれ,そこで取引の自由の伝統も形成され,信用制度も発達し,これらの遺産―都市の商工業,金融業等における「自由・平等への希求」,ないし「楽市楽座の思想」の伝統といってもよいーがあって初めて近代における資本主義の移植も成功したのであるということができるであろう。しかし,このことの半面,近世国家の成立の過程で商工業者,金融業者が身分的に低く扱われたことにより日本資本主義の展開に強い屈折が生まれた,それゆえ「明治以降の近代国家のあり方を近世・中世の状況から照射しなおす」ことが必要であるとするのが網野中世都市論における帰結である(網野・著作集13巻244頁)。この点については,日本資本主義の父・渋沢栄一と三菱財閥の祖・岩崎弥太郎の経済思想の対比と検討などが必要となろう。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1852.html)

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