世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
コロナ共同債発行に向けた独仏首脳の歴史的提案:EUは次期議長国ドイツの下で財政同盟へ踏み出すか
((公益財団法人)国際金融情報センター ブラッセル事務所長)
2020.05.25
コロナ危機の渦中にあるEUで,5月18日にメルケル独首相とマクロン仏大統領が5000億ユーロ(約60兆円・域内GDPの4%弱)規模の新たな再生基金の創設を提案すると電撃的に発表した。新基金は,EUが債券市場で原資を調達した上,来年以降7年間の中期EU予算(MFF)の中からイタリア,スペインなど特に打撃の大きな加盟国への補助金を給付する内容である。欧州委員会は5月27日にコロナ対策を盛り込む形でMFFの修正案を提示するよう求められているため,両首脳提案もこれに反映されることになる。
当面の注目イベントは6月18~19日のEUサミットである。ここでは両首脳提案が主要な議題になると予想される。両首脳提案は新基金をあくまで現行EU条約の枠内で行う一時的な対応と位置付けている。それでも,EUとして初めて大規模な共同債を発行しようと働きかける歴史的な二国間合意である。欧州委員会や南部加盟国の間では域内結束の萌芽に対する歓迎ムードが拡がっている。
もっとも,MFFは27加盟国の全会一致で決定する必要があるため,他の加盟国との協議を経て,新基金の性格がどう決着するのか予断を許さない。例えばEU予算への純拠出国であるオーストリア,オランダ,スカンジナビア諸国は,モラルハザードを招きかねないとの理由から,資金譲渡を使途とした基金創設に反対する構えを見せている。ハンガリーなどの東部加盟国は,相対的にコロナ感染被害が軽いこともあり,EU予算からの受け取りが減る展開を警戒している。
加盟国の議会を通すことも容易ではない。ドイツ連邦議会で最大野党の極右「ドイツのための選択肢」は猛反発するであろう。4月上旬にドイツで実施された民間世論調査によれば,回答者の半数近くがイタリアとスペインの苦境は自らのガバナンスの拙さに起因していると考えている。連立与党内ですら,中道右派CSUは納得していない可能性がある。
各関係主体との協議の結果,新基金の使途が返済義務を伴う融資中心となれば,イタリアやスペインにとっては,欧州安定メカニズム(ESM)という既存の救済基金からの借り入れと事実上大差なくなる。ESMは,ギリシャへの厳しい構造改革要求等から,南部加盟国の間で懲罰的なイメージを持たれている。また,南部加盟諸国が被っている損失額を踏まえると,60兆円相当という規模は決して十分ではない。譲渡であっても,給付時期が遅過ぎたり額が小さ過ぎたりしては,EUの求心力回復には繋がり難い。
両首脳は慎重に「コロナ債」や「ユーロ債」といった刺激的な表現を避けている。確かに,共同債に対する各国の保証額は当該国のMFF拠出額までとされており,ドイツが無制限にデフォルトリスクを負う訳ではない。それでも,メルケル首相が忌避していた債務の分担(mutualization)には違いない。最大の財政余力を持つドイツの首相が他の加盟国を助ける意思を示したことで醸成される連帯感は,EUが今最も必要としているものである。
域内の経済活動を突如約三分の一縮小させたといわれる現状を放置していては,10年前のような事態が再発し,今度こそEUが崩壊しかねない,という認識がメルケル首相の中で高まった結果,今回の方針転換に繋がったのであろう。南部加盟国の銀行は財務の健全化が進んでいるものの,資産に占める自国国債のウェイトが引き続き高いため,ソブリン危機と銀行危機の負の連鎖は断ち切られていない。北部加盟国は銀行同盟における共通預金保険の構築を通じた南部加盟国とのリスク共有にも二の足を踏んでいる。しかし,ユーロ危機と異なり,今回は新型ウイルスによる危機であって,南部加盟国の非を咎める理由は乏しい。
財政が相対的に健全な北部加盟国は,自らの国債を起債した方が低利で金融市場から資金を調達できるため,EUもしくはユーロ圏レベルの共同債発行に対して,信用力の低い南部加盟国の債務を肩代わりすることに他ならない,と一貫して反対してきた。こうした状況を踏まえ,フランスの経済学者トマ・ピケティ氏やWTO事務局長や欧州委員を歴任したパスカル・ラミー氏は,フランス,イタリア,スペインといった一部加盟国だけでのコロナ債発行を検討すべき,との考えを表明している。
域内を異なるスピードで統合させていくという発想は「マルチスピード欧州」または「トゥースピード欧州」と呼ばれる。これらはユーロ圏や銀行同盟という形で既に実現している。従来は意思と能力を備えた中核国が周縁国に先行して統合プロジェクトを進めるという意味合いであった。ピケティ氏等はこれと異なる新たな方向性を提起していると言えよう。仮にドイツ抜きの統合深化となれば,欧州の平和を確保するという共同体発足時の理念は形骸化する。
メルケル首相は,危機時の宰相として急速に息を吹き返しているものの,長期政権への飽きから最近まで国内で求心力を失っていた。18年10月に連立与党第一党CDUの党首を辞任するとともに,首相職も21年秋までの現行任期限りで辞すると宣言して以来,レイムダックになりつつあったと言っても過言ではない。団結意識を高揚させたと国民の間で評価の高い3月18日のTV演説では,一度もEUや他国への言及はなく,EUの盟主としてのかつての姿は見られなかった。NATOの運営を巡る対立等から,マクロン大統領との間に隙間風が吹き始めたとも噂されていた。
しかし,共同体発足以降最大級の困難に直面して,ドイツとフランスは真のパートナーとしてこれまでよりも高い次元で協力しなくてはならなくなっている。ユーロ圏では金融政策を一本化したことに伴い,非対称的なショックに対応できる政策手段が財政政策のみとなった。加盟国間の財政移転がなければ,域内の安定はあり得ない。こうした構造的な脆弱性に鑑み,マーストリヒト条約(旧EU条約)では,通貨同盟の先に財政同盟や政治同盟が展望されていた。
折しも,7月から年末までドイツがEU理事会(サミット)の議長を務める。議長国は原則として全加盟国が輪番で務めるため,現行加盟国数の下でドイツにお鉢が回ってくるのは13~14年に一度である。議長国はEUの様々な会合で議題の選定等に一定の影響力を及ぼすことができる。共同体全体の利益の観点から,財政同盟へのイニシアティブを発揮することが求められるだろう。
EUは運命の分岐点に立っている。この半年の間でEU条約の改正に道筋をつけ,財政同盟に向けて歩み始めることができなければ,コロナ危機が去っても,南部加盟国はEUへの信頼を取り戻さないだろう。特に既に一帯一路に参加しているイタリアは,中国への傾斜を加速させるかもしれない。EUが崩壊したら,ドイツの繁栄もあり得ない。逆に域内をうまく纏め上げることができれば,メルケル首相は長きにわたる政治キャリアの花道を飾れるだろう。今年後半はEUの動向から目が離せない。
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