世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
国境なき世界とグローバル化の世界
(エコノミスト )
2020.05.18
経済開発ないし人類の経済活動は急速にグローバル化しているが,その全容を把握している人はおそらくいないであろう。様々な専門領域に遮断され,未だ統一的理解にまでは達していない。そうした状況下においても,地球観測網の目覚ましい技術開発が見られる。20−30年前の天気予報の精度と現在のそれを比較しただけでも,また車を運転する時に欠かせなくなっているカーナビ機能など,我々の日常生活スタイルは変化している。かつて,米軍のレントゲン写真や航空写真による画像解析資料を,断片的であったが骨董屋で目にしたことがあったが,リモート・センシングによる画像解析・データーの精度はそれらとは比較にならないほど高度である。
現在のリモート・センシング衛星による解析技術では,分解能31㎝(2014年:World View-3/US)の画像を入手することができる。リモート・センシング画像には国境は見出せない。当たり前だが,その情報から我々が何を判断するかは社会科学的な分析・推計力にかかっている。トランプ大統領就任以後,国境を強く認識する問題がクローズアップしている。ナショナリズムかグローバル化の深化か,といった議論である。最近では社会主義思想を擁護するグループまで,自給自足の経済圏を推進したいという,殆ど空想的理想主義とも思えるイデオロギーをもってグローバル社会を批判している。
そもそも第三世界といわれてきた諸国の開発に拍車がかかった契機は,どこにあったのだろうか。筆者はOECDレポート『新興工業国の挑戦』(1980年)が重要な役割を果たしたと捉えている。特段の大著ではなかったが,その指摘はこれまでの旧植民地工業化困難論とは全く異なっていた。アジアNICs論がこれ以降台頭する。韓国,台湾,シンガポール,香港という分断国家・地域が急速に工業化を成し遂げるようになったのである。また,この分析から,台湾の工業化と対照的にキューバ(大陸に隣接した同規模の島国)は社会主義政策故に工業化の達成には至らなかった。世界システム論からの指摘においても,この比較研究は一つの難題であった。だが,輸出志向工業化による国内経済と世界市場とのリンケージによって,それは説明可能であった。アメリカや市場経済諸国がNICs/NIESに対して,国内市場を開放することによって実現したのである。東欧諸国やキューバなどのソ連周辺諸国はこれが出来なかった。
ベトナムは例外である。敵国アメリカの市場にリンクする「ドイモイ」政策を掲げ,大胆に世界市場に適応したことは見事であった。しかも共産党政権を崩壊させることなく実現したのであるから,東欧諸国とは政治力学的に対照的である。アジアの柔軟性が遺憾なく発揮された事例であろう。これら諸国に共通する特徴は,人口や市場規模の小さな国の工業化戦略であり,経済特区の世界的連関によって工業化の初期条件を整備したことである。この政策的認識が必然的に超大国にも適用され,国内貧困の消滅というスローガンへと導かれた。ただこの時期,小国の成功体験を超大国に適応した際,発生する問題点を見抜いていなかったのである。産業構造高度化論と水平分業論によって「我が国は香港のようになれば良い」とか,工業化のヘッド機能とサービス経済化の進展を図れば,産業空洞化は避けられるとする論理である。だが,その追い上げは想像以上に劇的であり,また,環境負荷的な生産・開発至上主義への配慮も不十分であった。日米の経済協力や直接投資が結果するヴィジョンはミスリードに陥ったともいえる。
こうした産業政策を再度検討する時期である。市場経済分析は部分に過ぎない。これに対して,全球経済分析論は種々雑多な歴史事例や国際政治をも包含する分析手法である。通信革命が大規模に実現できている現代において,労働形態をそれに伴って変化させなければならないのは合理的選択である。必要最小限の交通と人の移動で,省力化した経済システムを達成することが出来れば,少子高齢社会への対応も容易になる。基幹的産業部門の精査に基づいて,ある程度の農業・製造業部門は国内に回帰させる必要があるだろう。
基盤産業の喪失は度重なる災難や災害時には弱点となる。そして,被災する度に国債発行を乱発するよりも,行政と事務作業の大胆な削減のために,ベーシック・インカムを導入する方が益は大きい。この度の一律10万円の支給はその「練習問題」としては合格である。サービス部門の肥大化で,人間的諸活動と人間労働の概念規定が難しくなっている時代だからこそ,この問題は優れて経済学的議論として相応しい。サービス残業というインフォーマル化した労働問題,年齢差別的な年功序列制度や年金制度,不動産神話や様々な社会的不合理性を排除する議論が待たれる。ベーシック・インカムの論議には原則として,移民を受け入れることは出来ない。社会保障の適用のみを目的に大量の移民流入が発生するからである。国家は破綻する。H.M.エンツェンスベルガーは『国際大移動』(1993年邦訳)で,そのことを指摘している。自国の政治制度を改革することは自国民の責任で達成すべきである。また,我々はライフ・スタイルと経済モデルの再考を迫られている,と考えるのが妥当である。
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