世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1721
世界経済評論IMPACT No.1721

コロナで「研究アイデア」の公開を決断した欧州経済学会

小原篤次

(長崎県立大学 准教授)

2020.05.04

 新型コロナウイルス(COVID-19)危機は,現地訪問を重ねる中国経済の専門家にとっては,企画した国際会議の中止など極めて大きな影響を受けた。さらに,国際経済学や国際ビジネス論の視点からは,グローバルズムやグローバルバリューチェーンの影響度の大きさは,グリンスパーン元FRB議長が世界金融危機時に使った「100年に一度か二度起きる」,歴史的な危機である。

 ここから小論を進めることは可能かもしれないが,では,この歴史的な危機の中で,経済学者として,自分の専門分野で研究を行っていくのか。まさに経済学者の意義が問われている。ただし,COVID-19のような感染症クライシスは,リーマンショックなどグローバルな金融危機より,経済学者にとって,畑違いのテーマでもある。

 そんなことを考えているうちに,アメリカ経済学会からメールが届いた。「あなたはいま何をしているのか」と頬を殴られた気がした。というのは,アメリカ経済学会が,欧州経済学会がCOVID-19危機に関連する経済学の研究を会員はじめ世界に呼びかけていることを,知らせてきたからだ。欧州経済学会は4月に入り呼びかけて,サイトで公開されているCOVID-19危機に関する研究プロジェクトはすでに100件を超えている。4月17日現在で104に及ぶ。当然ながら,定量分析,経済モデルなど主流派の分析アプローチを奨励しながら,定量的ではない研究40プロジェクトも排除していない。

 欧州経済学会は,研究プロジェクトと表現しているが,多くはわずかA4で1枚程度である。当然ながら,現在進行形の危機だけに,中身は玉石混交で,研究概要というより研究アイデアの表現が適している。つまり,平時であれば,アイデアを他者に奪われるリスクがあるため,研究の完成度が高くない段階で,個人ではなく,学会が積極的に公開するのは異例な対応である。

 欧州経済学会は,COVID-19危機中に,たとえば,価格,労働供給,雇用,家計,貯蓄,消費,態度・センチメントなどのデータを収集して分析することを奨励するとしている。プロジェクトの簡単な説明に,データ,国,研究デザインを明記してください。欧州経済学会は,ヨーロッパまたは他の場所で,データ収集作業を行うプロジェクトの登録を作成し,異なる国で同様の現在進行するプロジェクトに取り組んでいる研究者を認識し,つなぐことを目的とする。さらにはオンライン方式による国際会議,ジャーナル特別号の発行につなげていくという方針が示されている。

 欧州の大学研究者は4月から9月にかけてはあまり講義を担当しない。つまり長い研究期間が始まるタイミングでもある。とはいえ一人の市民として新型コロナウイルスに対する不安を抱えながら,教室の講義をオンライン講義に切り替えるだけではなく,学会や研究会のオンライン対応などにも追われ,普段より研究環境が良いわけではない。そうした研究以外に時間を奪われかねない環境の中で,欧州経済学会は強くCOVID-19危機に関する本格的な研究を促したわけである。

 欧州経済学会も米国経済学会も入会には一切,推薦者を必要としない。COVID-19危機の研究プロジェクトを欧州経済学会に送付し,公開されて学会発表やジャーナル投稿の段階で,WEB上から入会を申し込めばいいだけである。

 他方,日本の大学研究者も講義や学会のオンライン対応に追われている。さらに,欧米の大学カレンダーの違いから4月は動きにくいかもしれない。とはいえ,オンライン会議システムや電子ジャーナルを使えば,COVID-19危機に関する特別学会や特別ジャーナルを刊行することは可能である。

 欧州経済学会も米国経済学会も各国・各地域では,日本同様かそれ以上に,財政的に,社会科学の中での競合関係,より大きくは自然科学との競争関係にさらされている。

 ここからは私の推測・解釈に過ぎないが,COVID-19危機に対して緊急で大型の経済・財政政策が実施されている。将来,COVID-19危機収束後,各国政府は危機以前よりも,さらに財政制約に見舞われることに議論はあるまい。とすれば,将来の政治的,社会的な環境変化まで踏まえておくと,大学予算,学術研究予算を取り巻く環境は全く楽観的ではいられないだろう。そこで,欧州経済学会は,経済学者も専門分野で存在価値を示すときであり,この学術分野に対する将来的な財政面からの危機意識も強く,研究アイデアを公開するという,異例の行動を起こしたのではないだろうか。

 まさに,経済学者は「100年に一度か二度起きる」危機に対して,研究者として,のちの歴史にも耐えうる成果を残せるのかという,大きな命題に挑戦しようとしている。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1721.html)

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