世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
修正主義論争のススメ
(エコノミスト )
2020.03.09
パックス・アシアナの進展の下で
ユーラシア大陸経済の台頭の結果,香港やシンガポールはもちろんだが,上海,深圳は国際金融センターとしての地位を確実に上昇させている。そして,ロンドンは相対的に低落していることは誰の目にも明らかになっている。この情勢を金融面から分析した著作が,最新刊の斉藤美彦・高橋亘著『危機対応と出口への模索:イングランド銀行の戦略』晃洋書房(2020年3月刊)である。本書は主に『イングランド銀行四季報』の報告書を分析・検討し,中央銀行と資本主義経済の在り方を考察している。章別編成は次のようなものである。「第1章はカーニー体制下のイングランド銀行金融政策,第2章は貸出促進策としてのFLSの失敗,第3章はイングランド銀行の量的緩和からの出口政策について,第4章は量的緩和とイングランド銀行財務,第5章は中央銀行デジタル通貨(CBDC)の検討,第6章は中央銀行の独立性再考」となっている。OECD諸国は成熟経済達成により成長は鈍化し,軒並みゼロ近傍の政策金利のトンネルに入ってしまっている。「出口」を見出せなければ,中央銀行の国有化もあり得る。そんな中,MMT理論のような暴論とも思われる政策提案(?)も登場するようになった。しかしながら,本書は中央銀行の政治的従属ではなく,独立性を将来にわたって確保できるのかという問題意識に基づいて論述されている。
超低金利・ゼロ金利政策は先進諸国では我が国が先鋒を担った形だが,ロンドンでも2009年以降の政策金利は0.5%前後で推移しており,今のところ「出口なし」の様相を帯びている。イギリス経済は中央銀行の独立性やインフレ対策に懸念があるものの,幸い消費者物価上昇率は2%台に留まっている。また,失業率も4%前後と好転している。よく超低金利は「副作用」を齎すともいわれるが,高額預金保有者の多くは一部特権的階層や高齢の富裕層である。従って,高金利政策は金利生活者の優遇策になり,それこそ社会的問題であろう。しかも,かつての様な階級社会の取り崩しが,大規模な社会的混乱を招く時代でもない。
さて,国内金融のコントロール機能はひとまず安泰と見つつ,問題は国際金融センター機能の低下に係る点である。「ロンドン=ニューヨーク=東京」の国際金融センター機能の維持は,この3国の連携プレイが欠かせないのであり,今後この関係を高度システムによって強固なものにする必要があるのではないか。コンピュータ・ネットワーク・システムの信頼度は,まだまだ課題が多い。それ故,今なお金準備を担保しておかなければならない根拠も存在している。
イギリスのEU離脱やEU経済圏のドイツ集中の動向は,欧州経済の将来に構造的問題を投げかけている。アメリカ合衆国の独立によって,18世紀のイギリスは海外の大きな富を失う転機になったが,そのことが直接的契機となり,産業革命を加速し世界史の「大分岐」に成功した。今回のEU離脱も単なる欧州地域経済からの離反ではなく,世界市場におけるプレゼンスを日米と共にリードするチャンスに転嫁して欲しいものである。
移民問題もあるが
イギリスへの移民は8%程度であり,EU諸国内では特別高い方ではない。また既にEU域外からの移民は労働市場と経済構造にビルトインされており,容易にこの構造を変更できないシステムになっている。むしろ,階級社会のイギリスは一部の特権的高所得層と大部分の下位層の格差が問題になっている。もちろん無秩序な移民の受け入れは,イギリスという地域経済の形を溶解させてしまう。現状ではこれを制度的に規制しようとしているが,経済システムの特性上避けられない問題をはらんでいる。これは我が国の地方経済でも問題になっている,首都圏一極集中現象と類似している。移民とは全く異なるが,共通した経済構造に起因している内外の問題なのである。EU内周辺国である東欧諸国民のドイツやイギリスへの流入は,長期的に見れば放置できない課題でもある。地域や国土の広範囲での分散型有効利用という観点からは,不合理な選択肢だからである。
各国の人口構成が釣り鐘型から逆ピラミッド型に移行しつつある21世紀において,ピラミッド型を理想モデルとして,15歳から65歳までを生産年齢人口として規定し,これを増加させる政策のみが果たして妥当なのか。改めて検討しなければならない。この間の労働経済学を専攻する研究者の存在が,あまりにも希薄なのではないかとさえ思われる。「失われた青春を取り戻せ」と言わんばかりの,就職氷河期の採用試験に見る事態は尋常ではない。競争率数百倍という光景から見えてくるものは,労働市場の流動化の要請であって,労働力の総数が不足しているわけではない。こうした認識が肝要なのではないか。シビアな現実分析の欠如が齎した労働市場の構造問題がそこにはある。
成長なき市場経済の新たなシステム
イギリスも日本も第1次・第2次産業の空洞化の進展で,投資先が限られている。ゼロ金利政策は金融政策そのものをないものにしている,という側面は否めない。しかし,物は考えようでデジタル・数量管理によるコントロールという,新たな局面に入ったのかもしれない。もちろんこのデジタル・コントロールの技術的課題は完全に払拭されているわけではないが,このシステムの高い信頼性を構築する要請は避けられない。
資本主義は資本の増殖を原理にした経済社会システムである。もし,ゼロ金利の永続的継続がなされれば「資本主義はもう死んだ」という声も聞こえてきそうではあるが,むしろこうした特異な局面も,バイタリティーを持った一つの資本主義的システムの歴史過程と見るべきではないだろうか。社会は常に修正されていくものであり,留まる所を知らない。確定的なものではないが故に,デモの暴徒や反乱といったもので「極楽浄土」の社会を夢想したところで,特別の意味はないだろう。整然と新たな事態を国民各層が謙虚に受け止めるべきである。
他方で,アフリカや南米大陸といえども,フロンティアの開発余地が大きいとはいえない。成長著しいとされる新興諸国群の従来型の経済開発に,問題はないのだろうか。あまりに環境負荷的な経済構造や単なる数量ベースのみの成長主義では,人間社会に相応しいシステムとはいえない。この難しい地球的課題を解決せずして,真に有効なグローバル経済システムを形成することにはならない。おそらく持続可能な地球的規模の経済システムは「資本主義市場経済」と「社会主義市場経済」の統一であり,社会政策を重視した資本主義的市場経済というべき政策体系なのかもしれない。資本主義は漸次修正されていくものである。世紀前の基本原型にとらわれないのが,市場経済の柔軟性であり,調整機能である。リスクは能力に応じて,全ての人が応分に負担すべきであり,それ以上を求めることもないのかもしれない。そして,そこにはサルトル的「出口なし」も,「後期資本主義」も「爛熟」もないはずである。ただ歴史の審判を待つのも一つの方策である。
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末永 茂
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