世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1591
世界経済評論IMPACT No.1591

WTO上級委員会の機能停止問題

柴山千里

(小樽商科大学商学部 教授)

2019.12.30

 12月11日より世界貿易機関(WTO)の紛争解決機関(DSB)上級委員会が事実上の機能停止になった。WTOにおける最高裁に当たる上級委員会の委員の数が1名となり,3人で1つの紛争解決を審理するという規定を満たさなくなったからである。下級審にあたる小委員会で解決せずに上訴される案件の比率は約7割に達していることから,これは由々しい事態である。

 2001年に始まる多角的貿易交渉であるドーハ・ラウンドが終結を見ない今日にあっても,DSBはWTOに加盟する164カ国および地域を自由貿易へと志向させる重要な機能を担っている。審理中の案件は,WTO発足当時は月平均10件に満たなかったが,2009年には15件となり,2019年12月は44件に至っている。近年の保護主義の広がりも相まって,DSBの重要性は増しているのである。

 WTOにおける紛争解決は,次のように行われる。ある国がWTOで約束した関税率より高い関税率を設定するなど自由貿易に対する逸脱行為を行うと,まずは被害を受けた国と加害国が当事国同士で二国間協議を行う。それにより和解がなされなかった場合,WTOへの申し立てにより,小委員会(パネル)が設置される。小委員会では,申立国と被申立国の意見書の提出,口頭陳述,小委員会と当事国との質疑応答,第三国会合を経て報告書による裁定が下される。当事国が小委員会の報告書の論旨に異議がある場合,上級委員会に訴えることができる。上級委員会では小委員会が行った法的解釈に限定して審理が行われる。上訴国および被上訴国の意見書提出,口頭陳述,上級委員と当事国の質疑応答,当事国と第三国の意見陳述を経て報告書が採択される。もし被申立国がWTOの勧告に従い侵害行為を改めず,代償行為も行わない場合,申立国はDSBの承認のもと対抗措置を取ることができることとされている。

 このように,DSBは,WTOへの逸脱行為に対し,最終的にはWTOの枠内で制裁措置を取るという脅しのもとに自由貿易に向かうように誘導するとともに,後戻りできない報復合戦にならないように歯止めをかける機能を果たしている。

 委員の選任は,小委員会に関しては,各案件に対してWTO事務局が望ましい委員に関し当事国からの意見聴取ののち6名ほどの候補者をリストアップし,当事国の合意もしくは協議の後選出するが,上級委員の場合は異なる。4年の任期で1回に限り再任が可能で,定員は7名である。法律,国際貿易,対象協定に関する専門知識を有する権威のある人物で,いかなる政府とも関係を有してはならず,WTOを広く代表する者が適任とされている。事務局長,一般理事会,物品理事会,サービス理事会,知的所有権の貿易関連の側面に関する協定(TRIPS)理事会,DSBの各議長からなる6名の選任委員会が各加盟国との協議を経て推挙し,DSBにおいて反対がなければ選任される。今日,定員の6名が欠員となったのは,米国が継続的に委員の再任や補充を拒否しているためである。このため,2017年から欠員状態が続き,このたび遂に1名になってしまった。

 この米国の頑なな姿勢は,米国が敗訴した幾つかの案件に不満を募らせ,上級委員会のあり方を問題視するに至ったという理由による。米国は2017年5月のDSB会合において,WTO協定文書に記載のない権利・義務を創出し,事案の解決に直接関係ない論点や当事国が判断を求めていない論点について積極的に判断したことを懸念すると表明した。つまり,現行のDSBシステムでは,WTO協定を超える事柄についても上級委員会の判断でWTOのルールになってしまうことを抑制できないのではないかと危惧しているようなのである。

 しかしながら,2018年7月3日のブルームズバーグ通信記事によれば,WTOに提訴した案件に関する米国の勝訴率は87%,米国が訴えられたケースで他国の敗訴率が75%であり,全加盟国・地域の平均値よりも高く,米国がDSBの恩恵を受けていることも確かである。委員の選任に反対し続け,上級委員会の全ての審理を停止させる行為は,世界全体にとってはもとより,米国の国益にも叶う行為には見えない。

 米国の問題提起により,WTOでは上級委員会を改革する動きが出ているが,上級委員会を制御すべきとする米国と機能強化を主張する欧州連合(EU)などの意見の隔たりが大きいこともあり,道のりは遠そうである。当面は,上訴せずに小委員会の判断を受け入れるか,上訴案件に関しては元上級委員が仲裁するなどで対処することになりそうだ。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1591.html)

関連記事

柴山千里

最新のコラム