世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1569

ラグビーW杯日本大会のソロバン勘定とその含意

藤村 学

(青山学院大学経済学部 教授)

2019.12.09

 3年前の拙稿「五輪招致は勝者の呪い?」(「勝者の呪い(winner’s curse)」とはセリにおいて真の価値以上の価格で競り落としてしまう現象を指す)では,五輪のホスト都市にとって経済的便益・費用は概ね純マイナスであり,東京五輪についても負の遺産を少しでも減らすべきだと主張した。新国立競技場の建設費が4年前に設定した上限内に収まるという報道があった(それでも招致活動当初の見込み額をオーバーしている)が,これが事実だとすれば歓迎すべきニュースだ。一方,国際オリンピック委員会(IOC)によるトップダウンの決定で,マラソンと競歩の会場が札幌へ移った経緯はお粗末であり,これによって東京都が暑さ対策に投下した公費(約340億円と聞く)に,新たに生じる札幌での開催準備・運営費が加わり,東京五輪のソロバン勘定は確実に悪化するだろう。

 五輪をはじめとする大規模な国際スポーツイベントを考えるうえで,この秋44日間にわたり日本を沸かせたラグビーW杯のソロバン勘定が大いに参考になるだろう。専門家による事後評価はしばらく出てこないだろうが,現状で入手可能な断片的な情報から非常に粗い便益・費用のソロバン勘定のようなものを試みたい。

 W杯ホスト国にとっての経済便益としては,①W杯会期中とその前後に,W杯観戦に来日した外国人来訪者のチケット購入,スタジアム内外での消費,日本国内を旅行して落としていった消費額,日本人ラグビーファンのW杯がなかった場合と比べて支出したチケット代金および追加的飲食・移動支出,などを合わせた直接的GDP押し上げ効果,②大会による「素晴らしい日本」ブランド宣伝効果による貿易・投資・観光波及といった間接的GDP押し上げ効果,③ホスト国民の心理的便益,というふうに大まかに分類されよう。

 直接的便益の①についてはW杯後の様々な報道情報から,今回の日本大会は,ラグビー強国のティア1ホスト国での大会と遜色ないパフォーマンスだったと考えられる。観客動員総数は約170万人と,過去9回のW杯のなかで歴代5位にランクインした。1試合平均の観客動員数も3万4596人と,同じく歴代5位である。ラグビー強国からの訪問客は,訪日外国人全体の平均に比べて滞在期間も長く,1人あたり支出額が大きかったであろうことも容易に想像できる。一方,間接的便益の②については,時間軸が長く,因果関係も特定困難であり,便益に含めるのはためらわれる。心理的便益の③については,日本代表がグループプールを4戦全勝で8強に進んだことが,ラグビーという競技に魅力を見いだした国民全般に高揚感と満足感をもたらしたとは思う。しかし,チケット代を払った人以外の「興奮した,面白かった」が実際にW杯開催をサポートするためにポケットからいくら出すかとなると非常に怪しく,観光収入と同列に扱って便益に含めることには無理がある。

 したがって,経済便益側は直接効果の①をベースに考えるのが妥当であろう。その手がかりとして,大会組織委員会がネット上で公開している“The Economic Impact of Rugby World Cup 2019”という事前分析レポートをベースに,事後報道からの断片情報と組み合わせて考えたい。

 同レポートの「経済効果」の積み上げ手法は,2015年のイングランド大会の1年後に,4大会計・コンサルタント会社の1つであるErnst & Youngが作成した「開催後分析」レポートの手法をなぞっている。そのサマリー情報は以下の通りである。

  • (a)スタジアム等インフラ整備のための支出額400億円,GDP増加効果181億円
  • (b)大会運営のための支出額300億円,GDP増加効果208億円
  • (c)日本国民による支出額160億円,GDP増加効果78億円
  • (d)外国人訪問者による支出額1057億円,GDP増加効果522億円

以上を合計し,直接的な「経済効果」が1917億円,「GDP増加効果」が988億円だと主張している。

 五輪大会の事前・事後に主催者であるIOCは経済評価を行っていないのに対し,ラグビーW杯は主催者がこうした事前・事後の経済分析を公表していることは評価できる。しかし,このレポートの重大な欠陥は,マイナス勘定であるはずの「費用」項目が存在しないばかりか,(a)や(b)の支出額はW杯がなければ生じなかった費用項目のはずなのに,「経済効果」としてプラスに計上されていることである。

 上記のGDP増加効果がどのように積算されたのかは測り知れないが,これらの数字を援用したうえで,いささか大まかながら,ソロバン勘定を以下のように補正してみた。

  • [費用項目]
  •  ・スタジアム等インフラ整備に支出された400億円をそのまま受け入れる。
  •  ・大会運営費用300億円をそのまま受け入れる。
  • [便益項目]
  •  ・インフラ整備から派生したGDP増加分181億円をそのまま受け入れる。
  •  ・大会運営から派生したGDP増加分208億円をそのまま受け入れる。
  •  ・日本国民が,W杯がなかった場合に対して追加的に支出した額として,上記GDP増加分78億円でそのまま差し替える。
  •  ・外国人訪問者が,W杯がなかった場合に対して追加的に支出した額として,上記のGDP増加分の約半分の250億円を計上する(2019年10月28日付の観光経済新聞報道によれば,2019年9月の訪日外国人数は前年同月に比べて約9万人の純増だった。10月も同等の純増があったとして,W杯がなかった場合に対して20万人がW杯目的に訪れたと仮定し,上記レポートの想定である「41万人」のだいたい半分の追加的観光収入と考える)。

以上を単純に加減すると,日本国民にとっての便益・費用はプラス17億円となる。ソロバン勘定は辛うじてトントンというところだろうか。「運営費用」にW杯開催に伴う追加的警備費や参加チーム移動費やキャンプ地のホスト費用などが計上されていると好意的に解釈したうえで,日本国民の心理的プラス効果があるとすれば,国際スポーツ招致の概ねネガティブな経済史のなかで今回のラグビーW杯は成功の部類に入りそうだ。

 東京五輪の最新(2018年12月)の公表予算規模は1兆3500億円で,事後的にはこれを超えることが容易に予想される。これに対して今回のラグビーW杯の準備・開催費用は,多くてもこの1割にも満たないようだ。大会で使われた12会場のうち,新設スタジアムが1カ所だけで(釜石鵜住居復興スタジアム),大規模な改修を行ったものが2カ所(埼玉県熊谷ラグビー場と東大阪市花園ラグビー場)だった。2002年のサッカーW杯で建設された多くのスタジアムを流用できたことがインフラ整備費の節約につながったと思われる。事後的にインフラ整備費用が当初見込みをオーバーしたとしても,これまでの報道から推測される東京五輪のソロバン勘定と比べてはるかに好ましい結果と言えよう。

 前稿での論考と合わせて言えることは,五輪のように拡大し続ける競技種目数を短期間にこなすタイプの国際スポーツイベントを招致する場合,競技インフラを多数新設・維持しなければなないホスト都市にとって経済合理性が疑わしいということである。単独競技のW杯にしても,観客動員数,外国人訪問者とその滞在期間中の支出などが新たに整備・維持しなければならないインフラ費用や運営費用に対して十分見合う見込みがなければ,やはり経済合理性は疑わしい。国際スポーツイベント招致の経済史を精査せず,招致ありきの見切り発車の結果「勝者の呪い」が現実となるとき,勝ち組は誰であれ,納税者が負け組となるのは間違いない。

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