世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1546

高等教育のあり方について:日本型市民社会形成の条件

高橋岩和

(明治大学 名誉教授)

2019.11.18

 これまで筆者は本「インパクト」において,「日本型市民社会」についてその歴史,内容,将来像について述べてきた。筆者の考える同社会の中核となる構成要素は詰まるところ,議会制民主主義,社会的市場経済,基本的人権の保障の三つであり,これらを「(イギリス流の)法の支配の原理」のもとで高度に実現してゆくことが目指されるべきであるということであった。なお,軍事面での安全保障の確立はこの実現の前提となる。

 このような認識と主張に異論は少ないと思われるが,問題はそこから進んで,それぞれの要素に係る個別的論点についての是非の判断ということになろう。この個別的論点はそれこそ多様に存在しようが,それらに共通して基底に存在する重要な論点の一つは教育の問題であろう。それも高等教育,具体的には大学における教育のあり方,換言すれば日本型市民社会を支える高度人材育成のあり方という問題である。そこで,今回はこの教育のあり方について論じてみたい。

 今日の日本の大学における学部教育は,専門課程と教養課程とに大別され,専門課程では専門知識の詰め込み教育が行われ,教養課程では,相互に脈絡のあまりない多様な論題についての講義が大教室で一方的に行われているというのが現状であろう。このような教育の問題点は,文系の場合であるが,個々の学生に対する到達目標を見据えた系統的科目履修の仕組が学部側で用意されておらず,卒業単位を満たすためのアドホックな科目履修が大多数の学生により行われている点であろう。その結果,卒業単位を三年時までに充たしてしまい,四年時は大学には週一日,一科目の為のみに通うといった看過し得ない多くの学生にとっての状況が生じている。なお,語学科目は一般教養科目とは区別されて比較的小人数での教育が目指され,特に英語教育については,専門書が読めて,ビジネス英語会話に堪能となるという特段の具体的目標が設定されている場合が多いとはいえ,英語の学力が一番高いのは入学時であって,学年が進むにつれてそのレベルが下がり,専門書を読めるところに到達させるといったことは大半の場合画餅でしかないであろう。

 このような現状は,各種資格試験を目指す学生やアルバイト学生を確保したい企業,さらには仕送りで悲鳴を上げている親にとっても,必ずしも忌避すべき状況とはいえないかもしれない。しかし,日本型市民社会論からみれば,それは大きな社会的損失である。大学としては,あくまで大学が理想と定める教育プログラムのもとで学生が自発的に研究し,将来性のある有意な人材に育ってほしいのである。そこで,この「大学が理想と定める大学教育プログラム」の組み方とその実施のあり方が問題となろうが,筆者の見立てではそれは以下の諸点である。

 第一は,いかに大学教育が大衆化したといっても,専門教育課程ではその目標とするところの専門知識をきちんと身に着けてもらうことである。法律学でいえば,ありていに言って三年生秋学期終了時までに法学検定試験準一級合格程度の学力を習得することである。筆者としてはこの合格を卒業単位としたいほどである。第二は,専門教育と一般教養科目の連携・相互浸透である。この点について次にやや詳しく筆者の実践例について述べてみたい。第三は,語学教育のあり方であるが,能力別クラス分けにより,先頭を進む学生達には短期留学の機会の提供等さらなるインセンティブを与えることであろう。付け足すとすれば,教育内容の到達点としては,英語での,できれば専門科目についてのプレゼンとディベートに係る能力の獲得であろう。

 さて,第二の「専門教育と一般教養科目の連携」であるが,第一は,一,二年生で原則履修することとなっている教養科目の履修を,選択必修制を使って何単位かは四年生にまで義務づけてほしいことである。例えば,「社会思想」といった科目は一年生で履修する場合と四年生で履修する場合とでは,履修生の受ける知的刺激は格段に異なるであろうからである。第二は,教養課程と専門課程を問わず,討議力と論文作成力を身に着けてもらうことである。これらを英語でも行えるまでの訓練があれば,申し分ないであろう。そこで次に,この取り組みについての筆者の経験を述べてみたい。

 筆者は大学教員として四十年近く教えてきたが,教え始めて数年後に痛感したのは学生達に如何にして討論をさせ,その結果を論文に纏めさせるかということであった。講義ではこれは容易になしえないので,演習(ゼミナール)において実践することを試みた。これまで専任として二つの大学で,非常勤を含めると恒常的に三つの大学で,また短大,学部,大学院法学研究科,さらには法科大学院においても教えてきた。これらのすべてを通じて筆者は「討論と論文作成」に係る能力の開発を至上命題としてきた。結論としていえば,一クラス十名の履修生がいれば,これは可能であったといえると思う。

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