世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1529
世界経済評論IMPACT No.1529

トルコのしたたかさは何処まで続くか

並木宜史

(ジャーナリスト norifumi.namiki@gmail.com)

2019.11.04

 アメリカとトルコはシリアのクルド問題で和解したのか。アメリカ軍は7日,突如北シリアのセレカニエ(ラスルアイン)とギレスピ(タルアブヤド)から撤退を開始し,9日トルコ軍はシリアへの越境作戦を開始した。トルコは作戦目標の一つギレスピを早期に占領したものの,セレカニエでクルド側の思わぬ抵抗に遭い,一度占領したと発表した市の中心部をクルド側に奪還された。アサド政権も14日,急遽クルド側と合意し部隊を北シリアに進駐させた。国境のコバニ,ユーフラテス川西岸の要衝マンビジュにはロシア軍が入った。トルコ側が苦境に陥る中,アメリカ副大統領ペンスと国務長官ポンペオがトルコを訪問し,エルドアンは5日の停戦に電撃合意した。そしてアメリカは,21日さらに残った部隊が北シリアから撤退を完了しイラクに到達した。そして停戦期限の22日今度はエルドアンとプーチンが会談し「歴史的合意」に達した。トルコが主張する領域からのクルド勢力の撤退,トルコ軍とロシア軍の共同警備というトルコにとって玉虫色の内容だ。そのためトルコはこれ以上の作戦継続の必要はなくなったと声明を出した。

 トルコの作戦停止決定に伴いトランプも制裁撤回を発表した。しかしアメリカとトルコの事実上の対立関係は解消されていない。否,トランプの撤退決定によって与野党を越えた親クルド反トルコ世論が示された。トランプの盟友グラハムと天敵ペロシががクルド救済のため協力した。民主党左派サンダースはトルコは同盟国ではないと言い切った。トルコがエルドアンのイスラム主義的中東志向を止め欧米世界に回帰しなければ危機は終わらない。

 トルコの対イラン制裁逃れ疑惑も再燃中だ。アメリカ当局はトルコ国有銀行「国民銀行」の資金洗浄,制裁逃れ問題を追及すると発表した。金商人でありエルドアンとも親しかった政商「レザ・ザラブ」が,トルコ政府の意を受けてイランへ制裁逃れの金密輸を行っていたことが発端だ。2016年にアメリカで逮捕され,裁判で多くの事実を明らかにした。それによりこの制裁逃れはトルコ国有銀行も関与する国家的な犯罪であることが明らかになった。アメリカ国民は同盟国トルコが如何に自国を欺いてきたを見せつけられた。

 アメリカは昨年のブランソン牧師拘禁問題でトルコに制裁の威力を見せつけた。それ故トルコの戦費が無くなれば軍事行動も終わるという観測もある。トルコが北シリア侵攻を表明して以来リラは下落した。外貨準備高が目減りすれば戦争継続能力も無くなるという論だ。歴史的に見れば必ずしも正しくない。その好例が日米戦争だ。日本は日米開戦の時点で,満州事変から数えれば既に10年間も泥沼の中国侵略を続けていた。日本は中国に勝つことはできなくても,濫発された戦時国債の償還や軍部の責任問題から戦争を止めることもできなかった。エルドアンも同じだ。侵略を辞めれば途端に自身の悪政への追及が始まり吊るされることを理解している。アサド政権のシリア外務省は17日,トルコの侵略はエルドアン政権の拡張主義の帰結と声明をだした。欧米や日本のメディアはクルド人が主張する「民族浄化」の危機については報じるが,シリア国家の領土主権侵害は問題にしない。シリアはトルコの隣国だけあり,「安全保障」や「民族問題」といった抽象的問題より,実利がトルコを冒険に駆り立てていることを理解している。エルドアンの「新オスマン主義」とは,トルコ人を過去の栄光に浸らせ国内の矛盾を国外侵略で誤魔化そうという魂胆のものだ。トルコには今政府の暴挙を止めることのできる勢力がいないのも,当時の日本と似ている。

 トルコは制裁を恐れつつもNATO第2位の軍事大国にアメリカもうかつに手を出せないと見くびっている。トルコのインジルリク空軍基地にはアメリカの核兵器が格納されている。2016年7月のクーデター後には電源喪失に見舞われ,その後核を移送するとも報じられた。エルドアンからアメリカへ核に関する脅迫のメッセージだった。NYタイムズはコラムの中で匿名の国防省幹部による今回の危機においては核を移送しないとの憶測を伝えた。急激にアメリカがトルコから撤退すれば,トルコ側の態度硬化を招くという配慮もあろう。

 アメリカがクルドを見捨てていないのと同じくクルドもアメリカを捨てていない。北シリアは油田地帯でもある。それゆえエスパー国防相は油田地帯防衛のため小規模な部隊を残留させる可能性に言及していた。シリア民主議会議長イルハム・アフマドはアメリカを訪問し再度の米軍部隊派遣を訴えた。クルド側が何より強調するのが飛行禁止区域の設定だ。または空軍を持つトルコと対等に闘うため対空装備を求めている。今ここでトルコの侵攻に対峙するクルド勢力に十分な武器を支給することは,後のより大きな出費,出血を節約することになる。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1529.html)

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