世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3536
世界経済評論IMPACT No.3536

トルコ経に復調の兆しも伝えられない泥沼

並木宜史

(ジャーナリスト norifumi.namiki@gmail.com)

2024.08.26

 長い混沌の中にあるトルコ経済に明るい兆しが見えつつある。発表された先月のインフレ率は約61%で前月の約75%より劇的に低下した。年末までにはさらに平常化へ向かうだろうとの見立てもある。先の統一地方選で与党が大敗したことで,大統領エルドアンに正気が戻り,経済運営,そして政治も正常化していくという楽観的観測がとなえられている。一方で,トルコが取り返しのつかない泥沼にはまり込みつつあることはクローズアップされない。

 まず一つはパレスチナ問題をめぐる動きだ。トルコは周知のとおりイスラエル批判の急先鋒だ。イスラム主義が党是の与党にとってパレスチナ問題でのアピールは避けられない。政治経済への不満をそらす意味もある。ただ,10月7日攻撃の絵図を描いたとみられるイランと比べると,その関与は受動的なものだ。イランは傘下の武装勢力を戦略的に動かし,その結果として発生した戦争を巧みに欧米世論の操作などに利用している。エルドアン政権はガザ問題において主体的に流れを作ることができないどころか,ハマスもといイランのプロパガンダに扇動された与党支持者の暴走に足を引っ張られている。

 昨年10月には,イスラエル最大の同盟国アメリカへの反発から,核兵器も格納されているインジルリク空軍基地において大規模な抗議運動が発生。基地への襲撃に発展しかねない事態に陥ったが,当局はこれを積極的に取り締まることはできなかった。また,昨年からX上では「トルコ兵をガザへ」というスローガンが何度もトレンド入りし,ガザの悲劇を止めることができないエルドアンへの支持者への不満も高まりつつあった。こうしたなかで先月末,エルドアンは,パレスチナを守るためトルコはイスラエルに介入できるという発言をした。トルコをイスラエルとの戦争に巻き込みかねず危険なものだ。

 トルコは5月,イスラエルとの全貿易を停止すると宣言した。尤もアゼルバイジャン産の天然ガスなどの輸出は黙認されているという情報もあるものの,リラが暴落しインフレが加速するなか,貴重な外貨収入源を自ら断つのは愚行としか言いようがない。経済的損失を勘案しても政治を優先したと見ることもできる。ただそうであれば,ガザ侵攻開始直後にこうした措置に出ていないとおかしい。暴走した世論により,政府は反イスラエル的行動を強要されたと言える。今後もずるずると望まない関与を強いられることは想像に難くない。

 より深刻なのは,イラク・クルディスタン地域への全面侵攻だ。名目はイラクに本拠地を構えるクルディスタン労働者党(PKK)の掃討である。これを額面通り捉えることはできない。エルドアンは3月の統一地方選で大敗を喫し,政権浮揚のためにトルコ国家の伝家の宝刀,クルド攻撃に頼らざるを得なくなった。与党の一角,トルコ至上主義政党・民族主義行動党(MHP)を喜ばせることができるし,本来は与党よりも反クルド的な最大野党・共和人民党(CHP)も政権に文句をつけにくくなるためである。

 トルコは侵攻開始以前にイラク側と交渉し,対PKK作戦への協力で合意したと大騒ぎしていた。また,主にシーア武装勢力の集合体,人民動員軍も参戦すると言われていた。蓋を開けてみれば,イラク側はただトルコ軍の行動を黙認するに留まっている。イラクは初めからエルドアン政権の足元を見て,同国にとって最大の懸案であるチグリス川の水問題で有利に交渉を進めるために表明上協力的態度を示したに過ぎない。

 こうしてトルコは国境地帯からのPKK掃討という表向きの戦功を立てることすらできず,徒に戦死者を増やしている。トルコは北キプロスや北シリア同様,北イラクの恒久的な占領を企てているが,その経費は悪化するトルコの財政をさらに圧迫し続けるだろう。

 今度の侵攻はトルコが誇る無人機の評判を貶めるものにもなっている。トルコの無人機は2020年に再燃したナゴルノ・カラバフ紛争で一躍有名となった。対空装備を持たないクルド系武装勢力にとっても重大な脅威であった。それが昨年から急激に撃墜報告がなされるようになり,SNS上には撃墜の瞬間とされる映像や無人機の残骸の画像が氾濫した。それに留まらず,PKKは自爆型ドローンまで積極的に使用するようになった。

 PKKが突然,無人機をめぐり戦果を上げるようになったことについて,この分野で競合するイランが秘かに支援しているという話もある。いずれにせよ,トルコが競争力を持つ数少ない分野においても,その実力を疑われる事態になっているのだ。

 与党が選挙でお灸を据えられたことでトルコは民主主義・欧州回帰への道を歩み始めた…トルコ人識者などが振りまくこのような言説はおとぎ話に過ぎない。何としてでも権力を維持しなければならないエルドアンが,国家をより破滅的な方向へ導いているというのが実相だ。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3536.html)

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