世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1271
世界経済評論IMPACT No.1271

「債務の罠」のパラドックス

唱  新

(福井県立大学 教授)

2019.02.04

 パラドックスとは正しそうに見える前提と,妥当に見える推論から,受け入れがたい結論が得られることを指す言葉であり,逆説,背理,逆理とも言われるが,アメリカが提起した「中国の〔一帯一路〕政策は〔債務の罠〕」だという仮説はこれに当てはまる。

 確かに中国の「一帯一路」政策で投資する相手国には国際債務を抱えて,その返済に苦しむ国がある。しかし,経済学の原理からも,アジア各国経済発展の経験からも,さらに「一帯一路」政策の実際状況からもみて,この「債務の罠」という仮説は成り立たないといわざるを得ない。

 まずは経済学の原理からみれば,周知のとおり,一国の国際債務に関してはかつて,国際収支構造の変化を説明するクローサーやキンドルバーガーの「国際収支発展段階説」があり,日本の多くの経済学者も戦後アジア経済の発展に基づいて,その実証研究を行ってきた。

 この「国際収支発展段階説」では一国の経済発展に伴う貯蓄と投資のバランスを,人のライフ・サイクルのように,一定の条件のもとで規則的なパターンで変化するものととらえ,対外的な資金の流れとして,①未成熟債務国(未成年),②成熟債務国(青年期),③債務返済国(壮年期),④未成熟債権国(中年期),⑤成熟債務国(中年後期),⑥債務取崩国など,六つの発展段階を想定している。

 低開発段階にある未成熟債務国では生産力が低くて,総需要は総供給を上回っているため,恒常的な経常収支赤字により,国際債務は累積される。しかし,国内のインフラ整備や企業の設備投資の進展に伴って,国内需要以上に国内生産力は増強され,貿易収支は黒字の持続的増加及びそれによる経常収支構造の改善に伴って,その国は順次,成熟債務国,債務返済国,未成熟債権国,成熟債権国へと変化する。日本をはじめ,アジアNIES,ASEAN,中国などの国と地域の経済発展はまさにこのプロセスで進展されてきたといえよう。

 それで中国の「一帯一路」政策に目を転じると,基本的には港湾,道路,鉄道などのインフラ整備や工業団地及び観光施設の開発を総合的に行っているので,長期的にはその国の工業化を促進し,工業製品の輸出拡大や国際観光収入の増加により,物品貿易収支とサービス貿易収支の黒字により,経常収支の改善につながる。現在の中国の「一帯一路」政策の投資により,投資相手国での経済活性化効果は大きく,将来,これらの国の経常収支改善につながるであろう。

 最近,「一帯一路」政策の重点投資国であるASEANのラオス,カンボジア,アフリカのエチオピア,中央アジアのカザフスタンなど,多くの国々では中国のインフラ整備や直接投資により,経済の活性化輸出の拡大が進み,その経済効果は徐々に表れてきた。

 しかし,南アジア及びアフリカの国々は未成熟債務国の段階にあり,国内の生産力は極めて低いため,インフラ整備と企業設備投資に必要な機械設備,資材などは中国からの輸入に依存せざるを得ないので,短期的には貿易収支の赤字を拡大するのは間違いない。しかし,長期的には国内生産の拡大及びそれによる工業製品の輸出増加により,債務問題は解決できるであろう。この目標を実現するためにその国の政治的安定と効果のある産業政策も必要である。

 また,「中国の投資相手国への貸出金利が高いため,相手国の債務負担を増大させた」説も「債務の罠」の論拠ともなっているが,このことは事実と異なっている。

 中国の「一帯一路」沿線国に提供した資金には市場金利に準ずる商業融資があるが,一方多くの対外援助も含まれている。中国の対外援助はすでに1950年代から始まって,2000年以降,急速な経済成長に伴って,対外援助の金額も急拡大した。

 中国の対外援助には主に無償援助,無金利貸出,優遇貸出の三種類がある。その中で,無償援助は主に人道的援助及び病院,学校,給水施設などの社会福祉施設の建設を行うが,無金利貸出は主にインフラ整備と民生施設の建設を中心に,優遇貸出(金利2〜3%)は主に開発途上国のインフラ整備と石油,鉱山の開発を中心としている。

 「一帯一路」政策の中でこれらの援助資金の提供を通じて,中国は大型インフラ整備,技術協力,人材開発,環境保護,人道主義援助,債務減免などの面で,多くの開発途上国への経済支援を行ってきた。その中で,パキスタングワダル港の開発は無金利貸出で,スリランカのハンバントタ港の建設には優遇貸出(金利2%)で行った。

 要するにインフラ整備の経済効果が出るのは時間がかかる。中国の「一帯一路」はその構想を提起してから5年間,実施してから3年間しかないので,まだ試行錯誤の模索段階にあり,その方向は間違っていない。今すぐ結論を出すのは時期尚早であり,5年,10年という長期的な目で見て,その経済効果は徐々に現れるのであろう。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1271.html)

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