世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1269

スミス-ケインズの経済精神

末永 茂

(前いわき明星大学 非常勤講師)

2019.02.04

 農地と富の不均衡が途方もなく拡大すると支配層が交替し,均分に官給田の再配分を行う。これを繰り返してきたのが,工業化に先立つ封建制度的農業社会である。漢王朝が崩壊する直前,つまり黄巾の乱(A.D.184年)が起きた時代は,以下の様な状況であった。

 「豪商の家は棟を連ねること数百。所有する膏田は制限を超え,そこに働く奴隷は千を数え,農奴は万で計る。船車を利用する販売者は四方至らざるところはない。廃居の貨物はうず高く,都城にいっぱいとなり,珍しい宝物は巨屋に入りきらず,馬牛羊豚は山野にあふれる」(時の為政者に宛てた仲長統の警句)。

 富は溢れている。だが,分配と再分配機能が有効に働いていない歴史記述である。

 自由貿易や自由主義を主張したアダム・スミスは,経済学を論じる前段で道徳哲学を講義したことは良く知られている。『道徳感情論』第1部で「行為の適合性」を論じ,その終わりの章で「富者の貧者に対する道徳感情の腐敗」について戒めている。この書は新大陸攻略によるヨーロッパ経済の興隆をもたらした,重商主義政策そのものに対する批判がベースとなっているように思える。生物としての「種の保存」は利己的なものを根源としてはいるが,単に個的存在のみで維持できないことは明瞭である。個人に先行する「適合性」という社会観念がそれである。新自由主義の個人による競争原理に対する批判的先行の観念である。

 個人プレーでもない業態において,成果主義と称して過大な格差を設定するのは如何なものであろうか。そして,競争から取り残された者は社会保障の対象として,国家に預けるという尤もらしい言説を聞くたびに,その租税負担及び累進課税制はどうなっているのだろうか,と頭を傾げる。かつて強固な全体主義的社会主義体制を敷いた時も,支配層が肥大化する非効率な社会的構造であった。果たして,これらは合理的選択理論に叶った社会と言えるのだろうか。

 個人で使い切れないほどの富を独占する経営層よりも,土光敏夫の方が遥に魅力的に感じる。なぜなら,彼は「職務のやりがい」と「報酬」の相関関係を断絶させたからである。これはトップ・リーダーの人生観・社会観に起因する問題である。さらに,新自由主義は民間活力を引き出すのが哲学なら,必要以上に社会保障に重点を置くような論説は,自己矛盾ではあるまいか。経営は自ら社会的活力を生み出す「就業形態」や「最適賃金体系」を創造するのが,シュンペーター的企業家精神と言えるのであろう。気概のある人物のみがリーダーに相応しく,それがスミスの精神にも繋がる。競争とは創意工夫による市場の刷新である。この刷新は広範な知識の有機的な連結によって達成可能である。ワーカホリックの「残業」といった量的拡大によっては不可能である。

 経営者の指針や教訓を得るため,様々な指南書が良く読まれている。名君や戦国武将,クラウゼヴィッツ『戦争論』,宮本武蔵『五輪の書』などが代表格といえる。しかし,これらの文献・解説書を読んだからと言って,経営幹部はビジネス上の組織運営や業界競争に役立てようとしているのであって,流血の事態を想定している訳ではないだろう。彼らの箴言は精神を高度に集約した革新・確信的であるから,人々の共感が得られるのである。さらに繰り返せば,「戦争は最も崇高な行為である」とジョージ・パットンは言い,マンハッタン計画の主要メンバーだったヴァニーヴァー・ブッシュは「核戦争は必ず起こり,その廃墟から,また新たな人類史が始まる」と予言しているが,この度し難いリアリズム。そしてこれ以上の真理もないが,これとは次元を異にするものと理解したい。

 ケインズ(1883−1946)はシュンペーター(1883−1950)と同時期に活躍した経済学者であるが,ケインズの方が巷では知られている。戦勝国アメリカの戦後経済政策に大きな影響を与えたためでもあるが,戦時賠償に関する主張は見逃せない。ケインズの『講和の経済的帰結』はヴェルサイユ体制への根本的批判であったが,第2次世界大戦でようやく採用されることになる。これは重商主義政策の転換に匹敵する,歴史断層を切り開いたものといえるだろう。身を挺した賢者の晴眼は常に時代を先取りしている典型例である。

 新年の「株価2万円割れ」は,長く続いた比較的好調な景気の後退を示唆しているようである。後退の深度は大恐慌の様にはならないだろうが,これを契機に社会経済改革が一層加速することを期待する。身の丈を越える尺度は手に負えなくなるものである。欲望には切りがないとは言うものの,やはり富の不均衡は枠を超えてはならないとする,ルールの設定が必要であろう。ルール無き競争など,引用した古代中国的反乱を呼び起こすだけである。

 また,最近のフランスで見られる黄色いジャケットを身に着けたデモの頻発は,決して歓迎すべき状態ではない。フランスは市場メカニズムが働き難い構造故に,経済問題が直線的に政治化してしまう。フランス革命の伝統であると評する人もいるが,人類史はこの過程で未だ理性的ではいられないようだ。時の大統領の政策を正したいなら,街頭ではなく会議室と書斎で確かな政策論争を展開すべきであるし,また,そのような真摯な場の設定が欠かせない。個人主義であれ集団主義であれ,権力と富が極端に偏在する社会を支持する論調は,分析方法の如何に関わらず客観性や科学的という感じはしない。「苛政」を正す道は公と民のバランスであり,持てる者が持たざる者への積極的かつ自己犠牲的な配慮である。社会の隅々に徳のある人格者が配置されて,初めて自由な社会を構成・維持できるのである。

 もう一つ世論形成上,重要な役割を果たす印刷媒体の課題がある。ロンドン『エコノミスト』は1843年に創刊し,今なお160万部(2009年)も発行している。そのデジタル版は10万件というものである。これは英語で出版されているという問題ではなく,出版や学術研究に継続性があり,我が国の論壇とはかなり違った文化風土的構造になっているためである。マニュアルや「水割り本」こそ,印刷媒体ではなくスマートフォンに最適であるが,これに左右されない伝統があり権威ある雑誌や文献を,我が国で育成するという合意形成が欠かせないのではないか。そのためには内部留保の高い企業からスポンサーになって貰うのが本道である。行政・政府のみに巨額の負担を期待するのではなく,民間部門が大きな社会的費用負担に手を挙げる社会が成熟社会であり,自由主義の政策大綱ではないだろうか。

 重商主義政策の放棄。戦時賠償の放棄に連なる次なる歴史断層は,次世代の世界システムの構築にある。そろそろ国際連合機能の強化を,実践的に議論しても良いのではないか。

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