世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
日EU・EPAの発効とヨーロッパの政治混乱はどう結びつくのか
(東北大学 名誉教授)
2019.01.07
日EU・EPA(経済連携協定)が発効する。交渉開始から大枠合意まで4年あまり,比較的短い交渉期間だった。トランプ政権の攻撃的保護主義が日EUの背中を押した。18年7月17日に,安倍首相とEU首脳,つまりトウスク大統領(EU首脳会議常任議長)とユンケル欧州委員会委員長が東京で調印式,そして同年12月に双方の議会が承認(EUでは欧州議会の投票と加盟国の通商担当大臣による閣僚理事会承認),そして19年2月1日に発効する。
人口約6億人,世界GDPの約3割,世界貿易の約2割(EU域内貿易を除く)を占める一大自由貿易圏となる。TPP11と日EU・EPAが合わさると,長期的に日本経済に2.5%の成長押し上げ効果を及ぼし,それだけ高い成長軌道に日本経済を移行させると日本政府筋は計算している。ワイン関税の即時撤廃やチーズの関税割当制により,EU側の要求を満たし,また日本の消費者の利益も考慮されている。農産物や食品・飲料の対欧輸出にもメリットがある。EUの自動車関税撤廃は8年後だが,自動車部品の多くは即時関税撤廃となる。
農産物を含めて高い貿易自由化レベルを実現するほかに,サービス貿易,投資,電子商取引,政府調達,知的財産,労働,環境などにおける新たな通商ルールを含み,「21世紀型」の通商協定とされている。もっとも,トランプ政権の動きにより,「21世紀型」のモデルとはなにかが不透明になってはいるのだが。ともあれ,東西の経済先進大国がこのように広範で踏み込んだ自由化に進んだ点は日欧の歴史においても画期的なことといえる。EU側の日本の評価はかつてなく高まっている。
ただ,このEPAのそうした詳細については,外務省・財務省・農水省などが管轄関係についてかなり詳細な報告を出しているし,解説書もある。ITIやジェトロなど研究機関やシンクタンクなども解説・論文を出版している。EU側の見解は欧州委員会や現地のシンクタンクの報告書で発表済みだ。そこで,ここでは,あまり議論されていない,周辺的なことがらを若干取り上げてみたい。
まず不思議なのは,東京でもブリュッセルでもこのEPAに反対する抗議行動がほとんど見られなかったことである。このことは駐日EU大使が11月中旬開催の日本EU学会大会のスピーチで強調していた。TPPでは農協を中心に反対運動が盛り上がり,東京の街を動員されたデモ隊が幾度も練り歩いた。TPP批判の著書も多いが,日EU・EPA批判の本は見つからないようだ。
2016年の年末にはEUカナダFTAへの反対運動がEU加盟国で盛り上がり,ベルギーの地方議会が協定批准を拒否して,一時成立が危ぶまれた。ところが,内容は類似の日EU・EPAへの反対運動はブリュッセルでも見られなかった。日欧の様変わりはなぜだったのか。
日EUとも先例に学んでいた。農産物関係では,米(こめ)を自由化交渉から外した。また,EU側は日本の農業者が5億人のEU市場に輸出しやすい環境をつくった。たとえば,地理的表示(GI)を重視しており,「Nihonshu」あるいは「Japanese Sake」という表示は,日本の米を使用し日本国内で醸造された酒にしか使用できないことにした。やる気のある農業者に輸出の展望を提供してもいる。
EUカナダFTAでは,ISDS(投資家と国家の紛争解決)に対するヨーロッパ市民の反発が強かった。NAFTA(北米自由貿易協定)では,米企業がISDSを使ってカナダ政府を訴訟して勝ちまくった。ヨーロッパ人はそれをよく知っていて,民主主義で選ばれた政府に私企業が勝利するなど行き過ぎとの批判が市民の支持を得ていた。日EU・EPAではISDSを協定から外して別枠の交渉とし,日EU・EPAはEUレベルで決着できるようにした(ISDSのような文化面などに関わる取り決めだと,EU加盟国の批准も必要になる)。
もう一つの不思議は,EU主要国の政治混乱が日EU・EPA発効に影響していないことである。Brexitを前に目も当てられない英政治の混乱(国の将来より自らの政党・派閥の利害を優先する政治家達)。ドイツではメルケル首相が自ら所属するキリスト教民主党の党首の座を若手の幹事長に譲らざるをえなくなった。フランスでは「黄色ベスト」運動が吹き荒れ,マクロン大統領は低所得階層と年金受給者へのかなり大規模な財政からの手当をよぎなくされて,運動はまだ続いている。イタリアでは左右のポピュリスト政党が連立政権を組み,2019年予算をめぐってEUと対立。スペインでもカタルーニア州独立運動が盛り返している。
にもかかわらず,日EU・EPAが速やかに発効できるのは,通商政策がEUの「排他的権限」であり,EUレベルですべて処置できるからである。BrexitについてもEU27カ国は一つにまとまり,ミシェル・バルニエ代表(単一市場コミッショナーなどを歴任)がイギリス(メイ首相)との協定を取り纏め,EU加盟国は一致してそれに従った。これも同じ理屈である。
通商政策やEUが締結する国際協定に関してはEUに「排他的権限」が認められており,いわばEUが連邦,加盟国は州の位置にあるので,州の政治が混乱しても連邦は政策プロセスを粛々と進めることができる。
加盟国の政治混乱を見て「EU統合は終わり」とかの言説が幅を効かせている。だが,今やEUあってのヨーロッパ(大陸)である。イギリス国民もようやく離脱できないと悟って,困惑しているのだ。EUが危機にあるのはまちがいないが,「危機はEU統合発展のバネ」ということもまた事実である。最近の首脳会議ではユーロ圏に予算を設定することが決まった(2021年スタートの新7カ年EU予算措置の一環に含まれる)。マクロン大統領が黄色ベスト運動への譲歩と並行して仏大企業に賃上げを要求してかなりの企業が受け入れた。また政府への資金拠出にも前向きと伝えられる。メルケル首相がカレンバウアー新党首とタッグを組んで復活する可能性もないわけではない。イタリアのGDP比2.04%に縮小した2019年予算案を欧州委員会は了承した。
ヨーロッパの発展は単線では進まない。危機になるとその拡大の先にEUの将来を予想する単純な方法論で捉えきれるものではない。今日に限ったことではないが,賞味期限の短い評論が多すぎるように思われる。
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