世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1244

デジタル症候群の癒し

湯澤三郎

(世界経済評論 編集長)

2019.01.07

 技術革新が経済を拡大牽引するものの,速きに過ぎるとヒトは変化に追いつけない。その症状は尋常さを逸した行動に現れ,社会が異常性を帯びてくる。昨今その現象が否でも目につくようになってきた。

 近い話がスマホ,ネット中毒に陥ると,ヒトは切れ易く,目立ちたがり屋・要求過多,そして孤独に落ち込むという。実際スマホ人間は常に「探している」。瞬時にゲットできないとイラつく。サーチでのゲットに0.1秒を超えると他にクリックされ,0.5秒かかると企業は売り上げの2〜3%を失うとも言われる(T.フリードマン)。日本では車掌が電車の2分遅れにお詫びをすると外電は驚いていたが,スマホ標準からすればむしろ当然だろう。ヒトが我慢できる時間的限界が極小化したことは,現実との乖離が極大化しつつあるということだ。世間のヒトごとには間合い,忖度が欠かせない。言葉遣いにも頭をひねる。とても1秒以下の世界とは程遠い。かくして生活軸がバーチャル世界に傾いた人間は,現実の鈍重さが忍耐の限界を超えて「切れて」しまう。相次ぐ理由なき殺傷事件や尊属殺人の報道は,切れた人間の衝動が近く,弱い人へ暴発していることを示してはいないか。

 目出ちたがり屋は寂しがりやと裏腹である。寂しさを目立つことで紛らわしたい。他人ができないことをやって「あっと」言わせたい。スマホ世界,ネット世界では,自分は膨大な情報とコミュニケーションの大海の一滴でしかない。現実世界のストレス,圧迫をバーチャル世界での「もう一つのアイデンティー」確立でそぎ落としたい。ソーシャルメディアでのフェイクニュース,やらせ・とんでも写真の横行は,寂しい自己主張なのだろう。

 自己主張は「要求過多人間」と通底である。ネット,スマホの「オン・タイム」では,ほとんど欲しいモノを探している。「自分だけの何か」を常に求めてナビっている。性向は勢い要求型人間に変身している。他人が視野に入らず,自己中心型に陥る。日本は忖度社会だから,ミーファースト人間は現実との相克に摩擦熱を発することになる。神経を病む社会人が増えているのも尤もだろう。

 こうした傾向の延長にある将来の社会をどう描いたらいいのか。

 ヒトの本質はデジタルではないから,過度にデジタライズされるとヒトの根幹に歪が生ずるのだろう。

 ヒトと社会のデジタル症候群をどう癒すことができるのだろうか。

 ヒントは身近にある。大宇宙・大自然はその精緻な物理的・化学的・生物学的なデジタル・メカニズムで完璧な秩序を展開しながら,我々にはその片鱗も示さず,寛容と優しさをシンプルにしかも最大限の広がりを持って包み込む。子供から老人まで大宇宙・大自然の優しさの癒しを無条件に受け止められる。究極のデジタル体である大宇宙・大自然の最大のメッセージは,「優しくあれ」である。

 ヒト,社会,国は優しくあれというメッセージを重視したアクションが緊要だろう。

 11月の白馬会議で概ねこの話をする機会(ディナートークの10分)があった。

 「それにしてもデジタル症候群を地で行っている有名人は誰だろう」と呼びかけたら,即声が返って「トランプ大統領!」と来たものだ。切れやすい,目立ちたがり屋・要求過多,寂しがり屋などは,正にそのままだ。

 今のアメリカは優しさという社会の癒しからは程遠く,日を追って差別,対立,憎悪がいや増す状況すら窺える。人,社会,国は優しさから乖離するほどに,歪と崩壊が進むとすれば,大統領が真逆に旗を振って暴走する結末には何が待ち構えているか,冷え冷えとした悪寒が背筋を奔る。

 同時にアメリカの危機を救うレジリエンスはどういう形で現れるか,熱い思いもよぎる。

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