世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1158
世界経済評論IMPACT No.1158

テクノ地政学(Geo-Technology)の新時代

安室憲一

(兵庫県立大学および大阪商業大学 名誉教授)

2018.09.17

 テクノ地政学は最近始まったものではない。イギリスは産業革命期に技術流出に神経をとがらせ,海外渡航者が技術(設計図やノウハウ)を持ち出さないよう港湾での監視体制を強化した(Polanyi 1957)。経済の基本理念が重商主義に傾くほど,国の優位性の源泉たるテクノロジーを守ろうとする機運が高まる。トランプ政権の中国に対する技術移転の制限は,重商主義政策の結果でもある。グローバル経済の時代になって重商主義(貿易黒字の額をもって国家の優劣を判断する考え方)は姿を消したと思っていたが,突然,息を吹き返した。これは何が原因なのだろうか。そして,「グローバリゼーション」の後に何が来るのだろうか。

 20世紀の末まではアメリカが世界の中心で技術,経済,軍事,国際政治のすべてを支配していた。まさにアメリカ覇権時代である。ところが21世紀に入って中国が経済,軍事,国際政治においてアメリカに次ぐ大国に台頭してきた。アメリカは中国が改革開放政策を取り,国際市場に参入をしてきたとき,「関与政策」によって中国経済の発展を支援した。中国が豊かになり,中間層が増大すれば次第に民主主義が定着し,国の体制もヨリ開かれた自由で人権を尊重する「西側体制風」に変わるだろうと希望的な観測を持っていた。過去において「関与政策」は少なくとも日本,台湾,韓国では成功した。

 ところが豊かになった中国は「西側体制風」になるどころか,これを真っ向から否定し,「中国独自の社会主義」の世界展開を標榜し始めた。中国の社会主義体制はますます強化され(国有企業の大規模化・国家支援,民営化の後退),国民は共産党の監視下に置かれ,人権派活動家は投獄され,南シナ海には巨大な軍事基地が建設された。2013年に就任した習近平主席は,就任演説で「中国の夢」を語り,「アメリカを経済,技術,軍事で追い越す」ことを国家の目標に掲げた。ここに至ってアメリカは「トゥキュディデスの罠」に陥ったことを認識した(Navarro 2015, Allison 2017, 安室2018)。つまり,アメリカの外交・軍事・経済政策は,中国がアメリカに取って代わって覇権国の位置を獲得しようと企図しているという前提で行動する以外にないと悟った。これはトランプ政権による「誤解」であるという説もあるが,そうではないだろう。鄧小平氏は「韜光養晦」を主張し,「能ある鷹は爪を隠す」政策を推進した。習近平主席は,中国が十分な実力を獲得したので,もはや本来の意図を隠す必要はないと判断したのだろう。中国共産党は結党以来,アメリカを凌ぐことを目標に掲げていたと考えられる。それが「中国の夢」の意味するところなのだろう。

 中国の経済発展(少なくとも,そのきっかけ)は「改革開放政策」およびそれに応える形でのアメリカとその同盟国による「関与政策」(投融資,直接投資,技術移転)の結果である。つまり,外国の投資と技術を利用して,中国の余剰な労働力を活用し,経済発展に結びつける。中国は「世界の下請け」になることで「世界の工場」に変容する戦略である。材料や製造機械は外国から輸入し,組み立て加工の低賃金労働を中国が提供し,完成品を香港などの自由貿易港から輸出するという仕組みは「来料加工方式」と呼ばれ,経済特区を中心に爆発的に広まった。問題は,中国側に支払われる対価である。例えばiPhoneの場合,製品価格の2%が中国側の取り分,部品を提供している台湾や日本のメーカーの取り分が20%程度と言われている(アップルやその他サービスが78%の取り分:中山 2018)。電子製品の受託加工や縫製加工を含めても中国側の取り分は製品価格の5%にも満たないだろう。ここで中国の労賃が高騰すればどうなるか。委託加工業者は労働者に替えてロボットを採用するか,より付加価値の高い部品や材料の製造に進むだろう。半導体やコンデンサー,組み立てロボットを中国で作ろうということになる。つまり,スマイルカーブの底辺に押し込まれた現状(「世界の下請け」)を改善し,より付加価値の取れる部品やモジュールの生産およびブランドを重視したマーケティングやサービス(コンサルティングやシステムエンジニアリング)に事業展開を図らなければならない。底辺の組み立て加工からの脱却が,習近平主席の企図する「中国製造2025」である。それを阻止しようというのがトランプ政権の政策である。中国の経済を発展させるためには「2025」戦略を引っ込める訳にはいかない。すでに両国とも「トゥキュディデスの罠」に陥っているので譲歩が困難である。

 中国が苦境に陥ったのは過去の戦略選択の結果でもある。中国の製造業は基礎研究や応用研究を省いた「モノマネ」でここまで来た。新技術をアメリカや日本,EUに依存したいが,もう誰も技術を出してくれない。したがって,遅ればせながら研究開発に投資するが,当面は新技術を持つ先進国企業をM&Aで獲得するか,人材の引き抜きやその他の非合法的手段で知識を手に入れるしかない。各国政府は技術流出を防ぐために,中国企業による自国企業の買収や産業スパイ(技術剽窃)を阻止しなければならない。知識が公共財としての性質を持つ限り,技術の普及は避けられない。それでも「技術流出」が政治化する背景には,各国政府・企業の中国に対する猜疑心がある。この猜疑心の高まりが21世紀に「テクノ地政学」が生まれる理由といえる。中国が西側の猜疑心を解消する組織的努力を払わない限り,「テクノ地政学」は猛威をふるうだろう。

 このように中国の台頭によって,OECD先進国を中心とした平和な「グローバル経済」(西側ルール)は行き詰まり,疾風怒濤の「テクノ地政学」時代が来ようとしている。日本政府は「グローバリゼーションが続き,それを推進することが国益に叶う」という前提で行動しているが,果たしてそれでいいのか。アメリカと中国はすでに「テクノ地政学」の時代に突入している。日本もしっかりとした(国家&企業の)技術戦略を持たなければ,混迷を深める世界経済のなかで生き残れない。世界を新しい視点から見直さなければならない。

[参考文献]
  • Allison, Graham (2017) Destined For War, Houghton Mifflin Harcourt Publishing Co.,(藤原朝子訳『米中戦争前夜』ダイヤモンド社,2017年)
  • 中山敦史(2018)「供給網を止めない黄金比」日本経済新聞,2018年9月5日朝刊
  • Navarro, Peter (2015) Crouching Tiger: What China’s Militarism Means for the World,(赤根洋子訳『米中もし戦わばー戦争の地政学―』文藝春秋,2016年)
  • Polanyi, Karl (1957) The Great Transformation-The Political and Economic Origins of Our Time-, Beacon Press.(野口英成ほか訳『大転換―市場社会の形成と崩壊―』東洋経済新報社,1975年,185頁)
  • 安室憲一(2018)「中国のグレーゾーン戦略」『戦略研究』No.24(2019年近刊)
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1158.html)

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