世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.965

東アジアの労働集約生産は先細る?

藤村学

(青山学院大学経済学部 教授)

2017.12.11

 12月1日付日本経済新聞に「何が生産地を決めるのか」という論説記事があった。その冒頭で「プノンペン経済特区で典型的なオフショアである輸出加工型の大型入居はぱたりと止まった」と紹介している。ロボットやAIの時代にオフショアの発想は「昨日のゲーム」だとするGEのイメルト前CEOの言葉に言及する一方で,ハノイ圏に進出してスマートフォンを生産しているサムスン電子は,巨額を投じた工場は簡単には放棄できないと論じている。

 メコン地域を対象に輸送インフラ整備効果を研究している筆者は頻繁にカンボジアを訪問する。ここ2年ほど,プノンペンやベトナムとの国境町バベットの経済特区に進出している日系製造企業の方々にヒアリングすることが多かった。バベットの国境から6〜12kmの経済特区(SEZ)3ヵ所にはガーメント,靴,電機部品,時計部品などを製造する日系企業が多数入居しており,南部経済回廊ルートを利用してホーチミン経由で部材調達および製品出荷を行っている。これらの大半は中国での生産コスト上昇に対応し,カンボジアの労賃の安さと,ホーチミン圏から陸路で約70kmという近さをメリットとして進出したものである。しかし,物流の増加に対して通関その他の国境手続きの簡素化が追い付いておらず,国境付近はカンボジア側,ベトナム側双方とも,コンテナトレーラーが数珠つなぎになって混雑している。また,カンボジアの最低賃金が想定を超えるペースで上昇しているのに加え,予期しないSEZ内の電気料金引き上げに遭うなど,操業環境はここ数年悪化している。

 一方,タイ・プラスワン戦略の受け皿として,タイ側の国境町ポイペトに設置されたサンコー経済特区には日本電産や日本発条が進出し,さらに同区内に豊田通商が開発した「テクノパーク」というレンタル工場建屋には日系の中堅・中小企業が堅調に入居している。3年ほど前まではポイペトに日系のプレゼンスはほとんどなかったが,本格的に進出したことになる。ただし,ポイペト国境も現状では混雑が激しく,現国境より約8km東に計画中の貨物専用新ゲートの開設が待たれるところだ。

 製造業立地を決める変数としては,労賃などの生産要素費用,市場との距離・輸送費用,既存のサプライチェーン拠点との輸送費用・時間,製品の特性(要素集約度,重量,劣化性など)といった企業や製品固有の要素に加え,立地国・地域の様々な制度条件というソフト分野が入ってくる。考慮すべき変数が多すぎるので,一般論はそもそも困難かもしれない。とくに発展途上国における制度条件は,事前にいくら慎重に調査しても,操業して初めて運用面の実態がわかってくるという時間不整合的な側面が強く,経営判断は不確実性の下で行われ,日々の操業は「走りながら考える」ことが多いだろう。

 カンボジアに関してはバンコクやホーチミンといった日系企業の集積地との近さと労賃の安さが生産拠点としてのメリットであったところ,労賃のメリットが薄れてきた現在,むしろベトナム国内に第2,第3の工場をつくったほうが総合的なコストパフォーマンスが優れているかもしれないという状況が出てきた。ベトナムは市場としてのポテンシャルも高いので,市場との距離という点でも優位にある。ミャンマーは低廉で良質な労働が豊富だが,インフラが整備され,経済成長するにつれ,ずっと労賃が安いままであるとは限らない。

 カンボジア,ラオス,ミャンマー,ベトナム(CLMV)といった後発ASEAN諸国は,「タイ・プラスワン」および「チャイナ・プラスワン」の受け皿としてここ数年注目されてきたが,これら広義における東アジアの新興諸国も長期的には少子化が進むと予想される。そうして東アジアではいずれ労働集約産業の比較優位が薄れていくとすれば,生産適地は長期的には東アジアに存在しなくなるのであろうか。安い労賃を求めて「渡り鳥」するパターンはバングラデシュ以西の南アジアへ延伸するのだろうか。

 製造業は一般的に参入・退出コストが大きいので,進出拠点の変更は慎重にならざるを得ない。短・中期的には日本をはじめとする東アジアの製造企業にとって比較的「土地勘」があり市場成長率の高い,(広義の)東アジア域内でサプライチェーンの調整が行われるだろう。しかし,20〜30年後といった長期には大半の東アジア諸国で人口ボーナス期が終わり,東アジアは労働集約製品の生産地としてよりも,購買力が向上した消費地に変身している可能性が高い。そうなることが予想されるなら,価格競争力を維持しようとする製造企業は,相対的な要素価格変化(労働力が相対的に希少になるため)に対して,労働節約的技術にシフトすることが合理的反応となる。農業の近代化や代替エネルギー産業の勃興の歴史と同様に,「誘発された技術進歩」が労働集約産業を終焉させる方向につながるのか,それとも東アジアを超えて他の人口ボーナス新興地域への「渡り鳥」パターンが継続するのか。どちらになるかは移転候補先の貿易・物流コスト(サービスリンクコスト)の行方次第だろうが,どちらの場合でも東アジア地域での労働集約生産は先細る運命にあると考えるのが理に適っているのは間違いない。

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藤村 学

国際経済

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