世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.958
世界経済評論IMPACT No.958

習首席の唱える「中華民族の復興」とは何か? (その3)

田崎正巳

((株)STRパートナーズ 代表)

2017.11.27

Ⅱ.復興とはいつに戻ることか?

 では次の問題である「復興とは,いつの栄光に戻るのか?」ということについてである。「戻る,戻す」というのは時代を巻き戻すわけでも,社会構造を昔に戻すわけでもない。

 端的に言えば「領土」であろう。それをいつの時代に戻したいのか? 近い時代で言えば清であり,一番大きかった時代で言えば当然元である。であるが,この両王朝は漢人の国ではないのである。

非漢人支配の時代に戻る?

 元はもちろんモンゴル帝国の一部であったし,清は満州人の国であった。更に言えば満州人が支配層で,モンゴル人が準支配層という遊牧・狩猟民族連合軍のような支配構造であった。元と清に共通しているのは,漢人はともに被支配民族だったということである。

 あの頃に戻したいなら,漢人支配も止めてもらわないといけないということである。何が言いたいのか? 漢人に出て行けというのか? まさかそんなことは言えない。私が言いたいのは,古来漢人には大きな領土を統治経営する能力はなかったということである。

 元にしろ,清にしろ,農耕的な漢人領土の4,5倍以上はある巨大な領土を経営していた。他方,漢人中心の王朝である漢や明は,広大な領土の経営は上手くは行ってなかったのが事実である。

 国際的にも大国と見られていた明でさえも,当時の地図(1580年当時)を見ても,モンゴルもチベットもウィグルも満州も明の領土ではなく外国扱いされているのである。

 なぜ元や清は途方もない広大な領土を統治できたのか? それは統治者自身が中原においては異民族であり,異民族をまとめ上げるノウハウを持っていたからである。

異民族統治のノウハウ

 元を例に出せば,言語の違い,文字の違いはもちろん,宗教・習慣の違いを認め,尊重していたからである。農耕民族に対する統治と遊牧民族に対する統治方法を別(例えば,人単位か土地単位かの違い)にし,ウィグル人など能力ある異民族を統治の中枢に据え経営していたからである。

 昨今の海洋進出の大もとは明の時代ともいわれているが,海洋事情に疎い漢人がイスラム系民族に任せたから上手くいったのであり,現在の南シナ海のような横暴をしていたわけではない。

 つまり中国の歴史から言えることは,漢人の勢力範囲を超えて領土を拡大する場合は,異民族を尊重し,言語も宗教も文化もそれぞれの独自性を守り,更に統治の中枢にも異民族を招き入れるという経営ノウハウがある場合に限るということなのである。

 無論,漢人が漢人固有の領土を漢人だけで統治したいという場合は,それでも構わない。漢人や漢字の語源にもなっている漢という国のように漢人地域だけを守っていればいいのである。

Ⅲ.ソフトパワーの欠如

現代の大国に必要なのは,ソフトパワー

 今の習共産党は,こうした歴史から全く学ばず,異民族経営のノウハウを持たないにも拘わらず,無理矢理領土だけを「異民族経営が上手だった非漢人時代の大きさ」に戻したいという,土台無理な話を進めているところに無理があるのである。

 ここまでで,いかに「中華民族の偉大なる復興」が矛盾だらけで意味のない言葉かがご理解いただけたかと思う。では現代では多民族国家は成り立たないのであろうか?

 私は成り立つと思う。大昔の武力一辺倒の統治(習の統治方法はこれである)ではなく,現代的な統治を可能にするのは「ソフトパワー」だと考える。

 これと反対の概念は,今の習に見られるような「強制」「締め付け」「暴力」といったキーワードで表すことができる。

米ソから学ぶ

 アメリカは多民族国家であり,いろいろな問題を抱えていることは承知のことであるが,何といってもその力の源泉は国民が「アメリカが好きだ」「アメリカ人としての誇り」がどの人種,民族の人たちであっても自らの気持ちで口にできることである。

 そうではない例はあるのか? それはソ連である。ロシア人中心主義で,アジア系などは蔑視されてきた。アジア系でなくとも,バルト3国もウクライナも同じである。

 ロシアやその傀儡の国(ベラルーシ)などを除けば,ソ連崩壊した途端にどの国もソ連からは離れたい,貧しくとも自分たちの国として独立したいと願ったわけである。ソ連には明確に「ソフトパワー」つまり人種・民族を超えて引き付けるものが全くなかったということである。

 このような対照的なアメリカとソ連の例であるが,この2国に共通していることがある。どちらの国も「アメリカ民族」とか「ソ連民族」などというインチキな言い回しはしなかったということである。さすがのソ連も,そこまで常識外れというか,愚かではなかったのであろう。

中華民族という幻想

 この両国と比べると,中国については何を言えるか? 「ソフトパワー」としては,ソ連に勝るとも劣らずに,国内の異民族から嫌われているということであり,アメリカには到底及ばないということである。

 さらにそのソ連ですら使わなかった「ソ連民族」に相当する「中華民族」という造語を,恥知らずに使っているということが特徴と言える。

 以前私が中国人に「モンゴルという独立した民族国家があるのに,なんで内モンゴルをいつまでも占領しているのですか?」と聞いた時の答えがある。

 「モンゴル人はもちろん中華民族の一つです。本来は中国の領土なのですが,歴史的にソ連が中国の領土を違法に取ってしまったのです。なので,いずれは中国の領土に戻しますから,内外モンゴル人は一緒になれます」と答えた。

 私が「モンゴル人は誰もそんなこと思ってないです。そもそもヨーロッパでは,チンギスハーンが有名で,モンゴルと中国は違うという認識は持っています」というと「はい,それが問題なのです。チンギスハーンはヨーロッパで一番初めに有名になった中国人なのです。彼らには中国の歴史はわかりませんから,ヨーロッパ人は誤解しているのです」と答えた。

 厚顔無恥というのであろうか,共産党の教育はここまで捻じ曲げているのだと感じた次第である。

韓国人も中華民族?

 内モンゴル人がいるから,モンゴルも中国人という理屈であるなら,朝鮮民族はどうなるのか? 中国東北部には多くの朝鮮民族が暮らしている。あれも中華民族だとすると,韓国人はどうなるのか? 中華民族なのか?

 と,皮肉の一つでも言いたいと思っていたら,ネットニュースに「習がトランプに,韓国はもともと中国の一部だった」と言ったと書かれていた。つまり韓国人も立派な中華民族だと米中首脳会談で話したということである。

 こんなセリフを21世紀の2大国首脳会談で話す習は,やはり歴史を知らないのであり,こうした姿勢では「ソフトパワー」は絶対に持てないであろう。彼も結局「ソ連型統治」しかできないということであり,その終末は似たようなものになると思わざるを得ない。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article958.html)

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