世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.946
世界経済評論IMPACT No.946

「エレファントカーブ」とアジア(その2)

平川 均

(国士舘大学 教授)

2017.11.06

 ミラノヴィッチのエレファントカーブは,グローバリゼーションが世界の人々に与えた効果を見事に表している。世界人口の超富裕層1%が絶対増加分のほとんど5分の1を,超富裕層5%で44%を独り占めしたが,所得を実質的に大きく伸ばしたのは中国を筆頭にアジア新興国の働く人々である。彼らは世界の中間層にのし上がった。対照的に負け組で最も影響を受けたのは豊かな国の下位中間層で,彼らはほとんど所得を伸ばせなかった。

 だが,ミラノヴィッチの衝撃的な図は世界の所得不平等論争のさらなる出発点である。レゾリューション財団のアダム・コルレットは,ミラノヴィッチのグローバルな所得変化に疑問を呈する。豊かな国の所得の伸びは国による違いが大きい。エレファントカーブは,所得の伸びなかった日本と旧ソビエト諸国/バルト諸国のデータが加えられたことでバイアスがかかった結果である。日本と旧ソビエト諸国/バルト諸国,この2つのグループの経済を合わせた所得階層別伸び率を見ると,第20二十分位(トップの5%)の人々は20年間に15%の所得増加をしたものの,その他の所得層ではマイナスかゼロである。第1二十分位の人々(最貧層の5%)の所得はマイナス30%を記録し,第2二十分位から第10二十分位までの人々(下位層の第6百分位から第50百分位)の所得伸び率はマイナス,第11二十分位から18二十分位までの所得層の人々(第51百分位から第90百分位)の伸び率はほぼゼロであった。結局,日本と旧ソビエト諸国/バルト諸国のパフォーマンスが極端なグローバルな所得不平等の図を作ったのである(Corlett 2016)。

 リゾリューション財団の以上の研究結果を受けて,アメリカのペターソン国際経済研究所のC・フレウンドは,この図がむしろ中国などの低・中階層の著しい所得増を示すものではあるが豊かな国の中間層の没落を示すものではない,ポール・クルーグマンが同研究所で行ったミラノヴィッチの研究に依拠した基調講演は誤った理解に基づくものである,と批判している(Freund 2016)。

 世紀転換点を挟んで,中国を筆頭にアジア新興国は成長し続けている。それを世界の所得データに基づいて実証したというのは納得がいく。しかし,豊かな先進国の中間層の没落を示す図が,日本と旧ソビエト諸国の停滞が作り上げたものだとされると衝撃を受ける。エレファントカーブが示すように,アジア新興国の勃興と世界的な不平等の拡大はともに現実ではないか。近年のグローバルな所得階層別伸び率をみると,先進各国で超富裕層がさらに豊かさを手にする一方,中間層と最貧層が転落する傾向にある。

 先進国の所得格差の研究では,ピケティもイギリスのアンソニー・B・アトキンソン(2014)も,不平等と格差の縮小に向けた政策の意義の重要性を指摘している。スティグリッツは,アメリカの格差拡大が金融界と政治家の癒着によって富裕層に有利な政策が進められてきたと,金融界と政府を強く非難している。アメリカのトランプ大統領の誕生に見られるように,豊かな国の民主主義は危機に直面している。

 ピケティの研究に触発された所得格差と不平等の研究はグローバルな所得不平等の研究に扉を開けた。研究は始まったばかりであり,エレファントカーブはその先端にあるだろう。経済学は,劇的に構造変化する世界経済の実態に即して研究を進めねばならない,そしてその主要な対象は,成長と停滞の交差するアジアである。

[文献]
  • アンソニー・B・アトキンソン(2015)『21世紀の不平等』東洋経済新報社(原書2015)。
  • トマ・ピケティ(2014)『21世紀の資本』みすず書房(原書2013)。
  • ブランコ・ミラノヴィッチ(2017)『大不平等:エレファントカーブが予測する未来』みすず書房(原書2017)。
  • Corlett, A. (2016) Examining an elephant: Globalisation and the lower middle class of the rich world, Resolution Foundation, September. (http://www.resolutionfoundation.org/app/uploads/2016/09/Examining-an-elephant.pdf).
  • Freund, C (2016) Deconstructing Branko Milanovic’s “Elephant Chart”: Does it show what everyone thinks? Peterson Institute for International Economics, Novermber30. (https://piie.com/blogs/realtime-economic-issues-watch/deconstructing-branko-milanovics-elephant-chart-does-it-show).
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article946.html)

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