世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.945

「エレファントカーブ」とアジア(その1)

平川均

(国士舘大学 教授)

2017.10.30

 資本主義は歴史的事実として貧富の格差を拡大させる。トマ・ピケティが大著『21世紀の資本』で,資本主義の歴史的な所得格差の拡大を実証して大きな関心を集めたのは2015年である。彼に始まる近年の所得格差研究は,それまで経済学に大きな影響を与えてきたクズネッツの逆U字曲線仮説に「止めの一撃」を加えた(ミラノヴィッチ2016,49頁)。経済成長の初期に所得格差が広がるが,成熟するに伴いやがて自然にあるいは自動的に縮小に転ずるという仮説は特殊な時期の所得格差縮小を,アメリカを事例に一般化させたものであった。その時期,戦争とその他の非経済的要素が格差を縮小させたのである。

 ピケティによる主要先進国の所得格差の研究は,資本主義の富と所得の偏在構造を長期のデータに基づいて明らかにするものであったが,こうした研究はその後,一段の飛躍を果した。ピケティの問題意識を今日のグローバルなレベルに拡張したのがブランコ・ミラノヴィッチの研究である。彼の邦訳書の帯には,ピケティによる推薦の言のほか,同書が2016年の『エコノミスト』と『ファイナンシャル・タイムズ』のベストブックとなったことが印刷されている。インターネット上では,ミラノヴィッチが描き出した図が「エレファントカーブ」あるいは「エレファントチャート」と呼ばれて高い関心を集めている。あるツイッターはこの図をグローバリゼーションに関わった「過去10年間で最もパワフルな図」として称賛しており,イギリスのBBCニュースも「グローバリゼーション:あなたはこのエレファント(図)のどこにいるか」と大きく取り上げている(2016年10月5日)。

 エレファントカーブとは何だろうか。世界各国の1988年と2008年の1人当たり実質所得を購買力平価(PPP)で一元化して世界の所得を算出し,その伸び率を階層別に図示した時に現れる象に似た図のことである。象の姿で最も高い部分は,鼻先と背中になる。最も低い部分は象の鼻元と尻尾である。ミラノヴィッチは,この鼻先と背中の部分に当たる世界の所得階層をグローバリゼーションの勝ち組,鼻元から先端の手前までの部分と尻尾に当たる部分の所得階層を負け組とする。彼が比較した期間は「ベルリンの壁の崩壊から世界金融危機までの時期」,つまり旧社会主義諸国が資本主義に組み入れられると同時に,情報通信革命によって周縁国の労働力を自由に使えるようになった「高度グローバリゼーション」期である(ミラノヴィッチ2017,12頁,57頁)。その期間の世界の所得階層別伸び率は,グローバリゼーションによる世界の所得変化を示すものとみなせるのである。

 鼻先に当たる層は世界の超富裕層トップ1%であり,背中に当たるのはピークを示す中間値の層およびその前後の所得層,つまり世界の所得分布では第40百分位から第60百分位までの所得層である。20年間のその実質伸び率は超富裕層が約80%,中間層が65%であった。伸びのほとんど見られない象の鼻元と尻尾に当たる負け組の所得層は,グローバルな所得分布の第75百分位から第90百分位に位置する層と第5百分位以下の層であり,前者の伸び率はほとんどゼロ,後者は15%に過ぎなかった。

 ミラノヴィッチは,次のように述べる。「グローバリゼーションの明白な受益者であるこのグループにいるのはどのような人たちだろうか。10人中9人まではアジアの新興経済の人たちで,中国人が圧倒的だが,インドやタイ,ヴェトナム,インドネシアの人たちも含まれている。彼らはそれぞれの国の最富裕層ではない。富裕層はグローバルな所得分布のもっと高い位置にいる。大きく伸びているのは,それぞれの国の所得分布の中位に入る層で,……世界でみても中位に当る」(ミラノヴィッチ2017,14頁)。鼻先に当たるもうひとつの勝ち組の人々を再び記せば,世界の所得分布で1%の超富裕層である。では20年間,実質所得がほとんど増えなかったのはどの層の人々か。「彼らはほぼすべて,OECDの加盟している豊かな経済に暮らしている。……この層の約4分の3は,西ヨーロッパ,北アメリカ,オセアニア,そして日本と言う『古くて豊かな』国の人たちだ。/簡単に言えば,最大の勝ち組はアジアの貧困層および中間層で,最大の負け組は豊かな世界の下位中間層だということだ」(同上書,15頁)。

*(その2)に続く。

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国際経済

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