世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
喪中のバンコクを訪れて
(早稲田大学 名誉教授)
2017.01.30
ナイルアン(王様)の愛称で広くタイ国民から敬愛されてきたプミポン・アドゥンヤデート国王陛下(ラマ9世)が,昨年10月13日,88歳で崩御された。
1946年6月9日,兄のラマ8世の急死を受けて,その12時間後に,わずか18歳で国王に即位されてから実に70年,史上最長の在位期間中,常に国民のために尽くされ,様々なレジェンドを残されてきた名君である。
近年,入退院を繰り返られておられたことを側聞し,ある程度の心の準備はできていたタイ国民にとっては,それなりの覚悟はできていたであろう。しかし,それでも国王を愛してやまない国民の悲しみがいかに深いものであったかは,国王のご遺体が収められた棺が公開されている王宮内のドゥシット・マハープラサート宮殿を弔問に訪れた人が,11月28日までの31日間で約104万人,現在でも毎日3〜4万人が訪れていること,あるいは去る10月22日に王宮前広場にタイ全土から数十万の人々が集まり,ナイルアンの逝去を悼み,涙ながらに延々と国王賛歌の大合唱を行ったことなどの報道に接すれば,明白だ。
ナイルアン・ロスで「タイは大混乱する」「経済が一気に大停滞する」「政治の先行きが不安定」など,タイ国の政治,経済,そして何よりも民心に与える影響を懸念する報道が日本や海外メディアから少なからず流れたが,本当にそうだろうか。
そのような疑問に駆られた私は,12月21〜26日,この年4回目のバンコク訪問をしてきた。
目的は,市井を自ら徘徊し,100日間の喪に服しているタイ国民がいまどのような気持ちで生活を送っているかをこの目で確かめること,そして現在タイに駐在あるいは永住している私のゼミの日本人卒業生たちから,国王崩御前後の様子や,日系人社会での対応などを伺ってみることにあった。
スワンナプーム空港に到着してまず気づいたことは,折からのクリスマス・シーズンであるにもかかわらず,周りの景色は確かに心なしか暗く,静寂であったことだ。
空港で働く人々の服装は黒が基調。あるいは地味な衣装で胸や腕には喪章。行き交う外国人観光客の多くもまた平素に比べると心なしか物静かであった。
空港ロビーには国王の遺影と白色を基調とした花飾り。その前を通る人々の中には,立ち止まってワイ(合掌)をする姿も見受けられた。
確かにいつもとは雰囲気が違う。報道されていた通りの沈滞した状況にタイ全体が覆い包まれている。国の玄関(ゲイトウェイ)での第一印象はそうであった。
しかしバンコク市内に入り,ホテル,ショッピングセンターなどを徘徊してみると,人々の装いは地味で,喪章が目立ち,あちこちに遺影と追悼の意を記すための記帳用ノート,無料で提供される喪章などこそ普段とは異なる様相であったが,人々は100日間(公務員は1年間!)の喪に服しながらも,黙々と日々の営みを続けている。穏やかではあるが,しっかりとした足取りで市井は賑わいを取り戻しつつある。タイらしい政治,経済,外交活動,国民生活の復活をこの目で確かめることができた。
たぶん,そのような日常生活への速やかな復帰こそが,国民の安寧を願ってやまなかったナイルアンへの最も「相応しい」供養の仕方なのであろう。
日系人社会の対応について伺った卒業生たちの意見からも,そのことがしっかりと確認できた。彼らの仕事の現場でも,人々は粛々とルーティンに従事しているそうだ。
白銀のデコレーションで一杯のクリスマス・ツリー,それなりにクリスマス・セールスの現場で旺盛な購買意欲を露わにしている人々の生活行動,そして変わらぬタイ人ならではのあの微笑み……。
12月31日,新国王ワチュラロンコンは,即位後初めての国民向けテレビ演説で「国にどのような障害や問題が持ち上がろうと,国民が結集して解決すると確信している」と述べ,タイ国民に連帯を呼びかけたようだ。
私がこよなく愛するタイは,この先もおそらく「マイペンライ(大丈夫)!」であろう。
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