世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.682
世界経済評論IMPACT No.682

「産業政策」の意義(その1)

三輪晴治

((株)ベイサンド・ジャパン 代表)

2016.08.01

日本で死語になった「産業政策」

 「産業政策(Industrial Policy)」という言葉が,日本で死語になったと言われて久しい。日本では,国がリードする「産業政策」は,これまであまり成功しなかったために,「産業政策」などということを考えること自体が無駄なことで,ましてや成果の上がらないことに大事な国民の税金をつぎ込むのはよくないと言う知識人が多い。かつてアメリカから「日本は政府と産業が癒着して,国際ビジネスで不公正な行動をとっている」と非難されたことがあり,それに怯んで,日本は,政府と産業が進める「産業政策」から離れていった。勿論,まだ日本政府は何とか新しい技術,産業を開発しようとして金を使っていろいろの活動をしているが,産業の調整は別として,残念ながら際立った成功例は報告されていない。

 先ず,理解すべきことは,アメリカ自身は昔から,国のイニシャティブで資本を投下し,産官学連合による技術開発をやっており,着々とその成果を上げていることだ。シリコンバレーのイノベーションもその結果であるという。アメリカ政府はイノベーションの大きなリスクを国家がとるという意味での「国家資本投資勘定」というものを持っていると言われている。その意味では,日本は,アメリカは平然と二枚舌を使う国であることを忘れていたようだ。

 第二に重要なことは,私企業としての巨大企業には,それ自身では大きなイノベーションができないということは,日本においてもアメリカにおいても事実だということだ。だからと言って,中小企業であるベンチャーだからイノベーションができるということでもない。ベンチャーの自分の力では,大きなイノベーションはなかなか難しいことは事実である。つまり,不確実性のなかで,大きなリスクをともなう基本的な大型の技術開発には,国による「効果的な産業政策」は必須であり,その国の経済的発展に極めて重要なものである。

 第三に必要なことは,産業政策には政府のかかわりの深さとは関係なく,新しい市場を創造しようとする「パラダイムシフト的要素」が必要であり,それが経済発展に効果が上がるものでなければならない。単に他の国の政策の後追いのものとか,あるいは日本バージョンでは意味がない。

アメリカ国家の技術開発

 一般には,1970年ころから,アメリカでは,国とは関係なく,ベンチャーが新しい技術を開発し,新しいビジネスを起こしていると考えられていた。パソコンは「コンピュータの代名詞のIBM」ではなく,カリフォルニアのヒッピーのような学生達が開発したと思われていた。しかし実際はそうではないらしい。

 『企業家としての国家』(薬事日報社)を書いたマリアナ・マッツカートはこう言っている。「ラッタン(2006)は,アメリカの六つの複合技術の発展(フォード式の大量生産技術,航空技術,宇宙技術,情報技術,インターネット技術,原子力技術)を分析して,政府投資なくしてはこれらの技術が世に出ることはなかったと結論している」(同,p.144)。

 彼によると,アップルのiPod,iPhoneで使われているGPS(全地球測位システム),慣性スクロール,フィンガートラキング,ジェスチャー認識,クイックホイールナビゲーション,マルチタッチスクリーン,シリ(発話解析・認識インターフェース)などは,国が長年かけて研究開発してきた成果の技術である。「基礎研究であれ応用研究であれ,最もリスクのある研究を支援しただけではなく,非常に革新的で草分け的なイノベーションを作ってきたのは政府自身である。具体的には国は市場を創造したのであって,単に失敗した市場を救ったのではない」(同,p.143)。

 「アメリカ政府は税制上の優遇や政府調達などの形でアップル社のような企業を支援している。財務省文書によれば,アップル社を含む多くの企業が研究実験(R&E)に対する税額控除の形で政府から1000億円以上の援助を受けた。……アップル社は研究開発税額控除を色々な形で受けていて,その総額は500億円近くに上っている」(同,pp.223-224)。

 マッツカート氏の主張は,イノベーションの実行と成果は政府の役割が中心であったと強調されているが,しかしそれは政府だけの力ではない。アメリカのアップルなどのイノベーションは,要素技術として政府が長い間かけて技術開発したものを組み合わせて使用したものがあるが,最終的な新しい商品のコンセプト,市場の開拓活動は民間のベンチャーがやったものである。政府のそうしたリスクを度外視して新しいコンセプトの技術を開発したものが無ければ,可能でなかったものもあるといえよう。だがそれをビジネスにつなげ,新しい市場を創造したのは民間企業であることは間違いない。

 ここにアメリカの「産官学」連携のイノベーションを推進する仕組みがある。官はイノベーション活動の「ドライバーシート」に座らないで,「バックシート」からあらゆるサポートをするという「アメリカのイノベーションの仕組み」には現在でも大きな意味がある。更に重要なことは,多くのベンチャーが商品を出し始めるとき,DARPA(国防高等研究計画局)からのプロジェクトの注文は,ベンチャーの初期の段階のキャッシュフローを助け,死の谷に墜ちるのを防ぐ大きな役割をしている。これは筆者も経験したことである。

 日本の失敗は,官が「ドライバーシート」に座ったためであるといわれている。

 しかし,そのアメリカでは,自分達の二枚舌があからさまになるのを恐れて,いろいろカモフラージュに苦労している。「最先端技術を政府が支援する際には,しばしば『隠れ産業政策』として実施せざるを得なかった。だから,ナノテクノロジーを推し進めた政府の行動派は,政府が勝者を選んでいる,あるいは全米選手権を主導している,と見えないように常にボトムアップ手法を念頭に置いた議論をしてきた。しかし結局は,殆ど政策立案段階で,学術関係者や企業経営者の専門家たちと詰めを行ったことは事実だが,情報取集から予算編成まで,方向性を決めて主導したのはトップダウン型であった」(同,p.180)。

 タイラー・コーエンは,『大停滞』の中で,アメリカのイノベーションの停滞は,もはや容易に収穫できる果実は食べつくされたことからきていると言った。この果実もアメリカの国家が用意したものであった。しかしもはや食べつくされてしまったというのである。

日本での産業政策の評価

 残念ながら日本の学界のこれまでの「産業政策」の議論は,「産業政策」を「諸産業の保護,育成,調整・整備を通じて政府が経済成長のために干渉し,介入するもの」と理解している。その意味では,戦後の日本経済の復興・発展において,政府が,傾斜生産政策,輸入規制,輸入割当,既存産業への新規参入の禁止政策,という既存産業の調整,誘導政策をし,しかも既得権者を保護した」という理解である。こうした理解ででは,「産業政策」として有効であったという評価が一部にある。

 それにたいして戦後の復興では「アメリカに追いつけ追い越せ」という明確な目標があったので,政府の介入が無くても,旨く行った筈だという議論がある。そうした議論をもとに,「産業政策」に対する評価として,三輪芳朗+ラムザイヤー『産業政策論の誤解』などの議論によると,現実には日本では産業政策はあまり効果がなかったと言われている。あったとしたら問題であるが,「産業政策」の名のもとに特定の企業に金をつぎ込み,官のものが天下りするケースがあったと報じられていることだ。大変次元の低い話である。だが,重要なことは,アメリカのように「世界を変える新しい産業」の開発という意味での産業政策を日本は考えていなかったということだ。

 外国からは,日本の1950年から1975年までの国家と産業が一体になって進めた「産業政策」は極めて旨く行ったのであると見えた。だがアメリカは,日本がアメリカの製品を模倣した上に,コストと品質で,アメリカ産業を追い詰めたことで,恐怖し,逆上して,日本は政府と産業の癒着で不公正な競争をしたと非難し,1980年ころから日本叩きをはじめた。自動車産業,半導体産業に的を絞り,逆襲してきた。これにより日本半導体産業は壊滅し,自動車はアメリカで生産することを強いられたことも事実である。

 だが1980年以降の日本の産業政策は,アメリカに叩かれたせいもあるが,見るべき成果はないという評価が強い。

日本の産業政策の問題点

 先述のように,1950年から1975年の日本経済の高度成長のなかで,日本の「産業政策」はこれがあったためにその成長が可能であったといえるほどのものがなかったと言われてきたが,しかし1975年以降でも際立って効果のあった「産業政策」は見当たらない。とにかく日本政府は,科学・技術関係に膨大な金を使い「産業政策」による活動を続け,これまで多くの「ナショナルプロジェクト」が展開されてきた。

 記憶に新しいものを挙げてもかなりのものがある。

  •  「カーボンナノチューブテクノロジープロジェクト」
  •  「情報大航海プロジェクト」
  •  「第五世代コンピュータプロジェクト」
  •  「次世代高速通信プロジェクト」
  •  「シグマ・プロジェクト」
  •  「高速道路交通システムプロジェクト」
  •  「RFID(タグ)センサープロジェクト」

 カーボンナノチューブについては,日本政府はこのプロジェクトにかなりの金をつぎ込んだが,結局産業化の方向が見えなく,当技術の産業化の可能性がないとして結論付けた。しかし今この技術で実用化の展開として新しい動きがアメリカで進んでおり,日本でも民間ベースで動き始めている。

 情報大航海は,グーグルの動きの中ででてきたもののようで,グーグルの日本バージョンを考えていたようだが,グーグルを向こうに回しての仕組みは実現が不可能ということで立ち消えになっている。本当にグーグルとは違った新しい市場を創造しようとしたのなら,別の道があったのではないかと思う。

 第五世代コンピュータはアメリカと激突して開発競争を進めてきたが,世界一になる必要はないのではないのですかという愚問に毒されて,どう進むべきか手探り状態になっている。今やビッグデータに移りつつある。

 日本は官民挙げて,「次世代通信技術」の世界デファクト・スタンダードを追い求めた。FOMA,PDC,W-CDMAなどのアイディアで日本は挑戦したが,しかしことごとく失敗したと言わなければならない。

 今また日本政府では,「宇宙産業政策」や「クールジャパン・プロジェクト」が画策されているという。これらはどのスコープで展開しようとしているのか定かでない。

 かつて日本のNEC,富士通などのマイクロプロセッサーの性能は世界一であったが,それをアメリカが国家戦略で潰してしまった。リアルタイムOSの「トロン」は東大教授の坂村健氏が開発し,世界標準にしようとしたが,これもアメリカの政治力で潰されてしまい,大きなビジネスのチャンスを逃した。国家戦略,産業戦略は,他を潰すこともあることを心しなければならない。

 日本の少ない成功例の一つは,1970年代に田中昭三教授がドライブした「超LSI開発プロジェクト」は,幻のIBMの次世代コンピュータ計画という情報を耳にして慌ててスタートしてものだった。しかしこれで後発の日本半導体産業をアメリカに近づける効果があった。だが全体的に見て,日本の産業政策が世界的に成功したという様子はないと言わざるを得ない。——(その2)へ続く

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article682.html)

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