世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
明暗分けたマレーシアの国民車メーカー
(小樽商科大学 教授)
2016.06.06
三菱自動車の燃費偽装問題が世間を騒がせているが,同社はマレーシアの第一国民車メーカーであるプロトンの設立時の合弁相手であり,プロトンの経営にも大きな影響を与えてきた。プロトンは1983年にマレーシアの政府系企業であるマレーシア重工業公社(HICOM)と三菱自動車,三菱商事の合弁の形で設立された。1985年からの商業生産開始に向け岡山県にある三菱自動車の水島工場に多くのマレーシア人が研修のために滞在し,三菱自動車からも100人を越える技術者がプロトンの立ち上げ時にマレーシアに出向していた。
三菱自動車はマレーシア側からの要請を受け,プロトンへの技術移転のみならず地場の技術者やサプライヤーの育成にも力を注いだ。特に1988年から2期に渡り三菱自動車から社長を派遣した時期にはプロトンの生産性向上運動,さらにはマッチメーキングにより三菱自動車の日本のサプライヤーとマレーシアのサプライヤーとの技術提携を促進した。国民車プロジェクトへの支援という事情もあるが,プロトンや地場サプライヤーへの支援は通常よりも手間暇をかけたものとなっていた。
関税による保護など様々な政策を用いてマレーシア政府はプロトンの後押しを行い,同社の国内市場シェアは2002年までほぼ50%以上で推移していた。しかし,1994年にダイハツとの合弁で設立された第二国民車メーカー,プロドゥアの市場への参入により状況は少しずつ変化し始めていた。2003年以降プロトンの市場シェアは徐々に低下し,2006年にはついに市場シェアが逆転し,プロドゥアが第1位となった。2015年の統計では引き続きプロドゥアは販売台数が21万台を越え,32.0%の市場シェアを維持する一方,プロトンの販売台数は10万台強,市場シェアは15.3%にまで落ちている。市場シェアでは第3位のホンダ(14.2%),第4位のトヨタ(14.1%)に肉薄されている。最新の2016年4月のデータでは市場シェアはプロドゥア,ホンダ,プロトンの順となり,プロトンはホンダの後塵を拝している。
この間,三菱自動車は北米事業の失敗に端を発し,2004年にはプロトンの株式を売却し,その経営からも撤退した。その後,プロトンの主要株主は国営石油会社(PETRONAS),財務省傘下の持ち株会社へと移行し,2012年,地場のコングロマリット,DRB-HICOMへと移った。同社はマレーシア重工業公社を前身とした企業であり,自動車生産に限ってもフォルクスワーゲン,ホンダ,ベンツなどの生産を手がけている。特にホンダとは合弁企業をマラッカに設立している。
一方,プロトンの合弁相手としてはこれまでにフォルクスワーゲンやゼネラルモータースなどの名前があがったが,いずれも合意には至らなかった。また,技術提携先も三菱自動車が2006年から再び提携したものの,その他にも日産,ホンダなどの名前があがっていた。そして2015年にはスズキとの協業が報道されている。プロトンはこれら以外にも英国のロータスを子会社化しており,エンジン開発などで協力している。電気自動車分野でも英国企業と協力する動きがあった。
このような主要株主の変更や技術提携先の交代,また時にパートナーを持たず,自社開発をする状況が続いたことはプロトンの経営戦略や生産現場にもマイナスの影響を与え,同社の市場シェア縮小の原因の一つになったと考えられる。生産能力は37万台であるが,その稼働率は極端に低くなっている。長期にわたり政府の保護に依存し,設立当初から高い市場シェアを維持してきたが,狭い国内市場のみに製品を供給していたため,国際的な競争力を持つことはなかった。このようにプロトンは輸入代替工業化の光と影の双方を映し出してきたと言える。
また,設立当初から政治的な宿命を背負わされていたプロトンは時として政争の具とされることもあった。設立にかかわったマハティール元首相はプロトンの顧問や会長も務め,その政治力で同社の復活の一翼を担うはずであったが,今年3月に会長職を辞している。ナジブ首相との不仲説もあり,マハティール元首相の辞職を待つように政府からのプロトン再建のための404億円の融資も決まった。
一方で,第二国民車メーカーであるプロドゥアは合弁先の変更も無く,ダイハツの協力を得て国内市場において堅調にシェアを維持している。政府系の出資比率が低いこともあり,プロトンのような政府の介入も限られている。ダイハツが生産面を主導し,市場において人気の高いモデルを次々に導入したことも功を奏していると言える。日本とマレーシアの経済連携協定やアセアン自由貿易地域,そしてアセアン経済共同体のもとマレーシアでは日本車のシェアが上昇しており,プロドゥアも安閑とはしていられないが,ダイハツ,延いてはトヨタのアセアン域内の戦略とリンクすることも視野に入れながら対応すると思われる。
改めて両社を比較すると安定的なパートナーを持つプロドゥアの最近の優位は揺るがない。一方,マハティール元首相の強力なリーダーシップにより設立されたものの,主要株主の変更や政府の介入などを繰り返したプロトンは長期的な戦略を描けないまま漂い続けた感がある。三菱自動車との関係が続いていたならば,また,違った展開もあったであろう。今回の燃費偽装問題にもかかわらず,タイを中心とした東南アジアでの三菱ブランドの強さはマレーシアでのプロトンの凋落とは対照的である。
アセアン域内の経済統合が進むなか,自動車産業では各国間で分業体制が構築され,それに伴って産業内貿易も増大の一途を辿っている。このような流れに乗ることなく,国内市場に特化するプロトンのマレーシア国内でのシェアは政府の後押しにより回復するのであろうか。スズキとの協業以外に新たな合弁相手を模索するとの報道もなされているが,パートナーの変更とそれに翻弄される姿からは明確な将来像は浮かび上がってこない。
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