世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.612

マイナス金利導入と政治の在り方

鷲尾友春

(関西学院大学国際学部 教授)

2016.03.21

 日銀の「マイナス金利導入」を巡って,賛否両論がかしましい。

 賛成論者は,「既実施の,国債等大量買い入れによる,金融の量的・質的緩和は限界に近づいており,また,年初来の円高圧力も増すばかりだった。それ故,ここは,物価上昇の基調に悪影響が出る前に,追加緩和策が必要だと認識されたもので,長期継続的に維持出来るマイナス金利政策は,悪い選択肢ではなかった」と日銀の決定を擁護する。

 これに対し,反対論者は,「経済や物価の基調は,曲がりなりにも,しっかりしていたのに,こうした措置を導入したことで,却って事態を悪化させた」と批判する。

 もっとも,金融業界の中では,日銀批判が思いの他に強いようだ。その理由を,東短リサーチの加藤社長は次の3つの原因に求めている。それらは,①サプライズを重視するあまり,実務面の混乱を軽視したこと,②金融機関の収支悪化を前提とするマイナス金利政策がそもそも不自然なこと,③日銀の説明に信頼性の問題が出てきてしまったこと(日本経済新聞「経済教室」2016年3月9日)。

 筆者は金融の専門家ではない。だからかもしれないが,上記の様な金融関係者の議論を聞き,説明される度に,「それが果たして問題の本質か」という素朴な疑問を禁じ得ない。金融関係者の議論は,所詮,重箱の隅を穿る技術論にしか過ぎないのではないのか……。

 昔,両親や祖父母から「時は金なり」と教えられた。時間をかける重要性。時間が醸し出す付加価値増殖効果。どう説明しようが,“時”は可能性として価値を生む。それが今までの社会の暗黙の前提であり,価値観であったのではなかろうか。経済学でも現在価値と将来価値の差を利子という概念で説明しているではないか……。

 それが,マイナス金利政策導入で,満期が来ると,事実上,元本がマイナスになる可能性が出て来たのだ。もちろん,政策当局者は,マイナス金利が適用されるのは金融商品のごく一部で,一般の銀行預金までもがマイナスになることはない,と断言する。加えて,金融政策の分野で考慮すべきは,「実質値であって,名目値ではない」とも,御丁寧に講義してくれる。

 しかし,日常社会に於いては,人々は,理論よりは生活感,実質値よりは名目値,に基づいて行動するのが普通だろう。これまでは,“時”の経過と共に当初の名目元本の価値は増えるのが当然。それが逆に減少する,そんな社会的価値観の変更を想定したこともなかっただろう。

 政治が追求する最上位の目標は,社会の安定度を増すことのはず。そして,社会の安定化装置としては,各人が汗水垂らして働いて,銀行に預けた貯金にちゃんと金利がつくことだったのではあるまいか。働いただけの実利はちゃんとついてくる。それが最低限守るべき社会規範ではなかったのか。

 少子高齢化や人口減少の波に襲われている現下の日本で,年金や社会福祉の在り様が大きな政治課題となっている。それらが,政治が取り組むべき重要課題であることは間違いない。とはいっても,社会の安定度を増す,そんな尺度からは,それら課題以上に,“自分が稼いだ貯金に金利がつく”,そんな安心感,あるいは,自助努力に重きを置く社会的価値観こそが,本来最も大切にされるべきものではないのか。それが今や,残念ながら,なおざりにされ始めたのだ。つまり,マイナス金利導入政策は,本来は最上位に据えられるべき社会規範を堀崩す副作用を伴いかねないのだ。

 日本では,今や,人口の過半を50歳以上が占めるようになっている。あるいは,労働人口の4割が非正規労働者だとされる。こうした人々にとって,指先に明かりを灯すようにして貯めた預金こそが,自身の将来保証にとってどれほど重要か……。その基礎を堀崩して,何が金融政策だ。政治が本来語るべきは,そうした社会の,より上位の価値の維持であって,小手先の金融技術論などでは絶対にないはずだと確信する。

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