世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.611

政府と日銀は円安頼みの経済政策から脱却せよ

熊倉正修

(駒澤大学経営学部 教授)

2016.03.14

 日銀が導入したマイナス金利政策が議論を呼んでいる。1月29日の政策委員会においてマイナス金利の採用に賛成したのは安倍政権発足後に任命された委員だけで,それ以前から留任中の委員は全員が反対している。中央銀行が政策金利をマイナスにすることは西欧でも行われているが,その功罪に関してはまだ不明点が多く,責任感のある委員が抵抗を感じるのは当然である。ここではマイナス金利に関する技術的議論を展開する代わりに,こうしたとめどない金融緩和の背後にある経済観とその問題点について論じたい。

 今回のマイナス金利採用のきっかけの一つが円高の進行だったことは公然の秘密である。日銀は2013年の異次元緩和開始後に計三回の政策強化を行っているが,いずれの時期にも一時的な円高と株安が発生している。昨年12月の政策会合においても緩和措置の強化が行われており,翌月になって新たな政策を追加することは「政策の逐次投入はしない」という黒田東彦総裁の方針と矛盾する。それにも関わらず2カ月続けて緩和措置が強行されたのは,昨年末から予想以上に円高が進行し,それが株価や景気に与える影響を無視できなくなったためであろう。

 円高が進行する際に政府や日銀が対策を講じるのは当然だと言う人がいるかも知れないが,こうした考えは必ずしも正しくない。現在の為替レートが中長期的な均衡水準に比べて円高の時にさらなる円の増価を抑えようとすることは間違いでないが,現在の為替レートが均衡値に比べて円安の状態における円の増価は均衡値への自然な調整であり,それを金融緩和や為替介入によって回避しようとすることに正当性はないからである。

 安倍晋三首相は2013年1月の首相就任演説において「長引くデフレや円高が『頑張る人は報われる』という社会の信頼の基盤を根底から揺るがしている」と語り,黒田総裁も2014年4月の異次元緩和開始直後に「一般論としてですが,金融緩和した国の通貨は弱くなる」と述べて円安誘導を図っている。しかし標準的な方法で計測する限り,当時の為替レートはおおむね均衡値に近い水準にあり,それ以上の円安を煽ることが正当化される状況にはなかった。

 均衡値への回帰であろうがなかろうが円安は景気を改善させるから善だと主張する人がいるかも知れないが,こうした考えは誤りである。第一に,均衡値を超える円安政策は外国を犠牲にして自国の景気浮揚を図る近隣窮乏化策であり,早晩外国の反発を招く。先日のG20蔵相・中央銀行総裁会議において欧州の参加者から日銀のマイナス金利政策が通貨切り下げ競争を招くことを懸念する発言が出たのは当然である。日本政府や日銀は以前からマイナス金利政策を実施している欧州に批判されるいわれはないと主張するかも知れないが,客観的に見る限り,先進国の中で均衡水準を超える自国通貨安を演出してでも景気浮揚を図ろうとしているのは日本だけである。

 第二に,政府や中央銀行がどのような政策を採ろうとも,為替レートは中長期的に均衡水準に回帰する性質を持っている。したがって当局が意図的な円安誘導を行って好況を演出すると,その後の景気の落ち込みが大きくなり,かえって経済を不安定化させてしまう。アベノミクス開始直後に経済が活況を呈したにも関わらず,消費税率を引き上げたとたんに大きく落ち込み,その後沈滞が続いている一つの理由はそこにある。サブプライム危機前の数年間にも外需の急増に(実質べ―スの)円安が加わったため,日本経済は近年めずらしい長期拡大を経験したが,その後の世界同時不況と円高の中で好況ムードはあっという間に吹き飛び,金融危機の震源地だった欧米以上に深刻な不況が発生してしまった。

 第三に,一時的な円安は産業構造の漸進的な変化を困難にする点でも好ましくない。日本ではものづくり大国としての自意識が強いせいか,政府も企業経営者も何が何でも国内に製造業の基盤を維持しなければならないと考える傾向があるが,所得水準が高い先進国において製造業が少しずつ縮小してサービス業が拡大するのは自然の摂理である。ただし産業構造の変化の過程では必ず倒産する企業や失業する人が生じるため,そうした産業調整が一時期に集中しないよう,政府と中央銀行は慎重に経済政策を運営する必要がある。いちじるしい円安が生じると輸出企業の収益が改善し,産業構造の変化が後の不況期まで繰り延べされてしまうので,政府や日銀が懸念すべきは円高よりむしろ円安である。それにも関わらず円高が進む時だけ過剰反応し,円安による好景気は歓迎して放置するというのは責任ある態度でない。

 最後に,日銀が円安誘導を意識してとめどない金融緩和にのめり込むことは,政府に持続性のある財政政策を求める上でも障害になる。巨額の債務にあえぐ政府にとって,日銀がデフレ対策の名目で大量に国債を買入れて金利を極限まで引き下げてくれることは大歓迎であろう。また,日銀の金融緩和によって円安が進み,一時的にでも景況が改善すると,税収が増加することによっても政府の台所事情は改善する。しかし現政権はそうした一時的な財政制約の緩和を財政再建に活用するのではなく,集票を目的とした支出拡大に利用してしまっている。黒田総裁や他の一部の日銀政策委員は日本経済を救うためにあらゆる手段を駆使しているつもりかも知れないが,現行の政策を後になって振り返った場合,単に政府の財政破綻の糊塗に協力していただけだったということになりかねない。政府も日銀も持続性のない経済政策にこれ以上傾倒することは止め,責任ある政策運営に舵を切るべきである。

 ※ 本コラムのより詳しい内容は、こちらをご参照下さい。

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