世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.4056
世界経済評論IMPACT No.4056

従属国家から従属を誇る国家へ

立花 聡

(エリス・コンサルティング 代表)

2025.11.03

AI分析:日本政治における対米追従の象徴的構図

 高市早苗首相は10月28日夜,自身のX(旧ツイッター)で,同日搭乗した米大統領専用ヘリコプター・マリーンワン内でのトランプ大統領とのツーショット写真を投稿した。

 この写真の中心軸はトランプに置かれている。白い「USA」帽子と赤いネクタイが視覚的焦点を形成し,画面全体の重心を握っている。高市はやや身をかがめ,着座したトランプの目線の高さに自らを合わせている。この身体の傾斜と上下差は,非言語的に主従のヒエラルキーを示しており,すなわち,中心に位置するトランプが「主」,高市が「従」の位置にある構図である。

 トランプは背筋を伸ばし,両脚を広げたパワーポーズを取っている。これは空間支配を示す典型的姿勢であり,自信と主導権を象徴している。対照的に,高市は前傾姿勢で肩を内側に寄せ,笑顔で相手に近づいている。この姿勢は親和と敬意,さらには迎合的接近を意味するジェスチャーである。両者の姿勢差は,権威に対する心理的距離とその方向性を明確に可視化している。

 両者ともカメラ目線であり,対外発信用の撮影であることが明らかである。しかし,笑顔の質には明確な差がある。トランプの笑みは形式的で,口角のみが上がる「フォトスマイル」であり,感情を抑えた支配者的表情である。一方,高市の笑顔は頬筋まで動き,より自然かつ感情的であり,親密さと敬意を表すタイプの笑顔である。したがって,この写真では感情の主導は高市にあり,空間の支配はトランプにあるといえる。

 国家指導者の写真は,外交的儀礼において言葉以上のメッセージを持つ。この一枚は形式上は「友好」だが,空間構造と身体角度が示すのは実質的な上下関係である。狭い機内という閉鎖的空間で,座る位置・姿勢・視線の全てがトランプを中心に構成されている以上,支配軸は明らかにトランプ側にあり,高市はその周囲を回る衛星的ポジションを象徴している。日米関係の「形式的対等」と「実質的従属」の二層構造を鮮やかに映し出している写真だ。表面的には親密でフレンドリーな印象を与えながら,構図・姿勢・視線すべてが一方向的な従属的親和性を示している。すなわち,これは同盟を装った権威への接近図であり,現代日本政治における対米追従の象徴的構図である。

国家的マゾヒズム:従属国家から従属を誇る国家へ

 国家間の従属関係が可視化されることは,単なる外交の演出ではなく,国民心理,国際認知,政治正統性に直接的な影響を与える行為である。今回の高市首相によるトランプとのツーショット投稿は,戦後日本が長く暗黙裡に抱えてきた「対米従属」という事実上周知の構造を,精神的従属の記念碑として公式に是認した行為である。これは歴代首相の中でも,従属構造をここまで明確に「象徴」として演出した例は稀であり,もはや単なる外交儀礼の範囲を超えた政治的転換点といえる。

 国家代表が他国の指導者に対して従属的姿勢を取る映像が繰り返し可視化されると,国民の中で「従属は安定である」「服従は賢明である」という心理的刷り込みが生じる。それは政治的服従が合理的安全保障選択として内面化される過程であり,国民は自国の独立性を失うことへの痛覚を徐々に喪失していく。

 「自主」よりも「保護」「同盟」「安心」といった語が心理的価値を持ち始め,政治的主体性の放棄が「安定の知恵」として正当化される。この現象は,国家的マゾヒズムとも呼ぶべき政治心理の定着をもたらす。今回の写真がSNS上で賞賛される現象自体が,この心理構造の完成形を示している。

 国際社会は象徴の世界であり,写真一枚が「誰が主で誰が従か」を決定づける。トランプの側に笑顔で寄り添う高市の姿は,日米関係における非対称構造の再確認として国際的に読まれる。たとえ形式上の同盟であっても,視覚的ヒエラルキーが露骨に示されることで,「日本は依存国」「アメリカの延長線上にある属国的体制」という認知が再生産される。

 外交において,見た目の上下はそのまま交渉の起点であり,可視化された従属は交渉力の喪失を意味する。この写真は,日本が従属を隠す時代から,誇示する時代へ移行した象徴的瞬間である。

 最も深刻なのは,文化的・文明的次元での波及である。「従属」が国際政治の現実を超えて文化的アイデンティティの核に入り込むと,国民の思考体系そのものが変質する。日本的価値観や倫理体系が「西洋的承認」を得て初めて成立するという構造に陥り,思想・学問・芸術に至るまで「対米模倣」の自己合理化が進む。

 結果,独立とは政治的主権の問題ではなく,精神的自律の問題であるという原理が忘却される。文化は従属を美化する方向へと変質し,「誇り」が「迎合の美徳」にすり替えられる。つまり,写真一枚が民族的アイデンティティの変容を促すトリガーとなるのである。

 国家間従属関係の可視化は,心理的支配を恒久化する政治的装置である。映像は言葉より深く無意識に作用し,国民の価値観を「主従構造の中での安定」に適応させる。国家は力で支配される前に,まず映像によって支配される。そして今回の写真投稿は,「安全保障の象徴」であると同時に,精神的従属の記念碑として公式に承認された国家的儀式である。

 この写真を国民が違和感なく受け入れ,むしろ賞賛した瞬間,国家の主権はすでに奪われている――形式的にではなく,心の深層において。この構図を容認する社会は,もはや従属国家ではなく,従属を誇る国家である。それこそが,戦後日本の精神史が到達した最終段階,すなわち「従属の美学」の完成である。

「似非保守」から「偽保守」へ

 この写真の最も危険な政治的意味がある。私はが「似非保守」と呼んできた層はもはや,「偽保守」であり,彼ら自身の定義する「売国奴」にも当てはまる。

 真の保守とは,国家の独立と精神の自律を守る思想である。国家の尊厳,伝統,主体性を重んじ,外圧や権威に媚びない「内なる誇り」を核とする。ゆえに,国家間従属関係の可視化に最も強く反発すべきは,本来この保守勢力である。しかし現実には,高市とトランプの写真を見て拍手喝采する層が存在する。彼らは「対米親密」を「国益」と錯覚し,従属を愛国と取り違える。これは保守ではない。保守思想の根幹である「精神的独立」「自主の矜持」を放棄した,従属の快楽に酔う偽装保守である。

 かつて「似非保守」と呼ばれたものは,思想の未熟さで説明することができた。しかし今日のそれは,意識的に従属を選び,属国根性を愛国的儀式に変える点で,すでに「偽保守」であり,そして彼らの言葉でいえば「売国奴」にも当てはまる。

 彼らは国家の強さを「主権の独立」ではなく「宗主国の承認」に求める。自国の政治指導者がトランプの隣で笑う姿を見て安心し,誇りを感じる。だがその安心とは,支配に守られる家畜の安堵に等しい。支配の不快感を「同盟」と言い換え,従属の屈辱を「友好」と誤魔化す。つまり,自立を恐れる心理的依存症である。

 この構図は明治維新後の「欧化主義」,戦後の「対米従属構造」の延長線上にある。文明を輸入し,思想を外注し,価値を他者の承認に求め続けた日本の近代の縮図である。保守を名乗る者がその歴史的病を再演していること自体,極めて深刻な倒錯である。

 真の保守が守るべきは,国体でも制度でもなく「精神の独立」である。高市の写真を見て喜ぶ保守層は,その精神の独立を放棄し,「従属の美学」という病理を愛国心の名で飾っている。それはもはや思想ではなく,信仰の腐敗である。彼らは国旗を掲げながら,実際にはその旗を他国の風でなびかせているのである。

中国へ媚びるのが「売国」なら,米国へ媚びるのも「売国」

 「中国へ媚びるのは売国で,アメリカへ媚びるのは愛国」という論理は,非論理的な従属の二重基準である。「売国」とは,国家の主権と精神的独立を他国の利益に供する行為である。したがって,対象国が中国であれ米国であれ,本質は同じである。国家の尊厳を損なうのは「敵」への服従ではなく,「服従そのもの」である。

 ところが日本の保守層の多くは,「どの国に」従うかによって愛国か売国かを分類する。これは思想ではなく宗派である。思想が原理をもたず,信仰の対象が「国家」ではなく「宗主国」になっている。

 戦後日本では,「アメリカに寄り添うことが国益である」という構図が制度化された。経済も安全保障も,従属が「合理的選択」として教育されてきた。しかし,その合理性の裏にあるのは,敗戦国の心理的延長線である。アメリカに従うことで得る安心,承認,保護――それらはすべて「属国としての快楽」である。それを愛国と呼ぶなら,もはや愛国ではなく,被支配の自己合理化である。

 今日の「保守」と称する者の多くは,国家の独立よりも「宗主国の承認」を優先する。中国に頭を下げる者を「売国奴」と罵りながら,アメリカにひざまずく自分を「戦略的」だと称賛する。その瞬間,彼らはすでに保守ではない。彼らは「国を守る」ふりをして,実際には国の精神的主権を売り渡す者たちである。その意味で,「似非保守」などという生ぬるい言葉では足りない。彼らこそ,真の意味での「偽保守」,つまり売国奴の保守的形態である。

 敵がどこであれ,相手国へ媚びるという行為自体が国家の恥である。真の保守とは,いかなる強国にも媚びず,いかなる孤立にも怯えず,精神の独立を守る姿勢である。高市とトランプの写真が象徴するのは,単なる外交ではなく,服従を愛国と錯覚する国民の鏡像である。その錯覚を壊さない限り,日本の保守は永遠に「従属の宗教」として,他国の庇護の下で安堵の笑みを浮かべ続けるであろう。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article4056.html)

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