世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
ムッツリ自己愛の国,日本的ナルシシズムの病理
(エリス・コンサルティング 代表)
2025.07.21
隠された自尊心,ムッツリ自己愛の構造
日本人が謙虚なのに,なぜ「日本すごい」がブームになるのか?
日本すごい→日本人すごい→自分すごい。
誰にも程度の差があっても「自己愛」を持っている。日本人の場合,私は名付けて「ムッツリ自己愛」という。ムッツリ自己愛とは,個人主義なき社会において密かに育まれる,内向きで湿度の高い自己崇拝である。主張すれば「出る杭」として叩かれ,沈黙すれば「謙虚」として賞賛されるこの社会では,堂々たる自己表現は常にリスクであり,結果として自己愛は「隠し持つもの」へと変質する。
見せないことが美徳とされる文化において,見せない自分への自己満足は限りなく肥大化する。それがこの国に蔓延する,湿っぽく,こじらせた,ムッツリ型の自己愛である。
西洋型のナルシシズムが「鏡に向かってポーズを決め,賞賛を求めて叫ぶマッチョな自己愛」だとすれば,日本型――とりわけ「ムッツリ自己愛」は,鏡を内側に隠し持ち,心の中で拍手喝采を浴びているひとり芝居型ナルシシズムである。「日本すごい」とは,国家という巨大なスクリーンを使って,自分の影を巨大化させるムッツリ型ナルシシズムの祝祭である。
自らを誇るには器が足りない,だが黙っていても褒められたい――そんなこじらせた承認欲求が,国旗の背後に隠れて薄暗く光っている。自分のすごさを語るのは下品だが,「日本人として誇りに思う」と言えば,あら不思議,自尊心の押し売りが美談に化ける。国家を讃えるふりをして,自分を間接的に賞賛する構造。それがこの国に蔓延する,「謙虚なふりをした自己陶酔」のメカニズムである。
「世界が日本を絶賛している」という番組を見て涙ぐむ人間の多くは,自分自身が褒められていると無意識に錯覚している。だがその実,彼らが愛しているのは日本ではない。「日本という仮面をかぶった自分」である。彼らは言う,「自分がすごいとは言ってない,日本がすごいと言っているだけだ」と。
国家を讃える美名の裏で,個の貧困が群れの威光を借りて肥大する。ムッツリ型ナルシシズムとは,声高に主張しない代わりに,国全体を巻き込んで自我を肥やす装置なのである。そうなんです。「全体主義的自己愛」でもあるのだ。
愛国という仮面,全体主義的自己愛のメカニズム
「日本すごい」。言い換えれば?「全体主義的自己愛」である。個人の器では受け止めきれない欲望を,国家の器に注ぎ込む。それが全体主義的自己愛である。「私」はちっぽけで語れない。だが「我々日本人は」と言えば,一気に自己言及が正当化され,声がデカくなる。集団を媒介することで,自己愛が無罪放免される構造である。
これは愛国でも忠誠でもない。自己愛の拡張のために祖国を私物化する知的な背徳である。「国の誇り」は口実,「文化の美徳」は隠れ蓑,最終目的は「自己正当化の永久免罪符」の獲得に他ならない。
このタイプの人間は,国が批判されるとまるで自分が殴られたかのように過剰反応する。なぜなら,本当に殴られているからだ――国と自分を同一視している以上,外部からの批判は即ち自我への攻撃と解釈される。これは防衛ではない,精神的自傷行為への先制報復である。
全体主義的自己愛は,群れに溶け込みながら個を賛美し,個を語らずして自己陶酔し,集団の名で自己満足に耽る。それはもはや思想ではない。国旗をまとったナルシシズムである。
似非保守とは,伝統や国家を語りながら,その実どれ一つ自らの血肉にしていない者どもである。彼らは語る,「日本は素晴らしい」「世界が日本を賞賛している」と。だがその言葉は,学びや経験からくる知見ではない。自尊心の点滴として打ち続ける愛国風自己肯定剤に過ぎない。
彼らは保守ではない。守るべき伝統も思想も無い。ただ,「失われた自信」という幻を守っているにすぎない。言葉は勇ましいが,行動は空虚。過去の栄光を背景に,自分の無為を照らし出すという滑稽な構図の中で,彼らは「誇り」という名の寝袋にくるまって現実から逃げ続けている。「反日が許せない」と怒るが,その実,怒っているのは「自分が思うほど認められていない自分自身」に対してである。
「日本は誇りを取り戻せ」と叫ぶが,失われているのは日本の誇りではない。彼ら自身の「個としての自己肯定力」である。似非保守は,言論の自由を盾にしながら異論を叩き,歴史の真実を「自虐史観」と呼び捨て,都合の悪い事実は「反日」と断じる。もはやそれは保守思想ではない。「鏡を割ったくせに,映らないことを世界のせいにする病人」の咆哮である。
行動なき叫び――反中ごっこと保守の空洞化
似非保守は,反中を声高に叫ぶ。だがそれは戦略でも政策でもなく,自己の劣等感を一時的に麻痺させるための口撃である。「中国から日本を取り戻せ」と叫ぶその口で,今日もアリババで買った商品が届き,着ている服は中国製,スマホの部品も中国経由。だが彼らはそれを見て見ぬふりをする。「行動」が「言葉」に追いつかないのではない。「言葉」だけが先走っているのだ。
本当に「中国から脱却」したいのなら,まずやるべきは経済的断絶という痛みを受け入れる覚悟である。中国サプライチェーンを断てば,衣食住のコストは跳ね上がる。生活コストが倍になることも十分にありうる。だが,そこまでの「自己犠牲」は彼らにとって想定外である。なぜなら,彼らの保守思想は「生活を壊さない範囲での愛国ごっこ」だからである。
選挙で本気で反中を訴えるなら,「中国製品ボイコット」「チャイナフリー生活」「代替産業支援策の提案」などが出てくるべきだが,聞こえてくるのは「売国議員を叩け」「スパイ防止法を」など,責任の外注と敵の妄想化ばかりである。彼らができないのは,できないのではなくやる気がないからである。やる気がないのは,やったら自分の生活が破綻するからである。
そして破綻するのは,彼らの多くが社会の中間以下の弱者層に属しているからである。その姿はまた痛々しい。
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