世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
日本企業のサプライチェーン戦略:地政学リスクを踏まえた方向性
(名古屋外国語大学 教授)
2025.06.09
米中対立の激化やトランプ関税に象徴される地政学リスクの高まりを背景に,日本企業は「自律性」(他国に依存しない供給体制)と「不可欠性」(グローバル供給網の中で代替困難な存在)を兼ね備えたサプライチェーンの構築が強く求められている。ただし,その最適解は企業の事業内容や技術的特性によって大きく異なる。したがって,今後のサプライチェーン戦略の方向性としては,(1)国内回帰,(2)地産地消,(3)選択と分散という3つの戦略軸を状況に応じて柔軟に組み合わせることがカギとなる。日本企業は自社の実態や国内外の環境変化を的確にとらえつつ,チャンスとリスクを慎重に見極め,最適なサプライチェーンを再構築していく必要がある。
まず,日本への「国内回帰」には,①国内での生産管理による品質の信頼性向上,②雇用創出を通じた地域経済の活性化,③外部環境の変動リスク(供給停止や物流混乱など)への対応力の向上といった利点がある。他方,①高い労働コストや生産年齢人口の減少に伴う人材確保の制約,②地震や台風など日本固有の自然災害リスク,③国内市場の縮小による収益機会の制限といった課題も抱えている。事実,厚生労働省が2025年6月4日に発表した人口動態統計によれば,2024年の出生数は68万6,061人,合計特殊出生率は1.15と,いずれも過去最低を記録した。少子高齢化による人口減少が進行する日本は,国内市場の持続的成長が見込みにくいのが実情である。
こうした状況下で日本企業が成長を維持していくためには,海外市場の開拓が不可欠である。中でも,米国と中国という二大経済大国は依然として日本にとって重要な市場である。例えば,日本貿易振興機構(ジェトロ)が2025年2月4日に発表した「2024年度日本企業の海外事業展開に関するアンケート調査」によれば,今後の海外事業拡大の対象国・地域として,米国(38.6%)の回答比率が最も高く,次いで中国(24.9%)となっており,事業展開先としての両国の重要性に対する日本企業の認識が示されている。
もっとも,米中両国は近年,高関税や輸入規制の導入など,保護主義的な政策を強めている。こうしたリスクへの対策として有効なのが「地産地消」,すなわち現地における生産・供給体制の構築である。地産地消のメリットとしては,①輸送コストや関税・為替リスクの軽減,②市場ニーズに即した製品・サービスの迅速な提供,③現地へのコミットメントを通じた企業信頼度の向上などが挙げられる。
ただし,地産地消には,①生産可能な品目の制限,②必要なリソースの不足による供給の不安定化,③技術やノウハウの流出リスクなどのデメリットも指摘される。特に,米国では生産コストの高さを踏まえた品目の選別が求められる。また,中国では知的財産権の侵害リスクを考慮し,導入する技術を慎重に選別することが必要である。
さらに,米中以外の国・地域においては,「選択と分散」を通じたサプライチェーンの多元化がリスク分散という観点から重要になる。そのメリットとしては,①拠点分散による地政学リスクなどの影響の軽減,②生産・調達の最適配置によるコスト競争力の強化,③多様な市場へのアクセス拡大による需要変化への柔軟な対応などが挙げられる。他方,①スケールメリットの低下によるコスト上昇,②サプライチェーン管理の複雑・煩雑化,③品質確保や納期管理の難しさといった課題も存在する。
こうしたサプライチェーンの多元化の実効性を高めるためには,日本がこれまで締結してきた「環太平洋パートナーシップに関する包括的および先進的な協定(CPTPP)」や「地域的な包括的経済連携(RCEP)協定」,「日EU・EPA」などのメガFTA・EPAを積極的に活用し,関税優遇措置を通じて既存市場の深耕や新規市場の開拓を図ることも重要である。
また,他国・地域が第3国・地域と締結しているFTA・EPAを戦略的に活用し,自社事業を第3国・地域経由で展開するアプローチも模索すべきであろう。例えば,日産自動車は中国で展開している既存モデルの輸出を検討していると報じられている(「日経MJ」2025年5月5日付)。
サプライチェーン戦略を多層的に推進していく上では,現在,国際競争力の低下が各種指標で指摘される日本経済の全体的な底上げを図ることが前提条件となる。そのためには政府による制度整備や支援策も不可欠である。例えば,日本企業の国内回帰に加えて,外資系企業による対日直接投資の促進も重要な要素となる。内閣府が2025年6月2日の対日直接投資推進会議において,2030年までに対日直接投資残高を120兆円に引き上げる目標を決定したが,その背景には,海外の経営ノウハウや先端技術,人材の導入を通じて日本の国際競争力を向上させる狙いがある。
また,FTA・EPAの観点からは,グローバルサウスと呼ばれるカントリーリスクの比較的高い国・地域への日本企業の進出を後押しするために,例えば中東では「GCC(湾岸協力理事会)」との交渉加速,中南米では「メルコスール(南米南部共同市場)」との交渉開始など,FTA・EPAのネットワークをさらに拡大していくことも求められる。
そして何よりも重要なのは中長期的な成長戦略の策定・実行である。例えば,産官学の連携による研究開発支援や税制優遇による企業のイノベーション投資促進,脱炭素・デジタル・半導体といった成長分野への集中投資など,官民が一体となって取り組む成長戦略こそが,日本企業の競争力強化と日本経済の持続的成長を支える重要なカギになるものと思われる。
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