世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3833
世界経済評論IMPACT No.3833

ハラリのトランプ論とサピエンスの絶滅論

原 勲

(北星学園大学 名誉教授)

2025.05.19

 筆者がユヴァル・ノア・ハラリの説に初めて接したのは,「サピエンス全史」を,友人に勧められて読み始めた頃に始まる。そのころ筆者は,戦争のない世界論を「コミュニティ経済」の観点から分析してみようと志していたので,先史時代の人類のコミュニティの知識は殆どなかったから,歴史学の専門家の著書は待ち遠しい限りのものであった。ただし,人類史に深い認識を持たないものが,真逆とも思われる非経済学者専門家からどの程度の理解をえられるか若干の不安もあった。しかし,「サピエンス全史」を読みだすと少年時代,人類発祥の時代を知りたいとうっすら願った興味がこの書から爆発しだした。それ程ハラリの「サピエンス全史」は,魅力にあふれていた。そのハラリの人類存在の原点である先史時代のコミュニティは,どのようなものであったのだろうか。

 一般に人類学者や歴史学者の説によると,最初の人類が東アフリカに登場したのは250万年前だとされる。ハラリは,それは人間の形はしていたが,「南のサル」状態の時代であったという。実はそれが人間らしくなるのは,「認知革命」の起こった7万年前で,二本足で立ち上がり,手を使って道具を作るようになってからだと書いている。新しい思考と意思疎通の登場を「認知革命」というが,その発生原因は定かではない。最も信じられているのは,たまたま遺伝子の変化がおこり,サピエンスの脳内の配線が変わり,それまでにない形で考えたり,全く新しい種類の言葉を使って意思疎通を可能にしたりすることが可能になって以来のことであるという。しかし彼らの言葉は,この世で初の口語用語ではない。多くの動物が口語用語を持っているからだ。ミツバチやアリのような昆虫でさえ,複雑なやり方で意思を疎通させる方法を知っており,食物のありかを伝え合う。では人間の言葉はどれほど特別なのか。それは最もありふれた言葉さえ驚くほど柔軟であるということである。サバンナモンキーは仲間たちに,「気をつけろ,ライオンだ」と伝えることは出来るが,人類は友人たちに「今朝,川が曲がっているところにライオンがパイソンの群れの跡を辿っているのを見た」と言うことが出来る。要するにこの人間の使う言葉によってコミュニティを形成し,強大な動物群や自然を克服してきたという迫真の人類史の記述は,今後も傑作のひとつに残るだろうと思う。さて,この人類学の世界最高水準の専門家がつい先ごろ全国紙一面に,今世界の最も関心を集めているトランプ大統領について強烈な批評記事を投稿した。筆者はハラリがいつの間に政治経済学の専門家になったのか近況に疎くて驚くばかりだが,その論評は驚くほど高い水準で,しかも強烈に読者への深く鋭い挑戦状ともなっていることに圧倒された。ハラリは「ウインウインを志望してきた世界の“自由主義的秩序”は,トランプの登場によってまもなく消滅するだろう」と予言する。トランプの理想とする世界は「要塞国家」のモザイクであり,その要塞は過去の世界では人間を守る壁で覆われていた。それは今日では表向きはなくなったようであるが実はそうではない。今や世界はゼロサムゲームとなり,取引には勝者と敗者という対立する二つの存在しか存在せず,勝者は正義で支配者,敗者は屈服して支配者にすがるだけの身となる。そしてこれまでの国際法や国際協定,国際機関は,一部の国を強くするため,あるいはすべての国を弱体化させて特定の国際的エリートだけが恩恵を受けるための陰謀に用いられる結末と考える。ウクライナはロシアより弱いのだから降伏すべきであり,弱いデンマークがはるかに強い米国へグリーンランドの譲渡を拒否した責任の全負担はデンマークが負うべきだというロジックとなる。現在の米中戦争はどちらが賢明な行動を取り,先に譲歩すべきなのか,世界をゼロサムゲームでとらえるのではなく,すべての国の相互の繁栄を推奨する人がいるかもしれない。だがそれは,トランプ氏の考え方とは真っ向から異なるかもしれない。ここまでの論調で示しているように本稿当初の人類論と全く異なった歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの見解の視点に筆者は極めて大きなショックを受けた。彼が人類の最大の特性として挙げた生存のためのコミュニティや正義は,全くどこかへ消えてしまっている。実は先史時代の人間のコミュニティ研究で筆者が注目している一人はトマス・ホッブズであり,彼は,正義的哲学者ではなく宗教界からは最も悪人として評価されたが,それは多くの誤解にはざまれたものであった。18世紀の自然状態とされた世界の中で,人間の本性は悪であると述べた指導的哲学者は一人もいない。ホッブズも又「人間の抗争心や他人をいさめようとする考えは,生まれつきのものではない。人は生まれつきの能力や知力は平等である。確かに全ての人が,等しい精神の機敏さを持っているとは言えないが,そうした違いは習慣と教育と体育の違いがまねいたものである」。

 ホッブズは結局強大な抽象的組織「リヴァイアサン」を構築することを提言して自然状態からの脱却を提案してこの世を去る。世界最高の共同体哲学者の一人として知られるマッキャベリ(米)は,これまでの世界最大の哲学者は,ホッブズであり,かつ「優れた平和主義論者」であると評価している。勿論本稿で強調したいのはトランプがホッブズの類型に入るかを論じたものではない。既に彼等が活躍した時代から300年の時代が流れ,世界人口は70億人をはるかに超える大小の国家や地域に帰属する大規模で複雑な世界の現実に我々は生きている。一方目覚ましい技術の発展が,ある意味でグローバリズムを小さくしている要素もある。大国や権力者の独断ではこの世界に線は引けない。ハラリは「世界をゼロサムゲームでとらえるのではなく,短期的には貿易戦争と軍拡競争に加え,帝国主義の拡大を招くだろう。だが,われわれ事態を反転すべく最善をつくすべきであり,もはや驚いて呆然としているときではない」と挑戦的に主張している。筆者は迫りくる次の世紀が混乱の時代であると予測して呆然として待つのではなく新しい22世紀型の新しい世界システムの創造に立ちあがるべき時ではないかと考える。それこそがホモサピエンス(賢い人)ではないかと思える。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3833.html)

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