世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3654
世界経済評論IMPACT No.3654

頼清徳総統の“祖国論”と“領土論”

朝元照雄

(九州産業大学 名誉教授)

2024.12.09

頼清徳の祖国論

 10月1日の中華人民共和国の「国慶節」前夜,中国で活動する台湾出身の芸能人が中国政府系メディアを通じ「祖国を愛する祝賀会」に祝辞を送った。このあからさまなゴマすり行動が頼清徳総統の“祖国論”発言の起因となった。

 10月5日の台湾の国慶節晩餐会での頼総統の発言は,内外のメディアから大きな注目を浴びた。頼総統は「私たちは主権独立の国家であり,私たちは常にこの国を愛している」,「10月1日に私たちの隣人である中華人民共和国は75歳の誕生日を迎えた。一方,10月10日に中華民国は113歳の誕生日を迎える。年齢から言えば,中華人民共和国が中華民国の“祖国”になることは不可能なのである。逆に,中華民国は中華人民共和国の75歳以上の人民にとって“祖国”である可能性すらある」と述べた。「要すれば,台湾の人間は中華人民共和国の国慶節を祝う場合,“祖国”の2文字を使うことは理論上できない。中華民国は113年の歴史を持つ主権国家で,隣国の75年よりも遥かに長い歴史を有している。中華民国は台湾,澎湖島,金門島,馬祖島に根を張り既に75年以上の歴史を持つ。彼ら(台湾出身の芸能人)は祝賀活動の時に際し,常に正確な言葉を使わねばならない」,「中国は常に“祖国”や“中国人”や“中華文化”など混用しやすい用語を使い,意図的に国家に対する忠誠心を混乱させる。中国で稼いでいる台湾の芸能人による中国に対する奇怪な媚は,彼らが国慶節期間中に動員され中国への忠誠を強要されたものだ」と強い言葉を述べた。

 頼総統は国慶節晩餐会で「中華民国と中華人民共和国は,世界で共存し,“互いに隷属しない”主権国家である」と主張した。このことは,中華民国が1911年10月10日に誕生し,国共内戦により1949年に現在の台湾に移ったが,澎湖島,金門島,馬祖島を含めた独立した主権国家であり,中華人民共和国は1日として台湾を統治した事実が無いことを意味している。

 頼総統の5月20日の就任式における講演でも「中華民国と中華人民共和国の両国は互いに隷属しない関係」とする基本的立場を述べている。この講演は,憲法と法理の角度から両国は互いに隷属しない関係であることを論じたが,国慶節晩餐会の発言は,歴史的時間軸の概念で中華民国と中華人民共和国が互いに隷属しない関係であることを論じた。頼総統の“直球対決”によって北京当局は氏が語る「中華民国は113年の歴史を持つ主権国家」という歴史的事実に困惑し,如何に応答するか分からなくなっためか,就任式後の「聯合利剣2024A」に続いて,「聯合利剣2024B」軍事演習を発動した。

頼清徳の領土論

 頼総統は就任後100日に達した9月3日に台湾・年代テレビの張雅琴主催の「雅琴看世界」番組に出席した(總統就職滿100日/100分鐘獨家專訪/雅琴看世界/看見百分百的賴清德總統)。

 同番組において頼総統は,北京当局が「台湾は中国の一部」とする主張に対し,「中国が真に領土の完整を望むならば,19世紀の『璦琿条約(アイグン条約)』によりロシアに割譲した領土の返還を何故要請しないのか。現在,ロシアはウクライナ戦争で最も弱体化している時期ではないか」と挑発した。この発言はロイター通信,ニューズウィーク,独・Die Zeit誌,英・ガーディアン(The Guardian)紙が「領土論」として報道し,大きな注目を浴びた。

 頼総統は「中国が台湾を併合する目的は,領土の完整のためではなく,世界秩序を変えること,ひいては国際社会や太平洋地域で彼らの覇権を達成することが真なる目的である」,「仮に領土の完整を図る場合,なぜ『璦琿条約』によりロシアに割譲した領土を取り戻そうとしないのか」とも述べている。

 「璦琿条約」とは,1858年5月28日にロシア帝国と中国の清帝国が,中国東北部,アムール川中流の璦琿(現黒竜江省黒河市)において結んだ条約を指す。1689年の尼布楚条約(ネルチンスク条約)以降,清国領とされてきたアムール川左岸をロシアが獲得し,ウスリー川以東の外満洲(現在の沿海州)は両国の共同管理地とされた。それに,清帝国はロシアにアムール川の航行権を認めた。中国(清帝国)は1858年の璦琿条約,1860年の北京条約で日本の面積の4倍にあたる150万㎢の領土を帝政ロシアに奪われた。そして中国は,19世紀のこれらの条約を今日でも力によって強いられた「不平等条約」と称している。

 頼総統の主張は「璦琿条約,北京条約などロシアに割譲した領土は台湾の領土の数十倍の広さであり,仮に領土の完整を図るのであれば先ずそれを取り戻すのが本筋である。北京政府の台湾侵攻には,200キロに及ぶ台湾海峡を渡る必要がある。これを越えるのは非常に困難だ。台湾軍は人民解放軍の侵入を想定した防衛を準備し,日,米,オーストラリア,EUなど主要国家が台湾支持の陣営に立っている。台湾有事の場合,これらの民主主義国家は瞬時に台湾支持を表明し,中国は全面的に制裁を受けることになる」と言うものだ。

 現在,ロシアはウクライナ侵攻によって,EUの主要国家の“敵”になっている。仮に中国がロシアから璦琿条約など失われた領土の返還を要請した場合,あるいはEUの主要国家から支持が得られる可能性がある。また,ロシアはウクライナ戦争の長期化によって弱体化しており,武力行使でなくても金銭などで失った領土を“購入”することも考えられる。

 頼総統は「(台・中)両岸の平和的な発展を望んでいる。平和は最高の原則であり,人民が追求する普遍的価値で,政府は責任をもって台湾海峡の平和安定を確保する。そして,その方法が互いの尊厳を保つ正しいものである必要がある」と述べた。また,「私の使命は,(1)国家主権に基づく生存発展の確保である。私たちは“一つの中国の原則である九二共識(92年合意)”を受け入れることは絶対できず,これを受け入れることは,台湾や中華民国の主権放棄を意味する。(2)中華民国と中華人民共和国は互いに隷属しない関係であることを確立させる。(3)国家主権を脅かす相手には徹底的に抵抗する。(4)中華民国台湾の前途は台湾の2300万人の人々が決するという民主主義を堅持(四大堅持)する。これは台湾社会のコンセンサスである」と述べた。

 頼総統は,中国の「武力による台湾統一」や戦狼外交による様々な威嚇は,自由,民主主義の主権国家には受け入れられないものであり,自身の「領土論」についても国際社会に新しい紛争を惹起する目的ではなく,国際社会の平和維持の追求こそが真なる目的であると述べている。

[参考文献]
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3654.html)

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