世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
英国スターマー政権 「第4の道」を模索
(国際貿易投資研究所(ITI)客員 研究員・元帝京大学経済学部大学院 教授)
2024.11.25
「14年間の保守党が残した“負の遺産”を清算して,英国経済を新たな成長路線に乗せる」。2024年7月4日の総選挙で保守党に勝利して登場した労働党政権のキア・スターマー首相は,保守党時代の緊縮政策に代えて公共サービスを回復させると政策の方向転換を明らかにした。そればかりか保守党時代の労働党,とくにコービン党首時代の急進的な左翼的路線からトニー・ブレア流の中道政治への回帰を意識した大転換をするとした。
英国は,Brexit,コロナ・パンデミック,アイルランドやスコットランドの自治独立運動などで揺れ続けた5人の首相,キャメロン,メイ,ジョンソン,トラス,スナクの保守党政権の時代から新しい時代に入ったと言える。保守党では,「小さな政府」を唱える党内右派でアンチ・ウォーク(Anti-Woke)派のナイジェリア系のベーデノック前外相が党首に就任し同党の中である道右派化が強まりそうだ。今後の英国経済の焦点は,如何にして「公共サービスの機能マヒ」という保守党の負の遺産から脱却させるかである。保守党時代の「大きな社会」ではなく,またトニー・ブレア型の「第3の道」を意識した「第4の道」に向かうかどうかである。ここでも中道保守路線がニューレーバー2として登場しようとしている。
英国経済はドイツともフランスとも異なる競争優位モデルを有している。サービス金融部門の卓越さ,「ウィンブルドン現象」と形容される製造業部門を中心に有力外資企業に開放すること,構造的な貿易赤字の経常収支を下支えするサービス収支と所得収支の黒字,海洋国家としての英連邦グローバルネットワーク,などを特徴として挙げることができる。1970年代の欧州の病人とされた時代を経て,大幅な外資開放を可能にしたグローバル・ブリテンで再建されたサッチャー時代の後,90年代後半には労働党のトニー・ブレア政権が伝統的社会民主主義路線を転換した。その理論的支柱となったのは社会学者アンソニー・ギデンズ(Anthony Giddens)の「第3の道」(The Third Way)であった。第3の道とは何であったか。従前より対立する2つの思想や政策の利点を組合せるか,あるいはその対立を超越した新たな路線である。10項目の第3の道へのロードマップとは,①急進性,②新たな民主主義,③市民社会,④家族内民主主義,⑤新たな混合経済,⑥包括的な平等,⑦建設的ウェルフェア,⑧社会的投資,⑨コスモポリタン国家,⑩コスモポリタン民主主義,と表現され,自由市場主義と福祉国家主義の弊害と欠点を克服して,両者をより高い次元で統合するものであった。
スターマー労働党政権を論評する前に2010年に始まった保守党政権時代の考え方を理解しておくことが必須であろう。ブレア,ブラウン時代の労働党は「ニューレーバー」(新しい労働党)を標榜しながら地方分権や市民社会とのパートナーシップを進めたが,結局は中央政府・官僚が大きな権限を持ち続けたと批判された。2010年に労働党から政権を奪還した保守党はキャメロン首相の下「大きな社会」(The Big Society)の構築を通して大きな政府,官僚機構の権限を縮小させて,公共セクターの改革を掲げた。かつてサッチャー首相は「社会というものは存在しない“There is no such thing as society”。社会など必要ない」とまで発言し,社会軽視との批判を招いたが,キャメロンは官僚機構の権限を縮小させ公共セクターの改革を行おうとした(「BIG SOCIETY NOT BIG GOVERNMENT(大きな政府ではなく大きな社会)」)。ここで言う「大きな社会」とは何か。キャメロン首相の就任後の2010年7月に行ったリバプール演説によると,それは,①より高いレベルの個人・専門家・市民および企業の責任が伴う社会,②自分自身の生活やコミュニティの改善を行うために人々が協力し合う社会,③国家による統制ではなく進歩を引き出すために社会的責任を重視する社会,の3原則に基づく社会である。換言すれば「大きな国家(政府)」を否定し,個人やコミュニティに対してより大きな信頼と役割を期待する社会である。個人やコミュニティが役割に見合った責任を果たすことも求める自己責任主義とも言える。
2024年7月,チャールズ国王は議会開会に際し,労働党内閣の公約である39の法案,即ち,①予算責任法,②グレート・ブリティッシュ・エナジー法による公団設立,③国境管理,④EU連携強化,④環境投資などの政府施政を発表した。しかし発足後のスターマー政権の支持率は低水準である。左傾化したコービン前党首の路線からの変更を,スターマー労働党は「第4の道」として模索していると言われる。ギデンズ自身も時代遅れになっている「古い左翼の国家主義」をリセットして,国家の「間接的」な役割,階層間を超えたアプローチ,福祉国家,給付の甘え依存の文化,社会的投資,生涯教育,リスキリング,自己責任,就労努力などを訴えている。
ニューレーバーや米国民主党は実はイタリア社会民主主義の考えを引き継いだとする意見がある。しかし,平等と統合,不平等を排除とそれぞれ捉えることや,労働時間の短縮,政教分離の共和制などの点でニューレーバーとは異なる考えもある。一方,フランスのドロール首相などはリベラルな社会が原子的な状況に陥ってしまい,連帯と共同体的繋がりが「第3の道」には欠如すると批判した。ギデンズも最終的には米国型の新保守主義に対抗するために「第4の道」を「ネオ進歩主義」(neo-progressisme)として意識し,国家の役割に否定的な米国型民主主義に対して,個人に各自の自律を奨励することのできる資源を提供できる国家,「エンシュアリング社会」(ensuring society,galante)を提案した。ギデンズもこのような急進的な修正主義に進化しつつあった。福祉から労働に傾斜するギデンズに対しては社会民主主義者から批判も出た。学習(workfare, learnfare, empowerment, requalification)を重視する北欧型モデルにおいてB・ガジエ(Gazier)などは社会自由主義的なギデンズ・モデルに異議を唱えた。ここでは「新たな完全雇用」を学習・就労・育児休暇・サバティカル休暇モデルを社会装置として男女平等と社会貢献型の第3セクター連帯経済の中で「持続可能な雇用」を旗印にした資本主義モデルが提唱された。このイタリア社会民主主義は「プラハの春」社会主義モデルの「第3の道」,ユーゴ・スラビアあるいは,フランスの自主管理モデルを連想させるものであった。
このような社会民主主義においては国家でも左翼主義に代わる市場の社会化や,市民社会の役割に照準を当て,イタリアのBrunoRizziや Orsiniらが「市場の社会主義化」の理論的試みを,またMerlino, Yvin Biourdet, Pierre Rosavallon,Ruffoloら有力エコノミストは多様な所有と企業の形態による自主管理時代の導入を訴えた。
このような民主主義的社会化のシェーマ(計画的枠組み)は,スウェーデンにおける製造企業の生産システムとして知られるレーン=メイドナー・モデル,あるいは英国で開発された産業民主主義モデルや,スウェーデンの反米国式の自動車産業経営モデルに見出すことができる。ここでは,まず目標として,①低インフレ,②完全雇用,③経済成長,④所得の平等,その次に政策として,①緊縮政策,②連帯賃金,③積極的労働市場政策,④公的貯蓄,⑤雇用助成が挙げられている。このモデルではケインズ主義的な財政主義,実質賃金の引上げ,積極的労働市場政策,国家による市場における経済的補完機能,など従来の保革―労働という二元論とは異なるもうひとつの重要な選択肢が示されている。
就任後のスターマー政権は経済成長,都市計画制度,地方市町村首長への権限付与,労働者権利,鉄道公有化などの市場の社会主義化路線という新たな実験をスタートさせている。英国においても中道左派の時代から中道保守に流れは動いている。
[参考]
- Bocke, Canto-Sperber, Le Socialisme liberal, une anthologie: Europe-Etats-Unis, Esprit 2003
- Ota Sik チェコの社会主義市場経済論者
- Serge Audier, Le socialism liberal, La Decouverte 2006
- Rehn Meidnerモデル:1952年スウェーデン労働組合連合のイエスタ・レーンとルドルフ・メイドナー提唱の経済賃金モデル。
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