世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3621
世界経済評論IMPACT No.3621

加速する中国の景気対策

結城 隆

(多摩大学 客員教授)

2024.11.18

 中国の今年の成長目標は5%前後と設定されているが,もちろん5%を超えるに越したことはない。しかし,第3四半期のGDP成長率は,4.6%と,前期の4.7%をも下回った。しかも,5月17日に打ち出された不動産市況の下支え策は,十分な効果を上げているとはいえず,消費にも目立った動意は見られていない。株価も不冴えな状態が続いていた。7月の三中全会では,こうした状態を「新旧動能転換陣痛(経済成長エンジンの換装に伴う痛み)」と表現し,20年続いたハイパー・ファイナンス成長から質の高い成長への転換に伴う過渡的なものであるとの認識を見せた。

 しかし,9月26日に開催された党中央政治局会議では,三中全会時の経済認識に関するトーンががらりと変わり,より強い危機感が滲みでるものとなった。まず,現状については,「穏中有進」としながらも,質の高い発展は安定的なものでなければならず,民生の保障に力を入れ,重要分野におけるリスク防止を積極的に進めなければならない,とし,過剰生産問題と過当競争,失業問題,不動産不況に伴う様々なリスクに対する強い認識が示された。そして,今年の経済成長目標については,「堅定不移」が「努力」に代えられた。つまり,目標経済成長率達成は揺るがない目標である,ということから,死力を尽くして実現すべきもの,という切迫感の強いものとなった。これを実現するためのマクロ政策では,大型財政出動(超長期国債と地方政府の専項債権の増発)と利下げという具体策が盛り込まれ,不動産については価格下落防止が,資本市場については中長期資金投入によるテコ入れ,パラダイムシフトの中で苦しむ在来型企業支援が打ち出された。政治局会議においてここまで具体策に踏み込んだのは珍しい。また,金融緩和には積極的である一方,財政面での景気対策は,財政赤字GDP3%という暗黙の制限もあって,なかなか踏み込めなかったが,はじめて3%超えもやむなしとの決断が下されたことも注目される。

 党・政府の危機感は,「笛吹けど踊らない」消費や株式市場に業を煮やしたことによるものだけではない。バイデン大統領が大統領選から離脱し,副大統領ハリス氏が立候補したことにより,米大統領選の行方が混とんとしてきたこと,仮にトランプ氏が当選すれば,対中輸入関税引き上げにより中国の輸出産業が無視できないダメージを被る可能性が生まれること,といった外部環境の不透明さも与っているのだと思う。

 また,9月26日の政治局会議での決議で,強い危機感に基づきかなり踏み込んだ具体策まで提示された背景,とくに中央財政赤字の拡大を決意したのは,習近平国家主席の「心変わり」があるとも言われる。9月10日,習国家主席は甘粛省の調研を行った。退役軍人が経営するリンゴ農園,天水の石窟,蘭州の高齢者介護施設などを訪問した習氏は,終始くつろいだ表情を見せていた。しかし,二泊三日の調研の間,随行の党中央幹部との間で,現下の経済状況について,かなり突っ込んだ会話が行われたことは間違いない。

 存外,出張先では本音の会話がなされるのは,いずこも同じである。不動産不況による地方政府の土地使用権売却収入の激減や,隠れ債務問題により,中央政府の「三保政策(給与支払い,政府調達費用の支払い,平常業務の保持)」は掛け声倒れになっているようだ。給与遅配や未払い,未払い金を巡る業者とのトラブル(地方政府職員に対する暴行も含む)が頻発していることや,失業による困窮や先行き不安による犯罪の増加といった問題が披瀝されたようだ。旅先の気安さということもあって,習氏は,こうした厳しい話をオープンに受け入れたのだろう。そして,心変わりの止めの一撃となったのが,9月19日に起こった湖南省財政庁トップ劉文傑女士の刺殺事件である。劉文傑女士は1966年生まれの58歳。財政庁の党書記も兼ね,全人代の委員でもある。湖南省の大物官僚でもある彼女が刺殺された原因について中国メディアは沈黙しているが,湖南省の財政問題に絡むトラブルが背景にあったことは想像に難くない。

 財政難の中,地方政府は,税金の取り立ても厳しく行うようになっている。財政部は,富裕層や相応に利益を上げているとみられる企業に対しては,税務申告内容をダブルチェックするよう指導しているといわれる。地方の税務局は,脱税や過少申告に伴う罰金と,「修正申告による正しい」納税のどちらが得か,納税者にプレッシャーをかけているとも言われる。いずれの納税者も叩けば必ず埃が出る。罰金は個人や企業の信用にも関わる上,かなり恣意的に金額が決められる傾向がある。このため,しぶしぶ修正申告を行うケースも増えていると言われる。省財政トップの刺殺というのは,極めて稀である。ひょっとすると,予算執行を巡る深刻なトラブルがあったのではないか。湖南人は激しやすい。

 今年に入ってから,瀋陽,蘇州,上海,深圳などで相次いで刺殺事件が発生している。蘇州と深圳では日本人学校のスクールバス添乗員と児童がそれぞれ亡くなった。経済が上向かず,先行きも不透明な中,「五失人」が増えているという。公安部はこうした人々を社会の転換期に出現する特殊人群とし,重点的に管理するよう通達を出したとも言われる。ちなみに,「五失人」は,青少年の場合,「失学(教育機会を失う),失妾(両親を失う),失業,失管(親・親族など監督者を失う),失足(素行劣悪)」を指し,成人の場合「失去工作(無職),失去土地(土地を失った農民),失去住所(住所不定),失去家庭(家族離散・離別)」をいう。新たな定義には「投資失敗,生活失意,関係失和,心理失衡,精神失常」というのもある。

 上記のような事情もあって,政府は,より大胆な景気対策を打ち出したわけだが,その効果は,眼を見張るものだった。まず,既存住宅ローンの金利改定(引き下げ),住宅購入制限措置の撤廃,人民銀行による国有銀行への資本注入と,それを原資とした銀行による,企業向け自社株買い資金の融資拡大が行われた。株式市場テコ入れのために人民銀行が準備した資金は8千億元に上る。

 上記の施策が公表されたのは10月1日から始まった国慶節休暇直前である。不動産業界の場合「金九,銀十」と言われるように,9月が年内で最も売れる時期で,10月がそれに次ぐと言われるが,こうした施策により,10月は休日返上で顧客の対応に追われる仲介業者が続出したという。また,株式市場も爆上げ状態となった。上海株価指数は3,200から4,000へと一気に上昇した。新規口座開設数は,ある証券会社では一日だけで3千件に達した。買い注文が殺到したため,システムダウンを起こした証券会社もあったという。

 中国の長期基準貸出金利(LPR)は,今年に入ってすでに50BP引き下げられているが,不動産市場に動意は殆どみられなかった。しかし,10月に入って,人民銀行が21日にLPRを35BP引き下げ,5年物LPRが3.6%と史上最低レベルになったことに加え,住宅ローン適用金利引き下げの指示もあって,LPRを75BPも下回る金利が適用されるようになり,「破3進2(3%を割り込み2%台へ)」を適用する銀行も出てきた。また多くの都市では住宅購入制限施策の撤廃に相次いで踏み切った。これにより,一次取得者向け住宅ローン金利は,北京・上海・深圳では3.15%(LPR-45BP),二軒目の場合3.35%(LPR-25BP)となった。広州では2.85%(LPR-75BP),仏山は2.95%といった具合である。購入制限廃止は,いわゆる「四つの取り消し」であり,購入制限,販売制限,価格制限,基準制限(販売可能な住宅基準)が廃止された。

 LPRの引き下げと併せて既存住宅ローンについても利下げがLPR-30BPを下限として実施されるようになった。より低利のローンを受けるには,一旦完済した後,改めて審査を受け,ローンを組むのだが,担保となる住宅価格が値下がりしていることや,手続きが極めて煩瑣であるという問題があった。しかし10月21日以降主要銀行は既存貸出金利の無条件での引き上げを行った。借入人のスマホに銀行から「あなたが2016年に借りた住宅ローンの金利は,4.05%でしたが,来月からは3.9%になります」といった内容の通知が来る。上場21行でみると,10月28日までに,5,367万件の既存住宅ローン金利調整が行われたという。対象となったローン残高総額は25.2兆元に上るという。これに伴って軽減された利払い額は1,500億元に上る。

 さらに,ホワイトリストに掲載された不動産開発業者の個別物件に対する融資の拡大も進められている。今年に入って,こうした企業に対する融資は,2.23兆元にのぼっているが,年末までの3か月で4兆元まで拡大すると見込まれている。物件毎の融資は「政・銀・企」三位一体で進められている。目的は保交楼の完遂である。

 これらの施策によって,不動産市場がようやく蘇生の兆を見せてきている。不動産開発業者トップ100社の販売金額はこの数年マイナス60%~マイナス30%という大幅な現象が続いていたが,10月は,久々に前年同月比7.1%と水面上に浮かび上がった。市場全体でみても,10月の成約面積はそれまでに比べ格段の伸びを見せている。主要30都市の新築物件の成約面積は9月26日までは一日あたり30万平米だったが,それ以降は,40万平米を超え,10月最終週には65万平米に跳ね上がった。中古物件についても,一日あたり4千棟前後の成約率だったのが,10月末には6千棟を超えるようになっている。販売価格も「回温」傾向にある。とくに1線都市の回復が顕著である。中古物件価格は続落しているが,需要の多くが,政府およびその関係機関が低所得者層向けの賃貸・販売に提供するものなので,やむを得ない面もある。

 3年に渡って続いてきた不動産不況も,「9.26新政」により「止跌回穏(価格下落が止まり,需要が回復)」の効果が表れるようになったわけだが,党・政府の目的は,バランスシート不況の回避にあると思われる。改めて不動産バブルを起こそうとは全く考えていないはずだ。日本では10年以上かかった不動産バブル退治とバランスシート調整を,中国は5年程度で完遂しようとしている。その成果が3年経ってようやく現出してきたと見るべきだと思う。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3621.html)

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