世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
なぜ富士康鄭州工場は従業員募集を再開したのか
(九州産業大学 名誉教授)
2024.09.02
富士康の鄭州工場が従業員募集を再開
前掲の拙稿「なぜ富士康は中国生産から撤退するのか」(No.3481)で論じたように,新型コロナの蔓延によって,富士康(鴻海の中国法人)は鄭州から撤退した。当初,中国市場は規模が大きく,富士康1社が撤退しても中国経済に大きな影響はないと考える人が大勢を占めていた。しかし,2023年の富士康鄭州工場の従業員数が27万人から7万人に大幅に減少し,同年のiPhoneの輸出量も1395万台と対前年比47.4%も減少した。他のデーターによれば,2020年の鄭州工場からの輸出額は316億ドルで,河南省の全輸出額の約60%,鄭州市の約80%を占めた。また,2023年の「中国Top500企業売上高ランキング」によると,富士康の売上高は14.6兆ドル(対前年比約3%減)で,ランキングはそれまでの2位から7位に下落した。
富士康の中国ビジネスの縮小は,中国の人々に富士康の存在の重要性を知らしめた。しかしこの選択は,アップルのティム・クックCEOがサプライチェーンを中国だけに依存することへの危機感に拠るもので,「China+1」政策に基づく発想である。
一方,今秋には新機種のiPhone16が発売される予定で,富士康の生産も最盛期を迎える。これに先駆け,鄭州工場が給与を2023年の5500~6000人民元から約2割増しの6800~7300人民元と大幅アップして,新規募集を開始した。なぜ富士康は鄭州工場での操業を拡大するのか。
これは富士康の劉揚偉会長と河南人民政府が「新事業項目協力協議加速推進」と銘打つMOU(基本合意書)を締結したことによる。同MOUでは,「3+3戦略」を採用し,新しい富士康を構築することが約束された。
「3+3戦略」とは,「電動自動車(EV),デジタルヘルス,ロボット」の3大新興産業と「AI(人工知能),半導体,新世代の通信技術」の3つの新技術領域を指す。富士康は45億台湾ドルを投じ,鄭州航空港産業園区で新事業本部を設立する。同本部では,EV,エネルギー貯蔵バッテリー,デジタルヘルス,ロボット,AI半導体,モバイル通信などのビジネスに従事する。過去の労働集約型EMS(電子製造サービス)から次の新しい技術集約型や資本集約型EMSを目指すという。このことから見ると,富士康の撤退は,ビジネス形態の転換のためだったと言えよう。
べサニー・アレンの著書『中国はいかにして経済を兵器化してきたか』では,地政学的目的のために,経済的威圧を駆使する中国政府を「権威主義的エコノミック・ステイトクラフト」と呼ぶ。鴻海創業者の郭台銘が2024年の台湾総統選挙に出馬の意向を示したが撤退したの背景には,野党票の分散を嫌った中国の思惑が働いたと言われている。中国の税務当局が厳しい査察を富士康に行うなど郭台銘の出馬に圧力をかけたとも報じられている。こうした中国の権威主義に対し,富士康は新規事業へ転換することを通じて,圧力がかかることを牽制したとも考えられよう。
インド工場をどのように活かしてゆくか
他方,中国を超える巨大人口と市場を有するインドは,米中貿易摩擦によるリスクヘッジという「China+1」の有望拠点として注目されている。鴻海は2017年からインド東部タミル・ナードゥ州のスリペルブドゥール(Sriperumbudur)工場で中・低価格のiPhoneとiPadを製造し,今年からiPhone16 の最高機種ProとPro Maxも製造する予定だ。インド製iPhoneの市場シェアは14%に過ぎないが,ここ3~4年内に25%への上昇を見込んでいる。
インドの人件費は中国のそれよりも安価であるが,共通語である英語の識字率の低さ,労務管理の難しさ,基礎的インフラ(電力,用水,港湾建設など)の未整備などボトルネックが多く,事業の難易度が高い。
また,製品の良品率が低く,原材料・部品の多くも中国などからの輸入に依存しているため,物流費用もかかる。加えて電力不足による消費量制限や水不足の問題も深刻だ。インドの首都デリーでは5000万ガロン/日の水不足があり,280万人の生活に支障を来している。
水不足は農業のみならず,発電や鉄鋼業などにも深刻な影響を与えている。2024年8月には,インド主要港の港湾労働者による賃上げ要求のストライキが発表されるなど(直前に交渉が成立し回避された),様々な点で事業環境が不安定なことがインド進出のハードルを上げている。
8月の鴻海の株主総会を劉揚偉会長は欠席し,インドのナレンドラ・モディ首相に面会するため訪印した。鴻海はインド事業に既に100億ドルを投資しているが,カルナータカ州のベルガルールに26.2億ドルを投資し,「大象計画(エレファント・プラン)」と称する第2のiPhone組立工場を設置,5万人の雇用機会を創出する。他方,「獵豹計画(ハントパンサー・プラン)」と称するEVの部品製造・組立工場を設け,2025年に年間50万~70万台を製造する計画である。
また,鴻海はスリペルブドゥール工場から車で20分の地に,2.4万坪の土地を購入し,10棟の女性従業員向けの複合宿舎を建設,女性の雇用機会の拡大に努める。先頃,インドでは女性医師へのセクハラと殺害事件が起き,医療現場の女性を守る(医師の約6割が女性)ストライキが各地の病院で起きたばかりで,女性労働者への配慮は極めて重要視される。鴻海は中国で数十万人を収容できる宿舎を建設した経験があり,そのモデルをコピーしたものである。
前述のように,鴻海は中国で「3+3計画」を開始するが,今後,インドでも「3+3計画」を開始する。鴻海にとって,中国と非中国(インドとベトナムなど東南アジア)の2つの生産拠点を設けることは,リスク回避という意味でも必要だ。これは米国の次期大統領がトランプであれ,ハリスであれ,米中貿易摩擦によるデカップリング(分断)は不可避であるとの判断に拠るものと言えよう。
[参考文献]
- 朝元照雄「なぜ富士康は中国生産から撤退するのか:生成AI機能搭載,生産拠点の移転」世界経済評論Impact No.3481,2024年7月8日。
- べサニー・アレン著,秋山勝訳『中国はいかにして経済を兵器化してきたか』草思社,2024年。
- 朝元照雄「“富士康(フォックスコン)が本当に逃げた!”:中国人論者が語る“富士康後遺症”」世界経済評論Impact No.3488,2024年7月15日。
- 朝元照雄「中国からの撤退“It’s Moving Time”:台湾企業対中戦略の変化」世界経済評論Impact No.3253,2024年1月15日。
- 朝元照雄「“赤いサプライチェーン”は台湾企業を代替するのか:ブルー・オーシャンを追求する台湾企業」世界経済評論Impact No.3266,2024年1月22日。
- 朝元照雄「“春江水暖鴨先知”から“寒江水冷鴨先知”:“Chiwan”から脱中する台湾企業」世界経済評論Impact No.3283,2024年2月5日。
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