世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3525
世界経済評論IMPACT No.3525

米国の雇用統計を巡る三つの謎

榊 茂樹

(元野村アセットマネジメント チーフストラテジスト)

2024.08.19

家計調査と事業所調査の就業者のずれ

 8月2日発表の米国の7月分雇用統計は,金融市場では景気鈍化を示す指標として受け止められました。失業率は4.3%と,前月の4.1%から上昇しました。非農業部門就業者数は前月比11万4千人増と先月,先々月は事前の市場予想値を下回る伸びに留まりました。ただ,雇用統計を巡る三つの謎があり,景気鈍化やインフレ収束の程度には,はっきりしない所があります。

 米国の雇用統計は調査方法の違いから家計調査をベースにしたものと事業所調査をベースにしたものに分けられます。上記の非農業就業者数は事業所調査に基づきます。7月には前年同月比+1.6%と,昨年7月の同+2.1%から緩やかに鈍化しています。一方,金融市場ではあまり注目されていませんが,家計調査においても非農業就業者数は発表されています。定義の違いもあり,事業所調査に基づくものと一致はしませんが,過去を見ると,両者のトレンドに大きな違いはありません。ただ,7月には前年同月比横ばいに留まり,昨年7月の+2.0%から大幅に鈍化しています。事業所調査では副業を持つ人が二重計上され,家計調査より就業者数の伸びが高くなっている可能性があります。ただ,家計調査で発表されている副業を持つ人の数を就業者数に足しても,事業所調査ベースよりずっと低い伸びに留まります。事業所調査に基づけば,景気は鈍化しつつも景気後退が接近しているとは言えませんが,家計調査に基づけば,景気後退間近にも見えます。これが一つめの謎です。

失業率の上昇とGDPギャップの高止まり

 上で述べたように,失業率が7月には4.3%と,Fedが4.1%する自然失業率を超え,人手が余まってきていることを示唆しています。一方,GDPギャップを米議会予算局が推計する潜在GDP米商務省経済分析局発表の実質GDPから推計すると4-6月期には+1%と需要超過状態にある上,1-3月期の+0.9%をわずかながら上回っており,縮小の兆しが見えていません。

 これから実質GDPが鈍化してGDPギャップのプラス幅が縮小するのか,失業率の上昇の方が一時的で,再び低下するのか,はっきりしません。また,AI導入などで既存の雇用が削減される一方,新たに創出される仕事に適した技能を持つ人が足りず,摩擦的失業が増えることで失業率が上昇しているのかもしれません。この場合には,失業率の上昇と,プラスのGDPギャップが当面続くということもありえます。二つめの謎です。

失業率とインフレ率の関係

 失業率と基調的インフレ率の指標である消費者物価中央値を見ると,2021年以降,失業率の低下につれて基調的インフレ率が上昇し,足元では失業率の上昇と共に基調的インフレ率が下がっていることがうかがわれます。いわゆるフィリップス曲線が通常想定される右下がりの形状にあります。フィリップス曲線の形状は常に安定しているわけではありません。今後,どこまで失業率が上がればインフレ収束に十分なのかは,よくわかりません。この点が三つめの謎です。特に,上で述べたように摩擦的失業の増大で失業率が上がっているのだとすれば,失業率がさらに上昇してもインフレ率がほとんど下がらないということも考えられ,Fedも対処に苦慮するでしょう。

 金融市場では,9月17,18日のFOMCで0.5%の利下げを見込む見方が一時強くなりましたが,こうした三つの謎を踏まえると,期待が先走りし過ぎたように思えます。0.25%の利下げに留まったり,Fedが追加利下げに慎重な姿勢を示したりすると,失望感が生じる可能性もあります。ただ,その一方で,0.5%利下げしたとしても,それで景気後退を必ず回避できるとも限りません。Fedも金融市場参加者も,今後発表される経済指標を精査し,景気とインフレの状況をその都度判断することを続けざるを得ないようです。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3525.html)

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