世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
マクロン,存在の耐えられない軽さ
(国際貿易投資研究所(ITI)客員 研究員・元帝京大学経済学部大学院 教授)
2024.08.05
筆者は今回の欧州議会選挙(6月6~9日)とフランス国民議会解散の発表当日,出張でパリに滞在していたため,平時とは異なるフランスに遭遇した。首都パリは一種の「非常事態宣言」で,内閣も国民議会も不在,大統領と五輪と警備だけが実存するという異常な状態のフランス第5共和制の光景に唖然とした。週刊誌L’EXPRESSは,これを「1968年の5月危機か,あるいは1981年5月の社会党ミッテラン大統領登場にも匹敵する現代フランス史の歴史的な危機である」と捉える。リオネル・ジョスパン元首相(首相在任1997~2002年)はLe Monde紙(2024年6月14日)インタビューのなかで,ミラ・クンデラ(注1)の小説をもじって6月9日の国民議会解散の決定を「高慢と存在の耐えられない軽さ」であるとマクロンを批判する。2017年4月24日のマクロン大統領支援のロトンド・グループの重鎮,知識人アラン・マンクさえもマクロンの決定を激しく非難。ジャック・アタリも「これほど馬鹿げた時はなかった。党派を超えた臨時政府樹立を」と訴える。現時点で,フィリップ,アタルらいわゆるマクロン世代のニューリーダーも批判に回る。孤立無援のマクロンは全く別のことを考えていると言う。
今回の未曽有の危機はなぜ生じたか。それは第5共和政発足以来の大統領議院内閣制の行き詰まりである。1953年5月13日,「フランスのアルジェリア」支持の現地軍人や入植者コロン(pied noir)による暴動がクーデターに発展,フランス本土進攻の脅威の中で第4共和政は崩壊状態に陥った。新憲法法案が議会承認を得て当時首相のドゴールが80%の国民投票で支持されて1958年10月4日に大統領権限の強化と議会権限の縮小を盛ったフランス第5共和国憲法が成立した。1959年発足した第5共和政では第4共和政に比べると,国民議会,すなわち立法府の権限が著しく低下したのに対して,大統領の執行権は首相任任免権,下院国民議会解散権,条約批准権,の3つの強大な権限を有することになった。議員内閣制の枠組みも共存する「大統領制」である。このフランス型「大統領制議院内閣制」(presidential-parliamentary system)は,1789年6月17日に全国3部会が第3身分議員で組織したフランス革命議会を原点にする。それ以来の共和政のなかでも現在の第5共和政は発足してから67年が経過,これまで最長の第3共和政にも匹敵する。しかし,この間に進行した構造変化の中で制度疲労を起こしているのではないか。第5共和政以前,第4共和政では議会が国民の「一般意思」(ルソーの思想)を体現したが,短命の不安定な内閣が続いた。ドゴールの提案は議会の内閣政府に対するコントロールを制限して,内閣の行政執行を効率よく行えるように,議会の特権に制限を加えるものであった。この第5共和政の議会は憲法第3条に列挙された法律制定以外には介入できず,内閣行政府の効率的運営が憲法評議会(court constitutional)の設立によって一層,優先されるようになった。20世紀後半の「栄光の30年」(Trente glorieuse)や経済社会構造のグローバリゼーションのなかで「新しい社会」(Chaban-Delmas首相)への目標が,執行権を強化した大統領と,ENA(国立行政高等学院)を中心とする行政官僚機構との深い連携を通じて推進された。第4共和政時代に比べると立法府たる議会の権限は著しく低下した。
長期に及ぶ現在の第5共和政は一言でいえばその制度疲労がついに表面化してきたのである。マクロン政権第1期(2017・5・14~22・5・13)の5年間と第2期(1922・5・14~現在)の2年間は,内外の危機が継起する7年間であった。フランスは9つのショックに揺れ続けた。すなわち,①2017年3月29日から始まった英国のEU離脱協定交渉,②2018年11月17日に発生したジレジョーヌ運動,③2019年12月5日に火が着いた年金改革反対スト,④2020年1月23日に感染が確認されたコロナ危機,⑤2022年2月24日に勃発したウクライナ戦争,⑥2022年6月19日に明白となった下院総選挙におけるマクロン政権与党の敗北,⑦2023年4月15日の年金改革の強行採決,⑧2023年6月27日の警官の発砲に対するするパリ郊外での暴動,⑨2024年1月18日に始まった農業従事者のストライキ,である。まさに「危機の大統領」(president des crises)と呼ばれる所以である。平時において行政を執行する余裕は十分になかった。このため大統領特例(décret)や憲法第49条3項に規定された内閣責任動議などに打って出る「強行採決」に訴えることが多かった。
欧州議会選挙における極右政党「国民運動」(RN)の躍進は,ついに「ガラスの天井」を突き抜けた歴史的なものとなった。共和国の精神にそぐわない右翼ポピュリスト政党の急速な台頭と大統領与党の敗北の数時間後,6月9日の夕刻,マクロン大統領が3週間後の6月30日と7月7日に総選挙を実施するという決定は側近も知らされなかった全くの晴天の霹靂であった。あまつさえ7月26日の五輪開催と夏のバカンス・シーズンの直前というタイミングに内外に衝撃が走った。総選挙の2回投票制における候補者の一本化の工作によって今回はRNが議会内の多数派になることを阻止することができた。絶対多数のない会派の集まりである国民議会はハングパーラメント状態に陥った。マクロン大統領提案の国民議会のパリ五輪後の開催,内閣の首班指名と組閣,そして9月に待ったなしの来年度の予算編成が控えるという異常事態にある。
パリ第1大学教授バスチアン・フランソワ(Bastien François)「第5共和国は政策の実行に権力の重点を置き過ぎ,効率が議論よりも優先されるという政治哲学の虜になってきた」(注2)と批判する。アルジェリア戦争という内戦勃発の「非常事態」を事態収拾するために,ドゴールの舵取る大統領を頂点に据えた代議院制とそれを支える官僚機構を必要したが,フランソワ教授は,今日,米国型の大統領制か,あるいは欧州型の議院内閣制に基づいた第6共和政に移行することが求められるとする。マクロン大統領は第3期のない現在の大統領制を嘆き,それを可能にする憲法改正も辞さない構えである。
[注]
- (1)Milan Kundera ノーベル文学賞,『存在の耐えられない軽さ』(L’insoutenable légèreté de l’être 1984)
- (2)Bastien François, Le régime politique de la Ve République, La Découverte 2015
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