世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3467
世界経済評論IMPACT No.3467

ドイツ型オルドリベラリズムの試練

瀬藤澄彦

(国際貿易投資研究所(ITI)客員 研究員・元帝京大学経済学部大学院 教授)

2024.06.24

 ネオリベラリズムのドイツ・モデルは国境のライン河を挟んだだけであるのに,フランスのモデルとは随分と異なる。日本では長い間,とくに戦後において欧州研究家の間でも「オルドリベラズム」(独:ordoliberasmu)を一般に知る人は少なかった。最近では経済リベラリズムを掲げるイデオロギーの劣勢で国益重視の経済介入主義を掲げる勢力の潮流が顕著になってきた(注1)。ジュネーブ大学教授のブルノ・アマブル(Bruno Amable)は社会市場経済の概念を社会保障制度に基づいた社会民主主義と見做してはならないと指摘する。社会保障面の公共政策が認められてもそれをもって福祉国家として捉えてはいけない。市場の社会経済化はあくまでネオリベラルなシステムのなかで成長と福祉が競争市場を介し実現されるものであるからである。

 マクロン大統領は2024年4月24日,ソルボンヌ大学大講堂で2度目の講演を行った。注目すべきは欧州の経済モデルの定義として「オルドリベラル」(ordoliberal)を挙げたことである(注2)。とりわけ彼がこのドイツのモデルを「余りにも競争力の理念に偏りすぎている」と批判した点である。第一次大戦後に経験した天文学的なインフレのトラウマが国全体を今でも覆っていると言われるドイツでは,デフレ志向に陥りやすい経済体質の影がいつも付きまとう。慶応大学名誉教授の竹森俊平が世界金融危機の処方箋を巡って淡水学派と海水学派の論争が見事に描かれていたのが想起される(注3)。この当時の欧米中央銀行トップの人脈は,ケインズの弟子であったモジリアニ教授の信奉者であった。所得水準が貨幣量によって決まるとするフリードマンの淡水学派のシカゴ大学グループと海水学派と言われたMIT(マサチュ―セッツ工科大学)グループと対峙したことをも彷彿とさせる。

 実はこのような観察はマリオ・ドラギ前・欧州中央銀行総裁の考えにも呼応するものである。リーマンショックとサブプライム・ショック以降の経済政策は競争力強化のための労働コストの引下げによる景気対策が重点であった。これは国内需要を脆弱化させ,社会保障モデルを崩壊させるものである。マクロンによればこのようなドイツ型の経済政策の選択は実はそれに留まらないところに大きな陥穽があると言う。即ち,欧州各国がそのエネルギーと農業用肥料をロシアから調達し,中国にモノの製造を任せて,さらに安全保障を米国一辺倒に依存していた。このような時代の流れは今や変わり,すべては不確実となった。このようにマクロンは演説した。内需を顧みないドイツ式デフレ経済システムは,その内実は中国,ロシア,新興国BRICSからの膨大な外需に対するドイツの輸出で支えられていたものである。ポスト・ケインジアンと任ずるマクロンとドラギはドイツの緊縮モデルが異端であるとの認識を共有しているのである。

 2000年代のシュレーダーとメルケルの時代に「欧州経済の機関車」ともてはやされたドイツ経済は,再び「欧州の病人」とされる低成長と停滞に様変わりした。現在の欧州中央銀行総裁クリスティンヌ・ラガルドは米国や日本の中央銀行が金利の引下げに動くなかで,一層の利下げに踏み切るかどうか逡巡している。現時点の所得をさらに精緻化して,生涯所得の期待値である恒常所得が現在の消費を規定するケインズの関数「ライフサイクル仮説」や,あるいは企業価値が資本調達にかかわらず影響を受けないという「モジリアニ・ミラー定理」などのケインズ主義的な考えは,経済厚生を重視するネオリベラルな中道主義である。そこに心理的な抵抗を感じてしまうラガルド総裁はドラギ前総裁とは一線を画すようである。ドラギであれば利下げはもっと早く実現していたであろう。各国中央銀行の採った対策やポストケインズ以降の金融政策は単一通貨ユーロ導入以降,加盟国の所掌権限ではなくなり,各国ともベースマネーを膨張させているのにインフレ率がなかなか上がらない状況について,ケインズ経済学では合理的に説明できるのにマネタリズムでは説明できないジレンマに陥った。

 社会市場経済はドイツの国民経済学者アルフレート・ミュラー・アルマックこそが,1946年に出版した本「Wirtschaftslenkumg und Marktwirtschaft」(社会市場経済)の第2章タイトルがSozial Marktschaftとなっているところからこの呼び方が始まった。アルマックは市場での自由の原理を文化的,倫理的な要素,その社会の発展を補完するする平和的キリスト教の神学に基づくものであると考えた。文化的精神的な上部構造が経済的な下部構造を規定していくと言うマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムと資本主義の精神」をも想起させるところがある。そこでは禁欲主義的な自由な競争市場経済が理想とされたのである。1940年以降,戦後にはキリスト教民主同盟(CDU)の政策プログラムに組み込まれ,経済財政大臣エアハルトの時代の1949~66年の時期には社会市場経済という表現が一般化した。「デュッセルドルフ綱領」(Dusseldoifer Leitstze)(注4)と呼ばれるドイツのネオリベラリズムは独占とカルテルを放置させる自由放任を批判するのと同時に経済の計画化にも反対する。そこでは人々の福祉と厚生を高めるような市場のあり方が最優先されなければならない。60年代の社会民主党(SPD)時代にもカール・シラー経済大臣は「この国では労働者も消費者も自由競争には関心を示さない」と述べたが,社会民主主義型の社会保障システムとも袂を分かっている。一方で,1991年に世界的にヒットしたミッシェル・アルベール(Michel Albert)が持ち上げた「ライン型資本主義モデル」において,どこまでドイツ経済にオルドリベラルな要素がみとめられるかは論争があるところである。

[注]
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3467.html)

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