世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3423
世界経済評論IMPACT No.3423

ASEANに迫る「先進国病」の足音

助川成也

(国士舘大学政経学部 教授・泰日工業大学 客員教授)

2024.05.20

先進国入り前に忍び寄る病魔

 「先進国」とは通常,高所得,高い教育水準,高い社会福祉を備えた国々を指すが,その明確な国際的定義はない。日本の内閣府は「先進国」をOECD加盟国としているが,この分類には経済だけでなく,政治的安定性や社会的成熟度も含まれる。

 ASEAN諸国は,経済発展に伴い先進国と同じ道を辿りつつあるが,高齢化や社会保障費の急激な増加といった新たな挑戦に直面している。これらの問題は「先進国病」のリスクを高めている。先進国病は,主に成熟した資本主義国でみられるが,出生率の低下による社会の高齢化,社会保障費の膨張,産業の空洞化による失業率の上昇などを背景に低成長が続くことである。

 先進国クラブとも称されるOECDについて,アジアからの加盟国は日本,韓国のみ。現在,インドネシアとタイが加盟を目指して手続き中であるが,これら国々はOECDの基準に合致させる形で国内法や規制を抜本的に見直す必要があり,加盟まで相当の期間が必要になる。しかしこれらの国々が先進国入りする前に,「先進国病」の病魔が迫っている。

「人口ボーナス」期が次々と終了

 人口経済学では「人口ボーナス」という概念がある。人口ボーナス期の定義は幾つかあるが,生産年齢人口(15歳以上65歳未満)の増加と同比率の上昇に伴い,様々な経路で経済成長が押し上げられる期間とされる。

 生産年齢人口比率が増大すれば,資本ストック(生産活動に寄与する投資蓄積)の資金源である国内貯蓄の増加を通じて,潜在成長率が高くなる。また経済発展とともに出現する少子化は,子供の養育・教育負担の減少を通じて,家計部門での貯蓄額増加に寄与する。家計負担が減少すれば,その分,政府は財政を国民生活向けからインフラ整備等に振り向けられる。また就労人口の拡大は消費支出の増加に直結する。

 しかしASEANでは半分の加盟国で人口ボーナスが終了したと見られている。国連の世界人口予測(2022年版)を用いて計測すると,地域としてのASEANの人口ボーナスは2023年に終了した。国別では,シンガポールの2010年を先頭に,タイ,ベトナム,ブルネイ,マレーシアなどで終了した。同地域最大の人口を抱えるインドネシアも5年後の29年に終了する見込みである。例えばタイでは2018年に生産年齢人口が減少に転じ,経済成長のペースが鈍化している。労働力の減少は消費と投資双方に悪影響を及ぼす懸念がある。

TFP主導型経済への転換を

 ノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマンは1994年,「まぼろしのアジア経済」と題したレポートを発表,アジアの経済成長は生産要素,すなわち資本,労働の投入の増大だけで説明がつき,技術進歩あるいは生産効率の改善を伴わない成長は長続きしないと警鐘を鳴らした。

 クルーグマンの警鐘から30年,アジア生産性機構(APO)の成長会計分析によれば,これまでASEANの成長に最も寄与してきたのは「資本」の蓄積である。ただしASEANの資本投入は,外国資本に相当程度依存している。昨今の地政学的リスクの高まりは,この地域の経済的安定性の脅威であり,より自立的な経済運営が求められる。その一方で労働投入は,シンガポールとタイが2018年に生産年齢人口が減少に転じるなど,近年,経済成長の下押し要因となっている。

 ASEAN諸国が直面するこれら課題に対処するためには,単に資本や労働の投入を増やすだけではなく,全要素生産性(TFP)の向上が不可欠である。特にTFPの向上は,技術革新,効率的な資源配分,そして教育と訓練を通じた労働力の質の改善から促される。特に,デジタル技術や人工知能(AI)の導入による生産性の向上は,ASEAN諸国が次の成長段階へと進むための鍵となる。政府は教育の充実と技術革新への投資を増やし,デジタル技術やAIの導入を促進することで,生産性の向上を図るべきである。

 前述のAPOの成長会計分析では,中国ではTFPが資本蓄積に次ぐ成長の牽引役になっている一方,ASEANでの寄与は限定的である。TFPが改善しなければ,自ずと経済成長は失速を余儀なくされる。

残された時間は少ない

 ASEAN各国が迫り来る課題に向き合わなければ,先進国入りを前に病魔に襲われることになる。財政基盤が脆弱な新興国の場合,先進国以上に病状は悪化する。

 未発達な社会保障制度は高齢者の貧困を深刻化させる。それを回避すべく社会保障制度を先進国並みに充実しようとすれば,経済成長に寄与する公共事業や産業政策などに十分な投資が出来なくなるなど,ジレンマに陥ることになる。

 また経済の低成長の長期化は,国内外の投資減少を招き,新たな産業や技術の発展が阻害され,経済自体が地盤沈下する恐れがある。

 ASEANは病状が深刻化する前に,TFP主導型経済への転換に動く必要がある。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3423.html)

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