世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3375
世界経済評論IMPACT No.3375

台湾に学ぶ花蓮大地震後の底力:一方有難,八方支援・官民一体救援体制

朝元照雄

(九州産業大学 名誉教授)

2024.04.15

 4月3日の日本時間朝8時58分頃,台湾東部花蓮沖を震源とするマグニチュード(M)7.7の大地震が発生した。1999年9月21日の台湾中部で発生した「921大地震(集集地震)」以来,25年間で最も大きな地震となった。日本政府は1億5000万円の義援金の拠出を発表し,日本赤十字,Yahoo!基金,AAR Japanなども義援金・支援金の募金活動を開始した。

日本完敗?

 花蓮市は直ちに中華国民小学校の屋内体育館に避難所を開設した。日本を含む世界各国のメディアは台湾の官民一体の救援体制を称賛し,日本のテレビ局のレポーターは取材後,「日本完敗!」と述べ“台湾の底力”を称えた。

 仏教団体の慈済仏教基金会は,同会の「災害区物資制御」のボランティアを動員し,台湾各地に保管する自らが開発した避難所用室内テント「福慧環保隔屏」50セットを3時間以内に被災地に運び込んだ。同テントのデザインと設営方法については,次のYouTubeのアドレスをクリックし確認されたい(福慧環保隔屏操作使用說明)。

 使用の手順は,①コンパクトに詰め込んだ収納ケースからテント本体を取り出す。②両手でテントの骨組みを持ち,テントの入り口側の面を開く。③次に両側の骨組みを握り,先ず左右に展開する。④重になっていたテントの前面と後面を展開すると,上から見た形状が“口字型”になる。⑤テントの収納ケースをテント内のポケットに入れる。これで避難所用室内テントの設営が終わる。

 避難所用室内テントの高さは165センチで,出入り口はファスナーで開閉する。この165センチの高さは外部からの視線を遮るに十分な高さであり,上部は開放されているため,通風性も良い。燃焼防止の化学繊維で作られ,火災の場合は燃焼せず熔けるという。

 通常のアウトドア用テントと異なる部分は,天井部を塞がないこと。また,屋内用のため,床に相当する部分も無い。形は正方形のため,内部空間は広く,YouTubeを見る限り,4m×3mの12㎡程度と考えられる。設営時間は30秒程度で,工具を使用せず,組立が極めて容易な点が特徴である。この避難所用室内テントは,ドイツの「レッド・ドット・デザイン賞(red dot design award)」で金賞を受賞した作品でもある。

 同テントは,避難所でプライバシーを保つことができ,テント内で横になったり,着替えをしても,他人の目を気にすることなく,快適に休むことができる。日本の避難所の映像などを見る限り,個人のプライバシーへの配慮が欠けているように見受けられるが,このような避難所用室内テントがあれば被災者のストレスを緩和できると考えられる。

 1月1日の能登地震時には,日本では段ボールを用いた簡易ベッドを避難所で使用したが,この度の花蓮大地震では,慈済仏教基金会の「回収したペットボトル樹脂で作った組み立て式ブロックのベッド」が用いられ,注目を集めた。この組み立て式ブロックのベッドの使い道は,組立方式によって,机や椅子としても使用することができる。また,ブロック収納用の段ボール箱の底には車輪があり,運搬も容易である。さらに,回収したペットボトル樹脂で作った毛布2枚も被災者に提供された。

 そのほかに,慈済仏教基金会は「救難浄水ボート」でも注目された。同ボートは飲み水の供給のみならず,1時間に300人分のご飯を炊くことができる炊飯機能を有する。これらの救援物資は各地に保管されネットで調べるとどこに在庫があるかが分かる。例えば,台湾北部では物流センターの「新竹物流」と提携し,今回も室内用テント50セットが3時間内に現場に運ばれた。

 これまでも慈済仏教基金会は災害が発生すると直ちに前述の「災害区物資制御」ボランティアを動員し,弁当を配給してきた。2018年2月6日の深夜にM6以上の強震が花蓮で発生し,雲門翠堤ビルを含む41軒の家が倒壊した。その翌朝1時には300人分の出来立ての弁当が被災者に提供された。2021年4月の太魯閣号408特急列車事故の時も,600人分の弁当が救難センターに送られた。また,能登地震時にも慈済仏教基金会はボランティアを動員し,被災者に出来立ての食事を提供している。

一方有難,八方支援

 「一方有難,八方支援(どこかに困難があれば,四方八方から支援が来る)」に表現されたように,避難所の中華国民小学校の屋内体育館の外の左側には一列のテントが設置され,ボランティアが提供する飲み物,カップ麺,ビスケット類,弁当が無償で提供された。なかでもロブスター入り弁当,魯肉飯弁当,豚肉ステーキ弁当など豪華な弁当がレストランから無償で提供されているという。屋内体育館の外の右側のテントでは食事場所が設置され,飲食ができる。日本の避難所生活は,お握りなど同じものが提供されているが,台湾では民間のボランティアによりいろいろな選択肢があることに,日本のメディアは再度驚かされた。

 屋外の広場にも大型テント約10基が設置され,被災者の収容もできる。ペットを飼っていて,鳴き声で室内のテントでは他人に迷惑をかけると考え,ここに滞在することを選択した被災者もいる。

 屋内体育館の入り口には「中華電信」(民営化された台湾の通信企業)により固定電話,WiFi設備が設置されたほか,スマートフォンの充電も無償でできるコーナーも設置された。屋内体育館の中央に前述の避難所用室内テントが設置された。ボランティアによるアロマ・マッサージも行われ,被災者のストレス緩和に役に立っている。また,キッズゾーン(子供の遊び場),パソコンゲームの設置やボランティアにより寄付された衣服,歯磨き,シャンプー,石鹸,紙オムツなどが無償で提供される。体育館では温水シャワーを使用することができる。館内トイレのほか,収容人数が増えたため,館外にも臨時仮設トイレが増設された。この官民連携によるスピード感ある支援の構築は,地震の頻発する台湾の住民が育んだ智慧と言えよう。

下清水橋の修復

 「下清水橋」とは,花蓮県秀林鄉で,「9号線(台九)」の蘇花道路(宜蘭県蘇澳鎮から花蓮県花蓮市の臨海道路)の158.6キロに位置する大清水トンネル出口付近に架設された橋梁である。この「下清水橋」が震災による落石で破壊され,基礎部分も流された。しかし,24時間不眠による急ピッチの復旧作業により,4日後の4月6日夜には単線ながら車両の通行が双方向で可能となった(台湾東部地震/落石で橋が崩落 日本統治時代の古い橋で通行再開 台湾東部地震)。

 下清水橋の陥落のニュースを聞いた民間土木企業が各地から集結した。大清水トンネル出口付近の道路は,クレーンなど重機搭載のトラックの回転スペースがない。そこで,トンネルの5キロ手前から後尾に誘導員がスマートフォンを使い,トラックの運転手と連絡し合って,2時間かけてトラックをバックで誘導し現地に到着させた。現地に到着後,直ちにトンネルの基礎部を安定させた。

 1971年に新しく作った下清水橋は震災で破壊されたが,傍には日本統治時代に建設された旧下清水橋(1930年)が健在であったため,橋梁の片側を外し40の戦備用形鋼梁を敷設し,生コンを流した。つまり,旧下清水橋を補強することで交通を再開させることができた。但し,通行は4トン以下の小型車に限り,また1日に3回の通行に制限されている。この橋梁がなければ,10時間以上かかる迂回路(台湾南部の屏東や南部横貫道路の遠回り)を走る必要があり,災害支援にも大きな障害となるところであった。旧下清水橋の補強で再開ができたのは幸運であったが,短期間のちに橋梁を復旧させたことに,米国のメディアは台湾の震災への対応能力の高さを驚きとともに報じた。

スーパー災害救援隊員

 今回の花蓮大地震で大きく震災を受けたのが,太魯閣から天祥一帯だ。風光明媚な大理石の太魯閣渓谷で知られ,内外から観光客が集まり,筆者も20歳前後に太魯閣から天祥まで歩いたことがあった九曲洞から燕子道一帯は,大理石の岩壁と渓流が流れて,特に美しい観光スポットである。地震発生時に,天祥晶英ホテルの従業員を載せた中型シャトルバスの後部に大きな落石が直撃,1人の従業員が足を骨折し,歩行不能となった。また,落石の影響で車両の通行も不可能となった。こうした中,屏東消防署から派遣した魯凱族先住民の救助隊員である頼孟傳は,自身の体重が58キロそこそこであるにも関わらず,樹木の幹を支えに,70キロ前後の骨折した被災者を背に,落石に注意しながら軽々と下山した。後で分かったのだが,落石で骨折した被災者は高校3年生の黄君で,ホテルで実習アルバイトを行っていた。現在(本稿執筆時),病院で体外式膜型人工肺による治療を受けている状態だそうだ。黄君の一日も早く回復を願って止まない。

 2009年8月8日の台風8号では屏東霧台鄉佳暮村が交通途絶により孤立状態に陥り,加えて水,電力も遮断された。「佳暮村4人の英雄」(柯信雄,賴孟傳,徐仁輝,徐仁明)は,ヘリコプターからロープで降下し,村民を率いて,山刀で樹木を切り,土石を移し,石灰や白いペンキを集め,山頂にヘリコプターの着地点を作り,村民135人を救助した。当時,柯信雄と賴孟傳は消防署山難救助協会のメンバーで,徐仁輝と徐仁明は涼山特勤隊(特殊部隊の陸軍高空特種勤務中隊)の隊員であった。今回の花蓮地震で賴孟傳氏は再び英雄になった。そのほか,災害救助犬RogerとWilsonが太魯閣の入口近くの砂卡礑歩道の落石の下で,数名の罹災者の遺体を発見し,大きな貢献を果たしている。

TSMCの機体回復

 花蓮地震の影響でTSMC(台湾積体電路製造)の製造機器がダメージを受けた。しかし,仏エア・リキード社の子会社の亜東工業気体社(Air Liquide Far Eastern),志聖工業(CSUN)などの協力企業を含め,徹夜の修復で,翌日には7割以上が回復した。また,5日には100%で回復できる見通しとされ(本稿執筆時),今回の地震による台湾の半導体企業への影響は限定的ダメージである。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3375.html)

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