世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3334
世界経済評論IMPACT No.3334

全人代の裏を読む

結城 隆

(多摩大学 客員教授)

2024.03.11

 3月5日,北京の人民大会堂で全人代が開催された。李強総理は政府工作報告において,昨年1年間を振り返ってこう述べた。「複数の困難と課題が絡み合い,重なり合うなか,中国経済は紆余曲折を経ながらも前進し,苦労して成果を上げてきた。国際的に見れば,世界経済の回復は弱く,地政学的対立は激化し,保護主義や一国主義が台頭し,外部環境が中国の発展に与える悪影響は増大の一途をたどっている。国内では,コロナ禍の影響が3年続いた後,経済の回復と発展に多くの問題があり,根深い矛盾の長期的な蓄積が多くの新たな状況の出現を加速させ,問題が次々と発生している。外需の低迷と内需の不足が重なり,循環的な問題と構造的な問題が共存し,不動産,地方債,中小金融機関などのリスクが浮き彫りになったところもあれば,洪水,台風,地震などの深刻な自然災害に見舞われた地域もある。このような状況下で,政策の選択や仕事の進捗が直面するジレンマや困難は著しく増大している」。厳しい現状認識が如実に表れている。

 こうした厳しい状況の中,「稳中求進,以促稳,先立后破(安定の中進歩を求め,進歩を以て安定を促進し,ビルド&スクラップを推進する)」という原則が改めて確認され,今年の経済目標(GDP成長率5%前後,1,200万人の新規雇用創出,失業率5.5%前後,財政赤字の対GDP比3%程度)が公表された。これら今年の目標はほぼ前年並みである。また,経済発展において「質」の向上が強調されているのも同様だ。その意味,新味は薄い。5%の経済成長が実現できるかどうか疑う向きも少なくないが,これが精いっぱいというのが実情なのだろう。ただ,改善と発展に向けた取り組みの形が見えるようになったことは評価できる。

 清華大学公共管理学院の鄢一龍副教授は,今年の政府工作報告を次のようにまとめている。すなわち,改革開放以後,中国経済の発展をけん引してきた「老五化」,すなわち工業化,都市化,情報化,市場化,国際化はその役目を終え,政府は,「新五化」すなわち,デジタル化,産業体系の現代化(左記の二つを合わせて「新質生産力」とも言う),都市と農村の一体化,国家統治体系の現代化,そして新たなグローバル化への転換による発展を目指している。いずれも緊張とリスクと不透明さを孕んだ内外の状況を踏まえたものだ。「このままではいけない」という強い危機感も感じられる。そして「先立后破」,すなわち「スクラップ&ビルド」ではなく「ビルド&スクラップ」というアプローチが取られるわけだが,これはドラスチックな転換よりも,既存の仕組みを一定程度残しつつ転換を進めるという現実的なものと言える。料理でいえば,「合いがけ」と言うべきもので,老五化の成果を活かしつつ,新五化に舵を切るということだ。

 ところで,今年の全人代では気になることが3つ起こった。まず,党中央委員が参加する第三回党中央委員全体会議(三中全会)の開催が見送られたこと。中央委員全体会議は,第二十回党大会で新執行体制を決議し,その後5年間で7回開催されることになっている。とくに,三中全会は昨年秋に開催されることが予定されていた。政府工作報告の下地づくりと,2024年の目標設定,人事,組織改革といった重要事項が討議されるはずだったが,それが見送られた。全人代の準備として中央政治局会議が1月31日に開催されただけであり,ここでは政府工作報告の読み合わせが行われた模様だ。昨年,秦剛外交部長と李尚福国防部長が突如解任されたが,両名は依然として党中央委員の座に留まっている。党中央委員は5年に一度の党全国大会で選任されるので,これなくして解任できないという事情もあるのかもしれない。となれば,国務院の重職を解任された中央委員が参加する会議を開催するというのはなんとも不都合なことになる。

 次に,全人代閉幕後の総理記者会見が見送られた。しかも,これは今後数年間続くという。全国人民代表大会(全人代)閉幕日に総理が記者会見を行うのは,全人代報道局設立後初となった第7期全人代第1回会議(1988年)まで遡ることができる。それ以来,1992年を除き,続けられてきた慣行であり,事前の取り決めが一切ないことから忖度のない質問も時折飛び交った。数々の「名言」もこの総理記者会見から生まれた。1998年の総理の記者会見で,ある記者が朱鎔基に「人はあなたを経済皇帝などと呼びますが,これについてどう思いますか」と尋ねると,朱鎔基は「私を中国のゴルバチョフ,経済皇帝などと呼ぶのは気に入らない。目の前に地雷原があろうが,奈落の底があろうが,私は迷うことなく前進し,全力を尽くして死ぬつもりだ」と答えたという。温家宝の2012年最後の首相記者会見は3時間3分に及んだ。その席で温首相は,「政治体制改革の成功なくして,経済体制改革を最後までやり遂げることは不可能である。改革は前進あるのみで,停滞はおろか,後退もありえない」と述べた。2016年,李克強は,「政府権力の縮小という『痛み』と引き換えに,企業や国民がビジネスを行うという『喜び』を利用しなければならない」と述べた。昨年,李強新総理は記者会見で「新政権の仕事は,中国共産党中央委員会の決定と配置を実施・実現し,党第20回全国代表大会が打ち出した壮大な青写真を施工図に変え,全国民と力を合わせて壮大な青写真を一歩ずつ美しい現実に変えていくことだ」との抱負を述べている。全人代のスポークスマンは,これについて,「部長通道」などを通じ,政府要人との会見の機会が多数設けられているので,これで十分,としているが,ぶっつけ本番の記者会見で行政トップの総理が失言や腹の底を探られかねない発言をすることを警戒したのかもしれない。

 第三に,3月6日に行われた記者会見が荒れたことだ。同日午後3時から行われた。記者会見には,国家発展改革委員会,財政部,商務部,人民銀行,証券監督管理委員会それぞれのトップが出席した。この会見に先立って記者たちは2時間前から会場につめかけたようだ。会見は2時間とあらかじめ決められていたが,期限の5時に主催者側が会見終了を告げると,居合わせた記者が,口々に追加質問を発し,会場は一時騒然となったという。追加の質問を受け付けたため,会見時間は予定より23分伸びた。「こんなことは過去10年なかった」とは居合わせた記者の述懐である。総理記者会見が無くなったことに対する記者の不満が図らずも噴出したのだろうか。

 中国経済は依然底を探る動きが続いている。3千億ドルもの巨額債務を抱えた恒大集団はこの1月から清算手続きに入り,リーマン・ブラザーズの清算を担任した弁護士事務所が手続きに乗り出しているが,外国人債権者が清算手続きを行えるのは,北京,上海,深圳,厦門の4市に限られており,行く末は混沌としている。しかも,今年の全人代開催日は,米大統領選挙の共和党スーパーチューズデイと重なった。ウクライナ戦争の潮目も変わりつつあり,ウクライナの苦境は深まる一方という状態である。イスラエル・ハマス戦争も出口は見えない。世界第二位の経済大国である中国の舵取りを担う党・政府にとって,全人代とはいえ,大口を叩ける状況にはないということは確かなようだ。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3334.html)

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