世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3197
世界経済評論IMPACT No.3197

保守化と失われた30年

鈴木康二

(元立命館アジア太平洋大学 教授)

2023.11.27

 IMFの2023年経済見通しが発表され,日本の名目GDPが人口で2/3のドイツに抜かれ世界4位に落ち,一人当り名目GDPは世界34位で,35位の韓国に抜かれるとの報道があった。失われた30年の間に,日本の名目賃金は1.1倍,ドイツは2.1倍だったこと,R&Dや教育といった将来への投資が,他国に比し少なかったことが原因だ。

 行動経済学でノーベル経済学賞を得たセイラーと共著『ナッジ』を書いたハーバード大ロースクール教授キャス・サンスティーンの『同調圧力』を読んだ。日本経済の失われた30年の一因は保守化の同調圧力ではないかと思った。安倍元首相が国会議員になったのは1993年だ。2022年に射殺されるまでの彼の政治人生は,失われた30年と一致している。安倍元首相が1996年に出した共著に『「保守革命」宣言―アンチ・リベラルへの選択』がある。『新しい国へ 美しい国へ』とは,政治のみならず文化・法律そして経済までも,革新を排することだったのだろう。革新は政治ではreformだが,経済ではinnovationだ。革新力の衰退だ。

 経済成長力は労働力,資本力,技術革新力で決まる。技術革新には,生産・流通の技術革新のみならず経営技術革新もある。経営技術の革新力が保守化で退化したのではないかと思う。「選択と集中」の経営戦略がその典型だ。限界までコストカットしても目標収益率に達する見込みのない事業は切り捨て,儲かる事業に集中投資する経営戦略だ。ところが経営の保守化で,切り捨てる事業の選択はしても,儲かる事業への新規投資は見送られた。人口減少下での労働力による経済成長の為には労働生産性を上げなければならないのに,保守化した経営は,コストカットすべく,①リスキリングに人的投資をしなかった。②海外子会社の工場とのコスト競争で日本の工場が負ければ,労賃が安い海外子会社に事業を移さざるを得ないとして,③日本工場の労働者の賃上げをせず,退職した正規労働者の業務を,賃金の低い非正規労働者で代替した。④海外工場では現地企業から調達するので,一緒に海外進出できなければ下請けから外さざるを得ないと,日本の下請企業への下請価格切下げを図った。

 日本の家電大手企業は,金型の所有権を持つ一方で,下請の金型中小企業が中国進出できないことを逆手にとり,中国子会社で使う家電金属金型の修理は自らするとして,金型の営業秘密である金型図面と加工データを得,中国の地場金型企業に無償で譲渡し金型を調達した。中国企業は中国家電企業に日本家電企業の最新金型だと示して新規発注を得た。日本の家電企業は中国家電企業に全世界のシェアを奪われた。自分で自分の首を絞めた面もある。2002年7月に経済産業省は「金型図面や金型加工データの意図せざる流出の防止に関する指針」を出した。「意図せざる流出」として日本の家電大手企業の責任を不問にした。

 資本力はあっても,保守化した個人は,老後の為として金利ゼロの銀行預金をし,保守化した金融機関は不良債権償却と国債投資そして海外ファンドマネージャーが運用する投資信託に投資した。安倍元首相は金融緩和に頼り過ぎ,実体経済は製造業と流通業そして消費者が担っているのを軽視した。賃金が上がらず,仕事が海外子会社に奪われる可能性がある一方で,老後に不安がある消費者の購買意欲が高まる筈もない。

 筆者は1952年生れで高校紛争を経験した。筆者の世代はシラケ世代と呼ばれ,新左翼活動にシラケ,大企業に入社し会社人間となった。筆者の同世代人が日本の大企業の部長職に就き出したのは,失われた30年の始まった1993年前後だ。彼等は課長としてバブル経済の最前線に立ち,失われた30年を部長・取締役・経営者となり企業経営の中枢を担った。政治にシラケて会社人生を始め,バブル経済に乗り遅れないように同調圧力を強め保守化した。経営姿勢にも伝染し,バブル崩壊後は,コストカットで財務を黒字化させる保守的経営に傾いた。日本経済のマクロ経済環境は改善しても,賃上げはなく,労働意欲向上による生産性向上は図られなかった。

 アジアでの海外子会社経営もコストカットの観点から進められた。現在,GX,DX,ESG経営が叫ばれている。DX導入がコストカットの為に使われたり,営業秘密漏洩の道具と化す可能性もある。GXとESG経営は,企業情報開示への要求が高まる一方で,コスト負担増だとして,グリーンウォッシュ他のその場凌ぎの手段が進むかもしれない。日本企業が横並びで炭素税導入反対を叫ぶのは,同調圧力による経営の保守化が続くからだろう。成長のエンジンとしてGX,DX,ESG経営を進める為には,保守化した経営姿勢を改める必要がある。アジアの海外子会社と日本の本社・工場を同じ目線で見れば,GX,DX,ESG経営は,差別化・集中化・コストリーダーシップで,儲かる事業のネタとなる。差別化と集中化は選択と集中とは違う。コストリーダーシップはマージンを増やす戦略であり,コストカットではない。保守化した経営姿勢を改め,経営革新と技術革新で,事業を儲かるようにするのが,新しい資本主義下での日本企業の経営だ。岸田首相は,新しい資本主義の構造的賃上げの実現で分厚い中間層を形成する,と言うが,保守化した経営を止めよう,とも言うべきだ。自由民主党の英文名にリベラルが入る意味は,保守化はしない保守中道政党だと世界に知らせたいからなのだと思う。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3197.html)

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