世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3095
世界経済評論IMPACT No.3095

TSMCのドイツ工場進出決定:熊本工場は計画通り,アリゾナ工場は遅れ

朝元照雄

(九州産業大学 名誉教授)

2023.09.04

TSMCのドレスデン進出決定

 8月8日,TSMCはドイツ東部(旧・東ドイツ)ザクセン州の州都ドレスデン(Dresden)へ合弁による進出を発表した。ドレスデンはインフィニオン・テクノロジーズから独立したキマンダやグローバル・ファウンドリーズ(GF)などが進出し,ドイツの半導体製造の集積地として知られる。TSMCのドレスデンにおける合弁企業名称は「ESMC」で,投資総額は100億ユーロ以上,内訳はドイツ政府から50億ユーロの助成金が得られる。残りの50億ユーロのうち,TSMCの出資金は70%(35億ユーロ),ボッシュ,インフィニオン,NXPセミコンダクタースの出資金はそれぞれ10%(10億ユーロ)である。計画によると,2024年に工場建設が着工,2027年に生産が開始される。製造品目は12~28nmの成熟(旧世代)の車載半導体が中心で,主には欧州(ドイツ)の電気自動車(EV)に供給される。生産能力は12インチのウエハーで月産4万枚,約2000人の雇用機会を創出する。

 去る7月,EU(欧州連合)は2030年までに430億ユーロを投資する「欧州チップ法」を成立させた。現在,欧州の半導体生産の世界シェア9%から2030年までに20%に引き上げる目論見で,域内での調達拡大を目指している。

ドイツ投資の懸案事項

 対ドイツ投資の懸案事項には,(1)水,電力,労働者賃金,建設材料の高騰,(2)強い労働組合,(3)インフラの老朽化と再建の遅れ,(4)高い法人税(平均28.8%)による資本の流失(1250億ユーロ)などがある。以下ではそれぞれを詳しく説明する。ロシア産の石油や天然ガス(パイプライン経由)は,ウクライナ戦争によるEUのロシア制裁で,輸入が滞り,先のコロナ禍から一層の諸物価高騰をもたらした。2021年11月1日から2023年4月1日までの僅か17カ月の間に,ドイツ西部の賃金は8.5%,東部でも6.2%上昇した。さらに,ライン川の水位低下のため,大型船舶の航行ができず,荷物を小型船舶で輸送するため,輸送費が5倍に上昇している。また,水不足により水力発電量が20~25%減少している。

 ドイツはEUのなかで週間労働時間が最も短い国として知られ,OECDの年間平均勤務時間で見ると,ドイツは1382時間,米国は1791時間,そして台湾は2000時間である。ドイツは台湾の年間平均勤務時間の約65%に留まる。労働効率と労働単価が同じと仮定した場合,労働賃金だけでも約35%のアップになる。労働組合についても易々とストライキを実施する。これもドイツ進出の悩みの種であろう。

 ドイツではインフラの老朽化と再建の遅れが目立っている。第2次世界大戦前に建設した高速道路の架橋は60年を越え,最近撤去された。環境保護の議論で再建が大幅に遅れ,交通に支障が生じている。また,一部の主要橋梁では通過できる自動車に3.5トン,幅2.3メートルの制限がある。13万ある橋梁のうち,8分の1に修繕が必要であり,EU諸国のインフラ投資ランキングでは下から3位である。

 ドイツの法人税は28.8%と高く,台湾のそれはドイツの約半分である。高い法人税により近年だけでも1250億ユーロの資本が国外流失した。

 先行してドイツに投資のインテルの半導体製造投資のケースを見ると,投資額170億ユーロ(政府の助成金68億ユーロ)を計画したが,諸物価の高騰により総投資額は倍以上の350億ユーロに膨らんだ。電気料金や液体ガス代金の高騰,建屋の屋根建設だけでも3割増,価格が倍に上昇した材料もある。

 他方,テスラのドイツ・ベルリン工場は2019年に建設が開始し,2022年に量産を開始するまで実に4年間(そのうち,環境評価に2年以上費やした)を要した。同社の上海工場は僅か8カ月で量産が可能になり,効率の差は自明である。それ故にドイツは,「欧州の病人(Sick man of Europe)」と言われ,2023年のドイツのGDP成長率はマイナス0.3%と予測される。

アリゾナ工場建設の遅れ

 昨年12月,TSMCのアリゾナ州フェニックス工場の設備搬入式典を行ったが,その後の進捗が遅れている。生産開始も,当初計画の2024年から25年にずれ込む。その理由として製造設備の設置を担う技術者の不足が深刻という。TSMCの劉徳音会長によると,生産が遅れるのは,最先端の回路線幅4nmの半導体である。「台湾から米国の技術者を訓練するスタッフを送り,工期の改善をめざしている」としている。

 ところが,労働組合が上院と下院に対し派遣される500名のスタッフのEB-2ビザ発給を阻止するように訴えている。EB-2ビザとは,Advanced Degree(高学歴者,修士卒以上)やNational Interest Waiver(国益に適う場合)に申請する永住権である。労働組合が要請するのは,技術者ビザで指導のみ行うことを認めるビザ(実際の操作は認めない)で,雇用確保の観点から現場での生産活動から派遣スタッフを排除することが目的という。これに対しTSMCは,500人にはサプライヤー企業の組立用員が含まれていると,労組に対し丁寧に説明をしている。米国大統領選挙が近くなり,労働組合を支持基盤にもつ民主党は,この要請を重視する可能性がある。

 近年,米国では半導体産業が流失し,無塵空調室内設備(台湾・漢唐製)の組立ができる労働者がおらず,遅れが生じている。労組は,インテルの10nm工場の設備組立の経験があると主張するが,TSMCの4nm工場のレベルは完全に違う。例えて言うならば,10nm工場を小型車とすると,4nm工場はF1ラリーに使われるスーパーカーであり,レベルが全く異なる。

 アリゾナ州知事はTSMCと労組の間に「現場安全パートナー新協議」を設置させ,企業の職業安全と健康部門による監督,現場監督と労働者訓練の強化に関する協議を要請した。当然,TSMCは現場安全を一貫して重視しており,2021年の着工後に死亡事故は一切なく,米連邦政府の標準安全措置基準よりも優れた実績となっている。しかし,米国の労働者は規律を遵守せず,休憩時間に設備の下に寝転んでスマートフォンを使ってゲームをしていた。TSMCの台湾の場合,スマートフォンを現場に持ち込むだけで即座に「クビ(解雇)」である。サムスン電子西安工場では中国人労働者がスマートフォンを持ち込み,その後,中国の他社に対し西安工場のレイアウトのコピーは渡ると言った産業スパイ事件が発生したことで知られる。

 TSMCのアリゾナ進出後,現地のマリコパ郡コミュニティカレッジは,10日間の課程に対する学生募集に次のような宣伝文句を書いた。「経験不問,申請費15ドル,学費291ドル,修了後の平均年俸は4万3000ドル(技術作業員)」。この宣伝文句からも,技術作業員の不足が深刻であることが窺える。

 アリゾナ工場にTSMCが派遣するトップには王英郎(TSMC序列13位)副総経理が決まった。氏はTSMCの線幅10nm,7nmと5nmの先端製造技術による量産化を推進し,283件以上の特許を擁した台湾交通大学博士である。

 TSMCの海外工場の量産化開始予定は,熊本菊陽工場は2024年,アリゾナ工場は2025年に遅延(?)し,ドイツのドレスデン工場は2027年と言われている。熊本工場は,TSMCの計画通りに着実に進むが,アリゾナ工場は熊本工場よりも約1年前に決定し工場建設を開始したが,量産化は熊本工場よりも遅れると言われている。

[参考文献]
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3095.html)

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