世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3037
世界経済評論IMPACT No.3037

トゥキディデスの罠,グローバリゼーションは死んだ:TSMCの創業者は何を語るのか

朝元照雄

(九州産業大学 名誉教授)

2023.07.24

 7月4日,台湾の中華民国工商協進会の全国大会に招かれたTSMC創業者の張忠謀(モリス・チャン)は,「グローバリゼーションの再定義」をテーマに講演を行った。昨年12月,TSMCのアリゾナ工場の設備搬入式典でモリスは“グローバリゼーションは死んだ”と語り,大きな注目を浴びていた。この日の講演は,グローバリゼーションの歴史,グローバリゼーションが世界にもたらした長所と不都合な点,グローバリゼーションによる変化と将来の姿について大胆な予測を語った(「0704 數位國家、減碳永續 蔡英文、張忠謀出席工商協進會會員大會|民視快新聞|」)

論者の文献レビュー

 米連邦準備制度理事会(FRB)第13代議長のアラン・グリーンスパン(Alan Greenspan)が書いた回顧録『波乱の時代(上・下)』において,グローバリゼーションを「国境を越えて商業の最大の利益を追求し,同時に商業リスクを負う」と定義した。

 トーマス・フリードマン(Thomas Loren Friedman)のベストセラー『フラット化する世界』のサブタイトルは「経済の大転換と人間の未来」であり,グローバリゼーションの進展に対し著者は大胆で楽観的に「世界はフラットである」と主張した。

 フランシス・フクヤマ(Francis Yoshihiro Fukuyama)の著書『歴史の終わり』で「1990年代初期に“歴史は既に終焉を迎え”,民主主義と自由主義は最終的に“勝利”した」と主張した。

 2001年にノーベル経済学賞を受賞したジョセフ・E・スティグリッツ(Joseph E. Stiglitz)の著書『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』は,歴史的価値を持つ良書であるが,出版後,グローバリゼーションの不都合な点(貧富格差の拡大)は,当時よりも進み悪化している。

 グローバリゼーションの長所は人々に豊かさをもたらした点だ。しかし,不都合な点は,貧富の格差拡大である。人と人の間,国家と国家の間の格差拡大は今や至る所で見ることができる。グローバリゼーションによって多くの人々は不公平を感じるようになった。

 1980年代前半,当時のIBMなど大企業のお雇いCEO(最高経営責任者)の年間所得(給与とボーナス)は,従業員の所得の約40倍であったが,現在は約400倍になった。ハイテクの進化でグローバリゼーションのテンポが速まり,同時に従業員雇用数が増え,企業規模も大きくなったが,CEOは1人で変わらない。CEOの所得は企業の成長(売上高と利益額の増加)で,急速に増えたが,従業員の所得はそれほど多く増えていない。その結果,CEOと従業員の所得格差が拡大したのだ。

 モリスがTI(テキサスインスツルメンツ)で勤務した当時(1972年),氏の序列はNo.3の副社長である。当時,フォーチュン誌の「フォーチュン500」(全米上位500社の総売上高ランキング)で,TIは凡そ70位~80位ぐらいの企業ランキングである。当時,TIのCEOは定年退職時に約1,600万ドルの退職金が貰えた。モリスはNo.3のため約800万ドル(トップの約1,600万ドルの半分),同社のNo.50の人物は約35万ドル,No.100は約25万ドルの退職金で,そのカーブは順当であり,当時の所得格差はさほど大きくない。ところが現在のお雇いCEOは月収だけでも1,600万ドルに達し,所得格差は大幅に拡大した。

 ハーバード大学ケネディ行政大学院の初代学長グレアム・アリソン(Graham Allison)は,この500年間の覇権国家と新興国家の新旧対決から決定の本質を探る応用歴史学を研究し,「トゥキディデスの罠(Thucydides Trap)」という造語を創り出した。古代アテナイの歴史家トゥキュディデスにちなむ言葉で,従来の覇権国家のスパルタと新興国家のアテナイの対立による緊張関係から,戦争が不可避な状態になる現象を指す。過去500年間の覇権争いから16の事例を抽出し,そのうち12の事例は戦争に発展した。しかし,20世紀初頭の英米関係や冷戦など4つの事例では,新旧大国の譲歩により戦争を回避した。氏の著書『米中戦争の前夜』は,トランプ大統領(当時)と習金平国家主席が,この“古典的な罠”に陥ると警鐘を鳴らしている。

国家の安全保障はグローバリゼーションよりも重要

 中国政府は多額の補助金をハイテク産業に拠出している。2015年,習近平国家主席は「2025年に中国は半導体の自給自足を達成する」(中国製造2025)と述べ,米国の警戒を引き起こした。2017年以降,トランプ政権下の米国は,対中輸入関税の引き上げ実施,バイデン政権に移行してもハイテク制限策を採り,米日台韓とオランダが連携し,高性能計算機能を持つ先端半導体(HPC),半導体製造装置,ツールや原材料・部品に対中輸出規制をかけるようになった。その後,米国は「CHIPS法」で半導体企業の米国国内での工場建設に補助金を拠出するようになった(筆者注:日本政府もこれに似た半導体企業の誘致策を実施)。

 グローバリゼーションの基礎は,デヴィッド・リカード(David Ricardo)の「比較生産費説」にある比較優位の原則で,国際分業を行うことである。しかし現在,国家の安全保障によるハイテクや経済の利益の重要性は,グローバリゼーションによるそれの重要性よりも重視されるようになった。

 米国の新たな定義は,「米国の国家の安全保障,ハイテク,経済の優位性を毀損しないという原則の下,米国系企業の海外での利益の追求が認められ,外国の製品・サービスが米国への持ち込まれることが認められる」ものである。

 他方,中国の定義も,「中国の国家の安全保障,ハイテク,経済の未来の優位性を毀損しない原則の下,中国の企業が海外で利益を追求することが認められ,外国の製品・サービスが中国への持ち込まれることが認められる」となっている。

 「これは果たして本当のグローバリゼーションであるのか,皆様から回答を求めたい」と,モリスは会場の出席者に問いかけ講演を終えた。

[参考文献]
  • 朝元照雄「TSMCフェニックス工場の設備搬入式典:線幅3nmウエハーに追加投資も」世界経済評論Impact No.2786,2022年12月19日。紙幅の関係上,この記事は,モリスの「グローバリゼーションは死んだ」の発言を省いた。
  • 朝元照雄「TSMC創業者・張忠謀の3つの予言:海外進出のウィンウィン戦略,熊本に進出するのか?」世界経済評論Impact No.2273,2021年9月6日。
  • アラン・グリーンスパン『波乱の時代:わが半生とFRB(上・下)』(山岡洋一・高遠裕子訳,日本経済新聞出版,2007年)。
  • トーマス・フリードマン『フラット化する世界:経済の大転換と人間の未来(上・中・下)』(伏見威蕃訳,日本経済新聞出版,2010年)。
  • フランシス・フクヤマ『歴史の終わり:歴史の「終点」に立つ最後の人間』(渡部昇一訳,三笠書房,1992年)。
  • ジョセフ・E・スティグリッツ『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』(鈴木主税訳,徳間書店,2002年)。
  • グレアム・アリソン『米中戦争の前夜:新旧大国を衝突させる歴史の法則と回避のシナリオ』(藤原朝子訳,ダイヤモンド社 ,2017年)。
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3037.html)

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