世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2891
世界経済評論IMPACT No.2891

バナナブルーの終焉:EU域内産業の価値連鎖の分解

瀬藤澄彦

(国際貿易投資研究所 客員研究員・元帝京大学 教授)

2023.03.20

 欧州の産業集積と立地を語るときに必ず登場してきた有名な「バナナブルー」理論に変化が訪れたのかもしれない。この用語はちょうどベルリンの壁が崩壊した1989年にフランスの地理学者ロジェ・ブルネ(Roger Brunet)が英国からオランダ,ベルギー,ドイツ,スイスを通ってイタリアに至るまでの巨大な大都市圏の繋がりをバナナ状に曲がっている形状を宇宙から地球を眺めた時の夜景に青い色で浮かび上がってきたメガシティのことを指すフレーズとして定着してきた。その当時,ブルネはパリ一極集中の中央集権経済がこのバナナブルーに特徴づけられている欧州産業地図の圏外にあることに強い危機感を抱き,フランス政府にパリとリヨンとマルセーユの3都市圏におけるインフラ投資を強化してこの人口1億1千万のバナナブルー都市経済圏に接続統合するように進言したのであった。

 3分の1世紀が経過した今,欧州大陸における産業地図は大きく変貌しつつあった。21世紀に入って欧州産業の最も活気のある姿というのは,南ドイツを核としてポーランド,ハンガリー,チェコ,スロバキア,オーストリア,ルーマニアの国々一帯の地域に立地する製造業であった。2004年から2007年にEUに加盟したこれらの旧社会主義諸国は,単なる原材料や部品だけの供給基地ではなく自動車や産業用機械の組み立て行うことによってドイツ産業の生産ラインの拡張されたヒンターランド後背地になっていた。

 欧州では製造業の雇用人口は減少しつつあったが,とくに英国,フランス,ベルギーでは2008年のユーロ危機を通じてサプライチェーンのグローバル化によりこの動きは加速した。一方,ドイツ,オランダ,チェコ,スロバキア,ルーマニアによって構成される新たな欧州産業の心臓部はEU域内貿易比率を大きく引き上げた。同時期に大西洋沿岸アーク地帯の英国,フランス,アイルランド,スペイン,ポルトガルの国々は,スペイン,英国を筆頭に,イタリアも含めてその域内貿易の比重を下げるようになった。

 しかし今,ウクライナ戦争は温暖化対策によってグローバル価値連鎖のこれまでの流れに一気に逆行する動きを加速させている。この2つの動きは深く相互に絡んでいる。そしてこのことが欧州の貿易投資の産業構造の在り方に影響を与えつつある。パリ,グラスゴー,シャルム・エル・シェイクで開催された国連気候変動枠組条約締約国会議(COP)において合意確認されたことが,想像も出来なかったような短期間で,欧州各国は地球温暖化対策から化石燃料エネルギーの安全確保に舵を切るようになった。これらの協定では気温上昇を産業革命のときから1.5%以内に抑制する目標に向けて,温室効果ガスの削減が,途上国にはそのための資金援助など思惑の違いはあっても合意されていた。原発では英仏が原発建設の拡大,日本でも再稼働とその延長,欧州連合も反石炭から石炭確保に積極的になってきた。世界的合意であった温暖化対策は様変わりとなった。

 通商白書22年版によると,グローバル化の波で分散拡大してきた素材や部品などの中間財貿易に一服感が出てきた。すでにコロナの影響を受けていたが,ウクライナ戦争の勃発によってさらに不確実性が一層高まってきた。この点に関して,EUの東方拡大と中東欧諸国の統合欧州への加盟によって西欧諸国,とりわけドイツの事実上のヒンターランド,下請け基地の役割を果たしていた中東欧諸国の役割が甚大な影響を受けている。比較的教育水準が高いが,賃金水準が西欧に比べて格段に低い東欧諸国がドイツの機械産業に与えた世界的な比較優位の利点は計り知れなかった。新興国の経済成長に乗ってドイツの産業機械や高級乗用車の輸出が急進した。とりわけドイツの対中国依存度は「危険な」水準にまで高まってしまった。外需依存型のドイツ経済の体質がビルトインされてしまった。今,これが大きくその転換を迫られている。通商白書はこのような物流の遠隔化分散をアンバンドリング(unbundling)「分解」と評している。ドイツ産業連盟(BDI)の調査によるとミッテルシュタントとよばれる中小企業対象は約20%が生産拠点の海外移転を考えているされる。自動車産業連盟(VDA)の会員企業の半数は投資計画を取りやめるか延期し,5分の1以上の会員企業が海外移転を進めていると警告している。

 このようなコロナ・パンデミックとウクライナ戦争の影響はこれまで欧州の専門家やEU当局者が描いていた5つの産業集積経済圏に徐々に分散統合されていくものという長期予測を裏切ることになる。すなわち,北西部欧州,バルト海域沿岸部,欧州中央部,東部欧州,イベリア地域の5つの産業経済圏の展望である。フランス経済財政産業省・対外関係経済局のEU拡大担当官によるとこれらの経済圏は各国経済の枠内にとらわれずに加盟各国の国境線を越えた形で形成されることになっていた。第1に歴史的な消費構造や産業文化が類似している地域である。バルト海の旧ハンザ同盟を形成していた都市国家経済圏がこの代表である。第2に経済水準の高い経済圏では産業内分業に基づく貿易がますます増えるが,同時に新規加盟国の経済発展の遅れた地域との間では比較優位による垂直的な分業貿易が進展する。一部労働集約部門ではアジア諸国に向かう予定の生産拠点が拡大EUの東側周辺地域に再配置されて,織物・ファイバーなどの最終製品の生産体制に符合した付加価値の高い上流部門の地域経済圏が形成される。ドイツやイタリアなどの皮革・ファッション衣料製品などの高級アパレル部門でもバルト3国などで国際競争力のある労働コストで生産が可能となる。第3に米国のシアトルの航空機,5大湖周辺の自動車などのような大規模な産業集積ベルト地帯とまではいかないが,将来,バルト3国でエレクトロニク ス産業,中欧・南独で自動車,EU東部欧州で繊維・アパレルなどの部門で産業集積の特化が進む。第4に5つのEU域内地域経済圏では今後,地域経済圏内部での交易と投資が地域経済圏の外部の諸国よりも遥かに密度の濃いものとなっていく可能性がある。以上のような拡大EUの産業立地が構造的な再編成を遂げていくには10年以上を要するものと見られていた。今,このような長期展望は仕切り直しを余儀なくされる時がやってきた。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2891.html)

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