世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2867
世界経済評論IMPACT No.2867

日本銀行首脳に求められる国際性とは何か

重原久美春

(国際経済政策研究協会 会長)

2023.02.27

 日本銀行の新しい首脳陣の候補探しにあたっては,「未知の領域に入る金融政策に対して理論的な知見を持ち,かつ過去にとらわれない専門性と国際性を兼ね備えた人材を中銀トップに求める力学が働いた」と解説した新聞があった。岸田文雄首相は「国際感覚があってマーケットをよく分かっている人だ」と語ったとも伝えられた。「植田総裁案,国際性を重視 日銀後継,政府が提示」という主題で報じた新聞もあった(注1)。

 しかしながら,国際性とか国際感覚といった言葉が一体具体的には何を意味しているか,明らかにされていない。

中央銀行間における競争と協調

 筆者の日本銀行における大先輩で,国際関係担当理事として活躍した太田赳氏(注2)は,著書「国際金融 現場からの証言」(中公新書1050,1991年)のなかで次のように書いている。

 「国際化」は,国際的な競争と協調から切り離して考えることはできない。特に中央銀行間においては,マクロ政策面でも信用秩序保持の面でも,虚々実々の競争と協調が並存するのが常である。ぎりぎりまでは国益は擁護しなければならないが,同時に協調のために最終的な妥協点を十分想定しておかなければならない。こうした競争と協調の実を上げるためには,何においても相手方との間で尊敬と信頼を分かち合える関係を作り上げていかなければならない(189ページ)。

 この指摘について追記すれば,マクロ政策運営と信用秩序保持の両面における各国中央銀行間の競争と協調は,各国中央銀行の政策と業務運営の様々な分野における専門家のレヴェルで存在するし,また,当然のことながら,トップのレヴェルでも存在する。

 筆者は,1970年代後半の数年間,日本銀行の国内金融政策部門と国際関係部門を兼務するユニークなポスト(総務部企画課と外国局総務課の兼務調査役)を務め,加えて,日本の民間銀行のアグレシブな海外進出が諸外国で問題視されていた状況下,バーゼル銀行規制監督委員会のメンバーとして,日本銀行の信用秩序保持政策および銀行規制監督の行政権限を有していた政府当局(当時は同委員会に不参加)との間での調整を踏まえて,この分野における「競争と協調」の実を上げるべく尽力した。それと同時に,森永貞一郎第23代総裁の任期中の長い期間と前川春雄24代総裁の初期(すなわち,筆者がOECD一般経済局次長に就任するまでの間)を通じて,総裁の対外活動をお側でアシストする重責も負わされた。

 日銀総裁の対外活動のアシスタントとしての筆者の特異な仕事の典型的な事例は,1973年3月にワシントンで行われた森永総裁とドラロジエールIMF専務理事の会談であった(注3)。IMF側からは専務理事のほかデイル副専務理事とウッドレイ・アジア局次長,日本銀行側は速水優理事(のちに第28代総裁)と筆者が同席したこの会談では,日本の国際収支黒字削減のための金融財政政策のあり方が最重要なテーマであった。大蔵事務次官経験者で「大蔵一家のドン」とも言われた森永総裁の日本語による発言は私のフィルターを経てドラロジエール専務理事に英語で伝えられ,彼の英語による発言も私のフィルターを経て森永総裁に日本語で伝えられるという,迂遠な方式で行われた会談は,実に2時間20分の長時間に及んだ。このワシントン会談のあとウッドレイ次長は対日審査で森永総裁との面談のため日本銀行を訪れた際,「まずガバナー重原の話を聞くんだ」と言ってニヤリと笑ったものである。

 職業的な通訳でない筆者は,森永総裁が言われなかった統計数字を時には加えたり,総裁の言われたことを脚色はしないが,幾分か補強した英語の表現にしたり,幾分か自分の判断で英語にした。それは,ウッドレイだけでなく,森永総裁も分かっておられた。森永総裁が東京の外国人記者クラブで講演した時に,質疑応答の際に森永総裁の再任話に関する大変微妙な質問が出たことがあった。これに対する総裁の日本語での答えを英語に通訳する際に,私なりに工夫したところ,帰りのエレベーターの中で,「重原君が言った英語をもって正文とする」ということだ,と言われた。私の通訳というものはこういうやり方であったが,森永総裁はその任期中私を手放してくれなかった(注4)。

 森永・ドラロジエール会談における長時間に及んだ激しい意見の応酬のエピソードは,本稿のテーマである「日本銀行首脳に求められる国際性とは何か」との関係で,何を示唆するのだろうか。

 中央銀行の首脳たちの国際的な会議や面談においても,専門家のレヴェルでの場合と同様,日本語よりも国際的な言語,少なくとも英語をみずから操ることが肝要である,という月並みな結論で終わってはならない。もっと本質的な点は,国際収支不均衡の是正のための金融政策と財政政策そして為替相場政策のあり方を巡る当時の主要国中央銀行首脳と政府関係者たちの秘密会合などにおいて,リーダーシップを発揮し討議を誘導する力量をもった中央銀行総裁の役割が望まれたということである。

知的な面での「国際化」の推進

 通商産業省で要職を経たあと,経済企画庁の国民生活局長,経済企画審議官などを歴任した井出亜夫氏は,「世界経済評論インパクト」本年2月13日号に発表された拙稿『日本銀行総裁の資質』のなかで,今から丁度20年前に筆者が小泉政権のもとで「隠された日銀総裁候補」とされたエピソードを読んで,以下のとおり感想を筆者に寄せられた。

 「蛸壺社会日本を象徴する未実現の『重原総裁』だったと思います。第三の開国を迫られている日本の混迷は,中々脱しきれない現状です。政治家の劣化,ジャーナリズム(マスコミというべきかもしれません)の劣化は如何に克服されるのでしょうか? 政治家のレヴェルは,国民のレヴェルの反映ともいわれますが」。

 ここで提起された問題とも関連するが,30年余も前に発表された太田氏の上掲書は次の指摘で結ばれている。

 「日本の経済・社会の「国際化」は急速に進展した。少なくとも物理的・制度的には瞠目すべき進展を遂げたと断言できよう。しかし,経済・社会の運営面での「国際化」は今一歩遅れであるし,特に考え方,知的な面での「国際化」はまだ十分というには程遠い。こうした考え方,知的な面での「国際化」の推進,すなわち発想の大きな転換を実現していくことこそ目下の急務であり,そのためには,だれよりもまず日銀の一人一人の奮起が強く望まれる次第である。」

 この書が世に出て間も無く,筆者はOECD事務総長ジャン=クロード・ペイユ(フランス人)の強い要請に応じて,日本銀行金融研究所長の職を辞し,OECD経済総局長・チーフエコノミストに就任した。この時,旧友のマーヴィン・キング(当時はイングランド銀行理事,後に副総裁をへて総裁)や個人的には知己を得ていなかったローレンス・サマーズ(当時は世界銀行チーフエコノミスト,後に米国クリントン大統領の下で国際金融担当の財務次官,財務副長官,財務長官を歴任)などから丁寧な祝い状が届いた一方,米国連邦準備制度理事会の金融政策局長であり,ボルカー議長の右腕であった旧友のアキシルロッドからは,意味深長な内容の手紙が届いた。そこには,「貴方が国際機関の要職に就くのは日本にとって良いことだと思います。しかしながら,貴方のように国際社会を熟知し,そこで楽に活躍することができる人物が日本の国内で枢要ポストを歩んでゆく機会も与えられる方が,日本にとってはもっと良いという気がします」と書かれていた(注5)。

 太田氏が存命であれば,筆者が日銀を去ったあと,どこまで日銀職員が知的な面での「国際化」の推進役を果たしてきたと評価するであろうか?

 日本銀行の新しい首脳陣には,太田氏が日銀の後輩たちに残した言葉を肝に銘じて,全職員を率いて日本の知的な面での「国際化」を推進してもらいたい。

(2023年2月21日 記)。

[注]
  • (1)日本経済新聞『サプライズの「植田日銀総裁」 国際性・専門性、世界の潮流』,朝日新聞『植田総裁案,国際性を重視 日銀後継,政府が提示』,2023年2月15日。
  • (2)太田赳(1929年〜2004年)氏は,1952年に東京大学法学部を卒業し,日本銀行に入行,ロンドン駐在参事,外国局長,理事(国際関係統括),大和銀行副会長などを歴任。
  • (3)重原久美春,「日本銀行とOECD:実録と考察 内外の安定と発展を求めて」,中央公論事業出版,2019年12月,130〜132ページ。
  • (4)スイス・バーゼル市所在の国際決済銀行(BIS)で開かれる月例総裁会議に,森永総裁の代理として出席していた速水理事の発言案を英語で起草することは,総務部企画課調査役としての筆者の任務の一つであった。1975年の主要国首脳会議(サミット)発足当初の参加国のうち米国・英国・ドイツ・フランス・日本の5か国の財務大臣と中央銀行総裁が秘密裡に開催していた会合に日銀総裁の代理として主席する役割を担った速水理事に同道し,現場における討議の流れを踏まえて,英語の発言案を即座に作成し,速水氏に手渡すことも総務部企画課調査役としての筆者の任務の一つであった。また,国際金融担当理事としてBISユーロ・カレンシー会議などに出席していた速水理事の発言案を英語で起草することは,外国局総務課調査役としての筆者の任務の一つであった。
  • (5)重原久美春,上掲書,11〜14ページ。
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2867.html)

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