世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2852
世界経済評論IMPACT No.2852

トップの劣化がもたらす現場の混乱

川邉信雄

(早稲田大学・文京学院大学 名誉教授)

2023.02.13

 かつて,日本では現場主義や三現主義,業務改革が尊重され,現場こそが日本の組織の強さの源泉と思われていた。実際に業務が行われている場所にあって,業務の実行の中から生じる問題点をとらえ,それを改善し,能率と業務の質の向上が組織の活力の源と考えられた。このことは,現場に業務を丸投げするということではなく,組織のトップが現場の業務に積極的に関与するということである。企業のみならず,政府,学校,病院など,どのような組織にあっても,自らの生み出す社会的価値は,現場の業務を抜きには生まれない,ということを前提としている。

 ところが,近年,日本でこの現場主義が失われたのではないかという事故が多発している。記憶に新しいところでは,2022年9月に,静岡県牧之原市の認定こども園で,通園バスに園児が取り残され亡くなるという事件が起こった。その日は本来の運転手が休暇をとったので,代わりに園長がバスを運転し,派遣職員も同乗し,6人の園児が乗っていた。事故はいくつかの要因が重なって起きたといわれている。①園長も派遣職員も降車時に車内に残された園児がいるかどうか確認をしていなかった。②導入していたスマホアプリを使った登園管理システムでは,園児についてひとりひとり登録することになっているにもかかわらず,派遣職員は園児6人分を一括入力した。しかも,クラス補助は規定の時刻より早く登園管理システムの画面を確認した。③担任は園児の不在を把握していたが,保護者に連絡しなかった。④乗降時のルールに不備があった。

 この子供園の理事長は前年の7月に福岡県で起きた「保育園送迎バスの児童置き去り死亡事件」を報じた雑誌のコピーを自ら職員に配り,気をつけるように呼び掛けていたが,結果,その教訓を生かせず自らが重大な事件を繰り返し起こしてしまった。

 この裾野市の園の事故の直後の2022年11月には,大阪府岸和田市で父親が自分の子供を保育園に送り届けたと勘違いして,車内に長時間放置し,子供が死亡する事件が起きた。これも,保育園側が無断欠席と勝手に決めつけず,保護者に連絡をとって欠席かどうかを確認していれば,避けられたものであった。さらに,静岡県裾野市の私立保育園,富山市の認定こども園,千葉県松戸市の小規模保育所では,保育士が園児に対して暴力をふるったり虐待したりする事件が生じた。

 こうした保育園での問題が多発する背景について,いろいろな指摘がなされている。共通の認識としては,子供の数は増えていないのに,共働きの増加などに伴い,保育園や認定こども園などの設置数が2021年で約3万8600カ所と5年前に比べ約2割も増えたことがある。急速な園の増加により,保育士の求人が増え,現場では人手不足が生じている。また,送迎においては,園と保護者の「私的契約」との位置づけで国の統一的な基準がなく,識者は幾重にも対策を講じる必要性を指摘する。さらに,コロナ対策などもあり,現場の業務が増えており,園児一人一人に対応する余裕がなくなり,職員間で情報共有できなくなっているといったことも指摘されている。そのため,労働環境の改善が叫ばれている。

 しかし,問題はもっと深いところにあるように思える。こうした事件を起こした園のトップとしての園長や理事長の説明を聞いていると,子供を預かり健全かつ安全な園児の育成をするという園の本質的な役割や意義について,全く認識していないように見える。こうした保育園や子供園のトップは,本質的な意義や役割を実現する現場の業務には関心がなく,「経営」にしか関心がないように思える。ここでいう「経営」とは,いわば家業として園児を集めて収入を確保することである。その結果,組織のトップとして一番大切な現場の業務をないがしろにしてしまっている。そのため,園の基礎である業務は現場任せになってしまっているようである。

 一見関係ないように見える北海道知床半島沖で2022年4月に起こった観光船の沈没事故にも,トップが観光船という自らの業務を行う現場を無視した点では共通した問題を抱えているように見える。

 また,2023年2月になって滋賀県高島市の病院で,CT検査の画像診断書に「がんの疑い」と記載されていたのを,主治医が見落とす医療過誤があったとことが公表された。さらに,同月,首相秘書官が同性婚をめぐり差別的な発言をしたとして更迭された。首相は,秘書官の考えは政権の方針とは相いれないと言ってはいるが,政権としての同性婚に対する基本的な考え方は明らかにしていない。

 こうしてみると,近年,組織のトップは現場に関心を持たず,現場で働く人々を軽視しているとしか思えない。例えば,通園バスの置き去り事件を防ぐために,厚生労働省や文部科学省は,事件が生じるたびに事件の再発を防ぐために自治体に通達を出し,マニュアルを整備し,カメラやセンサーをつかった安全装置の設置などを進めている。ただ,こうした動きを拙速に進めることは,かえって園の持つ本質的な業務の意義がブラックボックス化してしまう。AIやデジタル化は人間の力の補完はできるが,問題そのものを解決できるわけではない。

 園だけではなく,組織のトップは組織としての役割や理念を現場に浸透させ,組織のもつ社会的使命をいかに果たしていくのか,常に現場に関与していなくてはならない。そのうえで,組織の構成員が日々楽しく自由闊達に,自分の仕事に没頭できる雰囲気と制度・仕組みを整えていかなければならない。現場で生じている諸問題は,ひとえに組織の存立意義を見失い,自らの地位や利益に固執し,現場を軽視するトップの問題であるといえる。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2852.html)

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