世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
苦境に立った中央銀行
(国際経済政策研究協会 会長・元OECD 副事務総長・チーフエコノミスト)
2022.08.22
イングランド銀行ベイリー総裁は,政策金利を0.5%引き上げ1.75%とする8月4日の決定のあと,物価急上昇に対処するための同行の行動が遅すぎたとして総裁の辞任を求める保守党議員たちの主張を退けた。彼は記者インタビューのなかで,イングランド銀行が苦境に立っていることを認めつつも,1997年に導入されたインフレ率2%の物価安定目標を軸にした金融政策運営の枠組み自体が失敗であった訳ではないと述べ,また,同行の政府からの独立性の重要性を訴えている。
OECDが本年6月に発表した経済展望(注1)では,2023年の英国の実質GDPはゼロ成長,消費者物価上昇率7.4%,失業率4.3%であった。こうした基本シナリオを前提として英国に関するOECDのマクロ経済政策提言では,「インフレ率を目標値に近づけるために,金融政策は徐々に正常化し続けるべきである」と,金融引き締めにあたり漸進主義が推奨されていた。ついで7月にIMFが更新した世界経済展望(注2)では,英国の2023年の実質GDP予測は0.5%のプラス成長と,OECDよりもやや楽観的な見通しが示された。
しかしながら,本年8月に発表されたイングランド銀行の金融政策報告書(注3)に盛り込まれた基本経済見通しは,こうした国際機関の予測よりも遥かに深刻なものであった。これによれば,2023年第3四半期の実質GDPは前年同期比2.1%減,消費者物価上昇率は9.5%,失業率は4.4%に上昇するとされている。この報告書のなかで紹介された外部予測機関による経済見通しの平均をみると,3年後には実質GDP成長率が1.7%,消費者物価でみたインフレ率は2%に落ち着くなかで失業率は4.2%となっているが,イングランド銀行の基本シナリオでは,2025年第3四半期の実質GDPは前年同期比わずか0.4%のプラス成長にとどまり,インフレ率が0.8%に低下する一方で,失業率は6.3%にまで上昇すると予測されている。
ベイリー総裁は,本年7月のロンドン・シティーおける講演(注4)で,昨年来の食料やエネルギーなどの世界的な価格上昇の影響がロシアのウクライナ侵略以降更に強まっている状況に加えて,英国の労働市場の縮小から持続的な国内インフレ圧力が生じていると指摘し,一回0.25%の引き上げで通常行われる金融引き締め措置の倍の幅である0.5%の政策金利引き上げが8月の金融政策会合で決定される可能性について語っていた。ベイリー総裁の講演はイングランド銀行が8月に発表を予定していた基本経済見通しが5月の見通しに比して劇的に悪化する方向にあることを示唆するものであった。
中央銀行の外部への情報提供という点で,筆者はイングランド銀行の従来からの努力を評価してきた。この関連で,IMF協定第4条に基づいてIMF理事会で行われる対米審査の前にIMFスタッフが本年6月に行ったミッションの報告(注5)のなかで,米国の金融政策決定にあたっている連邦準備制度公開市場委員会(FOMC)の情報開示(注6)に関して次のような見解が示めされている。
「FOMCは,金融政策の運営が秩序立ち,計画的かつ透明性のあるものとなるよう,政策金利の予想経路について事前に明確なガイダンスを発信する必要がある。FOMCの政策運営が将来における情勢の推移に決定的に依存することを引き続き強調する必要はあるが,現在の状況に鑑みると,連邦準備制度理事会のコミュニケーション手段を強化することの効用は大きいであろう。特に,政策決定会合のために連邦準備制度のスタッフが作成しFOMCが承認する(または他の方法で承認する)可能性がある一貫性ある経済予測と金利経路の公表を検討することが望まれよう。FOMCの経済見通しの幅とベースライン周辺のリスク分布状況を示すために,中心的な予測に加えて,いくつかの代替的で定量化されたシナリオで補完することが考えられよう。また,インフレ率が2%を大きく超えた状況のもとでは,連邦準備制度理事会は,長期的な目標と金融政策戦略に関する声明文において,政策の枠組みがどのように適用されているかを明確にすることも有益であろう。これらの変更は,政策金利の将来可能性の高い経路に関する政策当局の期待が外部に明確に伝わるようにするのに役立ち,そうすることでFRBのフォワードガイダンスの効果が強化されるであろう」。
米国の消費者物価は本年6月に前年同月比9.1%増と1981年11月以来の高水準を記録したあと,7月には同8.5%増と増勢がやや鈍化したが,先行きの楽観は許されない。連邦準備制度パウエル議長は,インフレ統御のためには経済活動面での犠牲を辞さない強い決意を示しているが,インフレ悪化に対処した米国の高金利政策が世界経済を大きく撹乱した1970年代から80年代前半にかけての深刻な事態(注7)を再燃させることがないよう,金融政策運営に当たっては細心の注意を払って市場との対話を工夫しなければならない。
[注]
- (1)OECD, Economic Outlook, June 2022
- (2)IMF, World Economic Outlook Update, July 2022
- (3)Bank of England, Monetary Policy Report, August 2022
- (4)Andrew Bailey, “Bringing inflation back to the 2% target, no ifs no buts”, 19 July 2022
- (5)IMF, United States of America:Concluding Statement of the 2022 Article IV Mission
- (6)Board of Governors of the Federal Reserve System, Monetary Policy Report, June 17, 2022
- (7)重原久美春,「日本銀行とOECD:実録と考察〜内外経済の安定と発展を求めて」(中央公論事業出版,2019年12月),第9章「米国高金利と日本円安」。
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